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吹奏楽に、生きる。

小さな夢、大きな夢。

2019.12.23 10:00

2019年もあとわずか。


フリーランスになって早3年が経ちました。


そこで、これまでの歩みの整理と、これからについての事をここに書き留めたいと思います。






吹奏楽に出会ったのは中学1年生。


それまでは阪神が大好きな野球少年でしたが、自分のセンスの無さに挫折。


そんな時に、地元にあった一般バンドに入団したのがきっかけで、トロンボーンと出会いました。


元々、音楽が好きだったので程なくハマり、気がつけば中学2年生の秋には吹奏楽部に入部していました。


学年が上がり、初めてのコンクールの舞台。

自由曲は「たなばた」

結果は銅賞。


この悔しさが、吹奏楽コンクールに目覚める原点となりました。


吹奏楽に熱中できる学校に進学したい一心で、公立後期の専願の受験。無事合格。

春には晴れて「トミスイ」の一員に。


高校2年生の夏のコンクールでは、初めての府大会へ。

そして秋、アンサンブルコンテストに向けて、金管アンサンブルのリーダーに志願。部内の選考会を十数年ぶりに金管8重奏で突破。

「いつか“オオモノ”なれるよ」と当時の恩師に言われたのがきっかけで、「吹奏楽の指導者になりたい」との夢が芽生えてきました。

アンコンの結果は銀賞。(曲は「文明開化の鐘」)


高校2年生の冬、とあるコンサートで夢を確信。

春に後の師匠と出会い、この方に学びたいと決意。


高校3年生の初夏、特待生試験に合格。


冬には初めてのソロコンテスト。

無伴奏で1分30秒の独奏曲「侍」で出場。前半の部でベスト10に入賞。


そして、翌年の春にESA音楽学院に入学し、本格的に音楽の道へと進み始めました。


入学してすぐに、消防音楽隊の演奏の仕事をさせて頂きながら、何度も失敗や挫折を繰り返した後、公務員音楽隊志望からオーケストラ奏者への道へ進みたいと進路変更。


指導者からプレイヤーへの道に向けて進んでいましたが、やはり現実はそう甘くなく、卒業してすぐに消防の臨時職員に就職。1年間、事務の仕事と音楽隊としての演奏の仕事に従事しました。

またこの間に中学の恩師から声をかけて頂き、母校の吹奏楽部外部指導者に。指導者としての第一歩を踏み出しました。


消防を退職後は、半年ほど家業を手伝いながら、オーディションを度々受けるも落選。

とりあえず社会人を経験しようと、たまたま前職のサービス業の求人にひっかかり就職。


そこから約2年半、平日は社会人、土日は吹奏楽指導の仕事を主にしながら生活しました。


2016年秋、退職を決意。

指導校の為に初めての作品、「神秘の滝〜4つの情景〜」(金管8重奏)を作曲。アンサンブルコンテストで初演してくださいました。


2017年1月、フリーランスとして活動を開始。


1年目、生計が立てられないほど、全く仕事が無いところからのスタートでしたが、

春から毎月のように新しい学校との出会いがあり、初めての審査員、外部指揮者(ここから左手で指揮を振るように)、合奏指導などを経験し、スタートとしては順調な滑り出し。


