映画『ラストサムライ』
お昼時の喫茶店で、会社員と私との話です。
会社員A:今度、映画の友の会の飲み会があるんですよ。
私:そうですか。 それはどんな会なのですか?
会社員A:昔、映画の好きな人が集まった会が今も続いているのですよ。
今では実際には一緒に活動しているわけではないのですが。
同じ仲間で時々会うのですよ。
私:昔はどのような活動をしていたのですか?
会社員A:当時、池袋の映画館に会員と一緒に映画を見に行ったりしていたのですよ。
私:そうですか。最近ではどんな映画を見たのですか?
会社員A:ラストサムライを見ましたよ。
会社員B:あれは良い映画でしたね。感動しましたね。
私:渡辺謙がアカデミー助演賞にノミネートされましたね。
会社員B:渡辺謙だけでなく、真田広之が口数は少ないが又、格好良いのですよ。
私:そうですか。トムクルーズがアカデミー主演賞にノミネートされていないという事は
渡辺謙が主役の座を奪ったようなものですかね。
会社員B:そうかもしれませんね。 女優の小雪も又良いのですよ。
私:そうですか。かねがね、私も映画館で見よう思っていたので、早速行ってみましょう。
翌日の土曜日に私は朝一番で新宿の映画館に行ったのでした。
映画館で映画を見るのはタイタニックの映画以来でした。
それまではマトリックス、ロードオブザリング、ハリーポッターなど人気映画をビデオで楽しんでいたのでした。
アカデミー賞にノミネートされたせいか、多くの観客がつめかけていました。
映画の始まる前はテーマ音楽が静かに流れ、久しぶりに心がワクワクしました。
日本が舞台であるにもかかわらず、最初はアメリカが舞台でした。
インディアンが新興のアメリカ軍隊に武力で無残にもやられてしまうシーンでした。
しかも、上官の命令で罪のないインディアン婦女子までが殺されて全滅してしまうのでした。
とても、やりきれない感じでした。
(主役のトムクルーズ役もこの上官に人間愛の観点から許せないのでした。)
しかし、このことでインディアンが日本のラストサムライに当たるという二重写しになっていたのでした。
シーンは変わり、時と場所は明治時代の日本です。
しかし、同じ日本人であっても、武士たちの不平不満は募っていたのでした。
明治天皇に忠義を誓う武士までが時の明治政府の急進的なやり方を許せないのでした。
明治政府は早く日本の近代化を進めなければ、諸外国の植民地にされてしまうという危機感がありました。
ですから、古い文化、しきたり、制度を捨てて、新しい文化、科学化、近代化を進めることが急務であったのでした。
ここに、古いものと新しいものとの軋轢が生じるのは当然でもありました。
現在の混迷時代でも、同じ事が言えるでしょう。旧来の制度、恩恵を守ることを重視すれば、日本は世界の中で経済的に沈没してしまうかもしれません。しかし、現在の政治の世界では改革派と守旧派とが争い、改革派が圧倒的に有利とは言えず、改革のテンポは緩い状態と言えるでしょう。
現代の日本人の精神性
現代の多くの日本人の心を占めている主体的な精神性は何でしょうか?
日本にはさまざまな宗教があります。
これらが日本の大多数の精神性を占めているのでしょうか?
神道、仏教、キリスト教、イスラム教など古来の宗教、そして新興宗教
が宗教としてあります。
しかし、政治と宗教の分離がうたわれている以上、広く政治的、経済的、社会的な
面で宗教が江戸時代から現代の日本人の精神性の多数を占めているとは思えません。
江戸時代から昭和の掛けて日本人のリーダーの精神性を占めたのは武士道でした。
武士道こそ、江戸幕府の重臣、武士の精紳的の規範だったのです。
では武士道の源は何でしょうか?
