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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

大航海時代25-ザビエル、アジアに旅立つ

2019.12.21 03:35

1540年、ポルトガル王ジョアン3世は、生まれたばかりのイエズス会に対し、アジア宣教師を要請した。ポルトガルのアジア進出は、まさに点と線状態で、ゴア、カリカット、マラッカを抑えてはいるものの、内陸には大きなイスラムのムガール帝国が拡大していた。

ポルトガルは、キリスト教を布教することで、海外植民地を強化しようとしたのである。その要請に応えてリスボンに赴いたのが、誰あろうフランシスコ・ザビエルである。ザビエルは、国王自ら謁見し、41年4月4日、アジアに向け出航した。荷物は数冊の書と、毛布1枚、あとは頑として拒絶した。

ザビエルの希望を乗せた航海は、ギニア海域で40日もの無風状態に苦しめられ、伝染病が流行して、船は病院船のような状態となった。9月ようやく喜望峰をまわりモザンビークに到着して越冬。しかしここでも病人が多数出て、ザビエルは治療と葬儀に忙殺された。

1542年2月末、ザビエルと新アジア総督ソーザ達は、小型船クーラン号に乗り換え、インドを目指した。そしてアフリカとアラビアの間のアデン湾のソコトラ島に着くと、聖トーマスが建てたという十字架に感動し、ここに残ると言いだした。しかし総督が説得し、5月5日ついにインドのゴアに到着した。

下はゴアのザビエル