2年目、ヤマハインストラクター、JBA会員に。

ソロコンテストで生徒が関西大会へ。

この年も指導校が毎月のように増えましたが、自分のキャパオーバーと、指導者としてのスキルの低さを身をもって実感。

猛省し、毎日のように図書館に通って勉強。

指導者としてのスキルアップの為に、トロンボーンとも改めて向き合い、練習の日々。


好きを仕事にする難しさを感じました。


3年目、年初から色んな新しい仕事、出会いと別れ。

春、運命を変える一本の電話。

5月11日、小さな夢が叶い、箕面市部活動指導員、外部指揮者に。

初めての部活の運営。生徒指導。音楽指導。指揮。

コンサート、コンクール。

今まで知らなかった難しさ、悔しさ、楽しさ、喜びをたくさん知れました。

夏、金管5重奏で初めてのコンサート。計12曲。

また、指導に携わった学校が(現在は携わっていないところもありますが…)小学校から大学まで、累計30校を超えました。


そして、現在へ…

吹奏楽と出会って、約14年が経ちました。

色々ありましたし、もちろん今も色々ありますが、毎日充実した、楽しい日々を過ごしています。






もしここまでお読み頂いた方で、自分の将来に対しての不安や悩みがある方に、少しだけ僕の想いをお伝えしたい。






この歳になって思うのは、「才能やお金が無くても、夢さえ見失わなければ、いつかそれが実を結ぶ時がくる」という事です。


残念ながら裕福とは縁の無い人生でしたので、音大受験に必要な準備は全く出来ず、ピアノも「猫踏んじゃった」すら弾けないですし、今もずっと奨学金を返してますし、自分の楽器を持ったのも20歳を過ぎてからでした。(特待生試験も借りた楽器で受けました)


また、特別な才能や高いセンスが僕にあった訳でもありません。

少しあげるとしたら、ゲームが得意だったぐらいです(笑)


そして今も、将来に不安が無い訳ではありません。今後のやりたい事、望んでいる事にはまだまだ乗り越えなければならない事、勝負していかなければならない事が、たくさんあります。自分のスキルアップも必要不可欠です。


ただ、自身がこだわった事があります。

それは「自分の夢を周りに語り続ける事」です。


ここからはあくまで僕の持論です。


人というのは小さな点に過ぎませんが、たくさんの点と繋がって面になっていきます。

同じ思いを共有できる人とは、お互いに刺激されあい、集まり、そして拡がって、大きくなっていきます。

出会う人の中には、全く別の世界の考え方があったり、自分とは違う価値観をお持ちの方もいると思います。

そして、それはそれで、その人にとっての面があると思います。

また、その人ともどこかの点で繋がっているかもしれない…


これは、出会った人全てと仲良くしようという訳ではありません。

食べる物に好き嫌いがあるように、人と人との付き合いにも相性があると思うので、誰とでも仲良くするのは難しい事だと思います。


ですが、自分のやりたい事を語り続けていれば、行動し続けていけば、思いもよらぬ方面から、きっかけが生まれる事もあります。


だからこそ、情熱を注いで一生懸命にやる。他人に笑われても、けなされても、続ける。

そうしていれば、味方や仲間になってくれる人が必ず出てきます。

僕もたくさん救われてきました。

そこにお互いの「思いやり」や「感謝しあえる仲」が生まれるんだろうと思います。


これはきっとどんな職種においても、はたまた学生さんでも同じだと思います。


「夢」を持つ。やりたい事を見つける。それに向かって情熱を注いで一生懸命にやる。


当たり前のようで難しいですが、是非一歩目を踏み出して頂ければ幸いです。






最後に、僕の今後に向けての決意。


僕が最終的に目指すのは「日本一の吹奏楽指導者」です。


「吹奏楽コンクールの全国大会に指揮者として出場する」

「大きなホールで満席のコンサートをする」


これも夢の一部ですが、あくまで目標であり、一つの目安です。


それ以上に、

「自分の好きな事・ものを、たくさんの人に知ってもらいたい」

つまり「日本の吹奏楽文化の発展」です。


めっちゃデカ口叩くやんけ!って思われるかもしれません😅


今、ありがたい事に、様々な場所で指導に携わらせて頂いています。

中には、未開拓の地…吹奏楽の文化が浅い地域もあります。


そんな場所にも、吹奏楽の楽しさを伝えたい。


TV越しにみた、憧れである屋比久先生や、「アルメニアン・ダンスを吹奏楽の第9にしたいんや!」と語る丸谷先生、吹奏楽・愛をオーラで感じる藤重先生、吹奏楽の醍醐味を常に発信し続ける梅田先生のように、だれかの心に響くような指導者になりたい。


だから、これからも吹奏楽に没頭し続けたいと思います。


ちなみに明日は、僕の大好きな生徒達が、小さなコンサートをします。

お客様は、彼らにとってはおじいちゃんやおばあちゃんの世代。


若き「音楽家」達はどんな演奏をしてくれるかな😊


お付き合い頂き、ありがとうございました。