それは儒教です。江戸幕府は儒教を政治の中心的な思想として、普及させたのでした。
赤穂浪士の四十七士の面々が多くの人の嘆願にもかかわらず、最終的には切腹せざるを得なかったのは
当時の儒学者の考えが将軍の最終決断に大きな影響を与えたと思います。
そして、儒教が明治時代にかけての日本の優秀なリーダーを育てたのでした。
江戸時代に本当に優れた儒教学者がいたお陰で、明治維新が成し遂げられたと思います。
明治時代に活躍した多くの維新達は儒学者吉田松陰に影響を受けています。
(現代でも、小泉首相は重臣達の心得として、儒学者佐藤一斎の教えを紹介しています。)
この儒教の中心的考えは昭和の終戦まで続きます。
太平洋戦争の最終段階での若き隊員の特攻隊は天皇に死をもって、忠義を尽くす武士道精神の現れとも言えます。
戦後の日本人の大多数の精神性を占める思想として儒教に代って、アメリカからもたらされた民主主義をあげられます。
マルクス、レーニンによる共産主義や、社会主義は現代では全世界で、現実の世界でうまくいきにくい事が実証されつつあります。(旧ロシア、文化大革命時代の旧中国など)
では民主主義は戦後突然と日本人の思想となったのでしょうか?
そうではありません。実は明治時代にその芽生えがあったのです。
福沢諭吉をはじめとする当時の啓蒙思想家が日本人のリーダーづくり、日本人の思想に大きな影響を与えたのでした。デモクラシーを民主主義と訳して、紹介したのが福沢諭吉でした。
ですから明治から昭和にかけての時代は儒教と民主主義のミックスの時代であります。
しかし、民主主義の思想は一部のリーダーのものであり、儒教が民主主義よりも勝っていた時代です。
ですから、『菊と刀』を著わしたルース・ベネディクトは当時の日本人の精神性を『恥の文化』と喝破しています。すなわち、日本人は他の人の非難や蔑み、恥をかくことを恐れて、自らの行動を決定する。
武士道の名誉の考えの裏返しであり、同じです。
戦後には民主主義が大衆の思想となり、儒教は急速に衰えていきます。
現代では孔子や孟子などの儒教を教えている所は僅かでしょう。
小説家、三島由紀男が心酔した陽明学などは現代でも参考になることは多いのですが。
(知っていることと行動することは一致させなければいけない。
知っていても、行動しなければ、知らないことと同じ。
例えば、人を愛することが大事だと知っていても、人が困っている時に助けなくては知らないことと同じ。)
民主主義の根本は全体主義の反対であり、個人の精神的な独立が大切です。
独立自尊の精紳こそ、民主主義の基本です。
個人を大切にするからこそ、リンカーンの人民の人民による人民のための政治、三権分立、多数決、ベンサムの最大多数の最大幸福の思想が成り立ちます。
個人をともすると軽視しがちな全体主義、軍国主義、民族主義、国家第一主義、会社第一主義、団体第一主義、宗教第一主義には気をつけなくてはなりません。
しかしながら、個人を重視するあまり、利己主義に陥るのは本末転倒です。
自分さえ良ければ、他人はどうであってもよい。
自分の国さえ良ければ、他の国はどうであってもよい。
こんな考えが世界に通用するはずがありません。
世界平和のため、民主主義をしっかり堅持しながら、
超近代的、科学的、先進的な世界で、武士道精神を忘れない精神性。
これが、現代日本のみならず、世界の人の精神性であってもらいたいものです。
だからこそ、映画『ラストサムライ』が現代によみがえって来たのでしょうか?
これが映画『ラストサムライ』の作者、監督、出演者の伝えたいメッセージだったのでしょうか?
患者への付き添い
幼児との会話
2004年3月
テレビのインタビューでの事です。
鳥インフルエンザの影響があって、ある動物園で、鶏との触れあいが中止となったのでした。
これは父兄が心配し、動物園に中止を要請したからでした。
アナウンサーが女の子に質問していました。
アナウンサー:鶏と触れあいが出来なくなって、さみしくないですか?
女の子:とても、さみしいです。
すると、横から男の子がテレビ画面に頭を出し、言いました。
男の子:でも、ヤギとなら触れあえるよ。
女の子は男の子をたしなめて、言いました。
女の子:そういうことじゃないでしょ!
