私が十字架にかけることのできる相手は、私自身だけである 2019.12.21 02:37 奇跡講座ワークブックレッスン196私が十字架にかけることのできる相手は、私自身だけである中央アート出版社より2012年にあるカウンセラーの方のクラスを受講して、全ては私なのだと腑に落ちる体験をした。だから、外側の良い人や悪い人と感じる人も私で在り、それを心の私(見る者の私)が、恐れ(エゴ)を通して見るのか愛(聖霊)を通して見るのかそして、恐れを通して世界を見ている時……愛(神)が在るのみという真実を思い出す機会であり、ギフトなのだと感じる様になった。そして、2014年に奇跡のコースの実践をスタートして、その事が更に腑に落ちていった。相手が悪いことをしたから十字架にかけるのではない。1つの心の私が、恐れを通して世界を見るとき…実は、愛で在る真実の私を除外し、罪ある私が居るのだ!と私自身を十字架にかけている。だから、私自身を牢獄に閉じ込めているに過ぎない。もし、外側に罪ある者が居ると信じたら、私は攻撃されるから防衛しなければならない…私は誰かを攻撃するかもしれない…という分離ありきの恐れの世界が終わることはない。心の私が引き下がり、聖霊に真実のみを見れる様に助けて下さい…と真に委ねたとき又は完全降参したとき、真の愛を通してしか、外側を見ることが出来ない。すると、愛の想念か愛と助けを求める声のみを受け取る。すると、私の役割は聖霊と1つになって、神の愛を延長することだけだと実感する。だから、私にも何も分からないので、全てを知っている聖霊の声に従う。聖霊は、何を表現して何をするべきかの最善を知っている。今日も、すべての兄弟が愛だと真に見れる様に祈りたい…ありがとうございます。