最後の皇帝22-皇帝、仏王引き分け
2019.12.27 01:41
1543年秋、ついにフランス・オスマン連合艦隊が当時帝国領だったニースに上陸を開始。すぐにミラノから帝国軍が救援を送ると、挟まれるのを怖れた連合軍は撤退した。しかし後に残されたフランスの百合、トルコの三日月の旗を見て、帝国軍は唖然とした。
仏、帝国両軍は一進一退の状況で、翌44年2月、皇帝カールはシュバイアーに帝国議会を招集し、戦費追加を求めた。もちろんプロテスタント諸侯から条件がつく。そこで皇帝は、「公会議で宗教問題が決着するまで」という条件付で、新旧教の同権を一時的に承認した。
44年初夏、戦費調達が成った皇帝は5万の軍を揃えフランスに侵攻、国境とパリとの中間にあるサン・ディジエ要塞を包囲した。ここを守るサンセール公は包囲に5週間耐え抜き、秋まで持ちこたえた。そして9月18日国境の町クレピィで和平会議がもたれた。
「クレピィの和」では、またしてもフランスのイタリア放棄、仏王の教会統一が誓約された。三男オルレアン公とカールの娘、または姪の婚約が決まり、結婚成立時にミラノまたはネーデルランドを与える、との口約束もなされた。しかしカールはこの頃から「高慢な敵には力で」と考えるようになる。
下はサン・ディジエの記念碑