男の子は又、横からテレビ画面に頭を出し、言いました。
男の子:豚もいるよ。
私はこのインタビューを見ていて、幼児の会話とは言え、その中に人生の大切な真理が隠されているように感じたのでした。
女の子はアナウンサーの質問の意向を適確に捉え、回答しています。
一方、男の子は茶化して、的外れな対応をしているようです。
私はこの対応に二つの代表的な考え方がはっきり現れたように感じたのでした。
受身的な考え方(女の子):起きた悲しい現象に素直に感じ、寂しさの世界に浸る。
能動的な考え方(男の子):起きた悲しい現象を脱却し、代替の楽しさの世界に浸る。
幼児の会話を大人の会話に転換すると次のようになるでしょうか?
会社が終わって、居酒屋でのサラリーマン達の会話です。
うわさで部下の女性の失恋話を聞いた上司が彼女に聞きます。
上司:失恋して、とても寂しいでしょう。
彼女:ええ、とても寂しいです。今でも彼との楽しかった付き合いを忘れられないのです。
同僚の男性:A君も失恋したばかりだよ。 素敵な彼と付き合うチャンスだよ。
彼女:そういうことじゃないでしょ。
同僚の男性:B君も君に好意を抱いているよ。
ビュティフルマインド
2004年2月
成功の秘訣の一つは脇目もふらずに、一つの事に集中することか。
これは私が最近、ビデオで見た感動作品です。
最後には涙が出て来たのでした。
主人公は大学生の頃から数学の得意な学生でした。
そして、大学に残り、更なる研究を続けたのでした。
彼の最大の関心事は数学あるのみでした。
ですから、社会的な面での適応には問題がありました。
単刀直入に、センスなく、ものを言うタイプでした。
それでも、彼を理解する女性と巡り合い、結婚出来たのでした。
彼は若くして、均衡論を著わし、数学以外の世界にも影響力を与えたのでした。
しかし、あまりにも日夜、数学に熱中するあまり、ストレスと過労から幻覚、幻聴に悩まされる事になったのでした。
最初はそれを彼は幻覚、幻聴と思わず、本当の事と思ったのでした。
彼はCIAに極秘に頼まれ、暗号解読に熱心に励んだのでした。
ところが、彼の目に映る親戚の少女が何年たっても、成長しないので、これが幻覚である事に気が付かされたのでした。彼は病院で統合失調症と診断されました。薬の投与が始まりました。
後年になってようやく回復の兆しが見え、彼はリハビリに励み、友人の助けでプリンストンン大学の図書館を借りることが出来たのでした。
そこに、自宅から毎日通い、数学の研究に励んだのでした。
彼は自分が研究する事が好きで、人に教える事は得意ではありませんでした。
しかし、若い学生に懇願され、徐々に学生に教える事になったのでした。
そして、遂には高齢にもかかわらず、教壇にも立つようになったのでした。
でも、これでドラマが終わってしまうのか?
そう思った時点で私にとって、ドラマは意外な展開となります。
彼の数学理論の社会的な業績が認められて、彼がノーベル賞をとることになったのでした。
そして、大学の喫茶室で多くの教授から尊敬の印として手持ちの万年筆を与えられたのでした。
私はこの画面で涙が出て来たのでした。
一部の人から精神病のように思われながら、ノーベル賞受賞を境に彼の数学に対する純粋な心(ビューティフルマインド)が多くの人の心を開いたのでした。
実は会社にも、家庭にもそのような人は珍しくありません。
実力がありながら、社会的な適応力の面で低く評価される点が否定できないのです。
専門職か、総合職か。
専門職は会社のトップには登りにくい傾向があります。
専門の事しか分からない人を専門バカといって、けなしているのか、尊敬しているのか、分からない言葉もあります。
これは人間の見方にも繋がってきます。
専門的で、かつ巾広い人が良いのですが、そのような人はごく、僅かしかいません。
では多くの人をどのように見れば良いのでしょうか?
人は人の欠点を見て、批判し、さげすむ傾向があります。
居酒屋とかで、話の種にするようなこともあります。
しかし、これでは多くの人が救われないのです。
人は人の良い点をみて、誉めることがよいのです。
社会正義より人間愛が大事。 これが私の最近の心境です。