終活
おはようございます。
暮らし、味わう。
民藝と発酵をモノサシに
食を通して暮らしの豊かさを提案する
古民家セレクトショップ&カフェ テマヒマ
プロデューサー、バイヤーの太田 準です。
少しご年配のお客様に器をおススメしてると
“もう終活しないといけないから”という答えが
返ってくる時があります。なかなかそれ以上
におススメしにくくなる言葉で、”まだまだそ
んな年齢ではないですよー”というのが精一杯
です。実際まだそんなご年齢でもないのに”終
活”という言葉を使う方もいらっしゃったりも
します。
以前お隣町にある工芸花染さんにお邪魔した
時に何かの流れでそんな話をしたら”そんなの
常套句よ”って一蹴(?)されました笑。それを越えるぐらい素敵なモノを提案すべき、それを
越えるプレゼンをすべき、と僕なりに好意的
に解釈しましたが。
年齢を問わず断捨離という言葉をお使いにな
られる方も結構いらっしゃって、それも言葉
を借りれば常套句なのかもしれませんが、テ
マヒマブログ断捨の回でもご紹介しましたが
断捨離というのは元々捨てることじゃなく、
選ぶことを言うみたいですよ、ってお話をし
たりもしています。
でも。。。そうやって一蹴も出来ないなぁと
思ったりもします。
モノの価値というのは人それぞれ。例えば
●●●円という価格で買った、あるいは
◯◯◯という作り手の作品といったことは
ある人にとってはすごく価値のあることでも
ある人にとっては全く価値のないことかもし
れません。そのこと以上に、ある人にとって
のそのモノの価値は、あの旅行の時に買った
モノだとか、そのモノを買った時に店の人と
どんな話をしたなぁとか、モノそのものでは
ない思い出なりエピソードなり、測ることの出来ないものが加わってることがあり、それ
は他の人にとっては分からないことなので価
値も違ってくると思います。自分が亡くなっ
てお子さんや親族がそれを受け継いだとして
も同じようには価値を感じることは出来ない
だろうと想像されます。
今から11年前に母を癌で亡くしました。亡く
なる前に病床で、着物は誰に、バッグは誰に
あげて欲しいみたいなことを言い出しました
。死を前にして他の何でもなくなぜそのこと
だったんだろう?というのは今も分かりませ
んが、終活ということでふとその亡くなるま
での病室での何ヶ月かのことを思い出しました。なんだかしんみりとした話で失礼しました。このテーマはもう少し頭や心の中を整理
したり消化したりしてから書いた方がよかっ
たかなとここまで書いてから思ったりしてい
ます。
昨日はお客様もかなり少なかったので、お越
し頂いたお客様皆さん全員とそれぞれお話し
することが出来るぐらいに、穏やかな時間が
流れていました。なかなかお客様が多い時だ
とそうはいきませんので。お越し頂きました
皆様ありがとうございました!
テマヒマの年内営業も残り5日。
今日も11時オープンで皆様のお越しをお待ち
しております。ランチの11時半のお時間はご
予約で残り7席です。
それでは今日もよい一日を!
タイトル画像は終活とは真逆?というか無縁
の小さなお子様の靴下。お忘れ物•落し物をお
預かりしてますので心当たりの方はご連絡下
さいませ。