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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

最後の皇帝21-皇帝アルジェリア侵攻失敗

2019.12.24 02:43

人生は計画通りにはいかない、皇帝カールの予定ではレーゲンスブルクの帝国会議で、新教諸邦と和解し、共にイスラムを討つはずだった。ところが会議は失敗し、冬の季節風が吹きだす1541年10月になって地中海をアルジェリアに南下するはめになってしまった。

提督ドーリアの反対を押し切って、アルジェ要塞に到着、上陸部隊が包囲した。しかし4日もすれば、また暴風雨が吹き荒れ、湾内の艦船座礁、残りは衝突を避けるため湾外に避難。こうなっては士気もあったものではない。結局カールは撤退命令をださざるを得なかったのである。

カールは海戦の失敗で、地中海の制海権を失ってしまった。翌42年スペインに戻ったカールに待っていたのは、例のフランスの開戦準備の報だった。フランソワ1世は、今回はデンマーク、ノルウェーの新教国と結び、オスマンと連合艦隊を作り、イタリアではヴェネツィアをけしかけた。

仏王は全兵力を5つに分け、王太子アンリが4万の兵でスペイン侵攻、三男オルレアン公シャルルが、3万でルクセンブルク、ヴァンドーム公シャルル・ド・ブルボンがフランドル地方に侵攻するという全面攻撃を計画していた。7月10日、ついにフランスが宣戦、両者は最終戦に突入するのである。

下はアルジェ要塞