宝石
我が子が旅立ってから二回目の年の瀬だったと思います。
その年もめげずに? 毎年亡き子と撮影会と称して楽しんでいた各地のイルミネーションを(亡き子を偲びながら一緒に)観て歩こうと、仕事帰りに近場の街角を歩いていた時でした。
突如横から、
「すみません、〇〇書店はどこですか?」と尋ねられたのです。
見ると、私とやや同年代の母親とその娘さん(たぶん亡き子と同い年くらいの中学生)(制服を着ていました)でした。
……なんだこのシチュエーションは……!
年末、せわしなく煌びやかな街角で、よりによって同年代の親子連れに声をかけられるとは……、出来過ぎた運命の悪戯か、神様の意地悪かと一瞬ギョッとしましたが、自分でも驚くくらい冷静に、しかも明るくフレンドリーに道案内をしていたんです(;゚Д゚)。
ダテに二年弱過ごしてきたわけじゃないんだなと、この時思いました。
私なりに、このとてつもない大きな悲しみを抱えながらでも歩けるようなメンタルに鍛えられてきている!?
なぜならもし一年目に同じようなことがあれば、無視して逃げるように走り去ったか、その場で石のように固まってしまうか、もしくはなんとか道案内できたとしても、その後ぐずぐずと泣きながら帰ることになっていたでしょう。
悲しみは無くならない。
その大きさ、深さも変わらない。
けれど、自分自身が変化してきている。
そしてもう一つ。
まわりの親子連れや幸せそうな家族が眩しくて羨ましいのではないということにも気づきました。
道を尋ねてきた親子に対しても、そういう感情はこの時なかったと思います。
だから、戸惑うことなく対応できるようになっていた?
考えてみれば“別の人間”の“別の人生”です。
私はそれが(親子一緒にいる姿が)羨ましいのではなく、それを見て思い出す、(我が子がこの世で生きていた時の)あの頃の自分自身が一番眩しくて羨ましいのだと気づいたのでした。
この日を境に、そこかしこで見かける『一見幸せな人々』を一呼吸おいて客観視できるようになりました。
季節ごとにある、騒がしい行事に浮足立って見える人々の姿に、必要以上にネガティブ思考に陥ることはない。
私が一番羨ましいのは、あの頃の自分なのだ。
世の中には、そういう思い出が持ちたくとも持てない人々だっているのじゃないか。
宝物の宝石のように輝く思い出を持つことができた今の自分は、悲しい事にはなってしまったけれど、時々そっと取り出して思い偲ぶことができる、決して不幸ではないのじゃないか、と。
今年で三回目になるこの時期。
悲しいご縁とはいえ、自死遺族の集いを通して出会い交流してきた天使遺族さんたちと一緒に、先日ほんの少しだけ遠出して、自分の中では地雷ともいえる“光のイベント”を観に行く時間を持てました。
それぞれの亡き大切な人も一緒に連れ立って参加しているような思いからか、参加者数も倍に感じたりもして(^^)。
(同じようなことが“わかちあいの会”でもいえますね、亡き大切な人も一緒に参加しているような感じ)
この日は、虚しさ悲しさよりも、僅かにですがエンジョイする気持ちの方が上回った貴重な時間になり、本当に有難かったです。
一回目、二回目の年の瀬とは少し違う、新たな良い時間、思い出を更新できたことに心の底から感謝します。
こうして、なんとか……なんとか、生き続けてこれた2019年を振り返り、たまには少し自分自身も労ってあげようと思います(^^)。