佐渡ヶ島紀行
2泊3日のバスパック旅行で人生の縮図を見る。
新宿から出発
2006年の8月下旬に妻と二人で佐渡ヶ島へパック旅行に出かけたのでした。
最初の計画は東北に出かける計画でしたが、参加人数が不足して、不成立になったためにかねてから行きたかった一つである佐渡ヶ島に変更したのでした。
現在では市町村合併により、佐渡ヶ島は佐渡市となっています。
以後、佐渡ヶ島を略して佐渡と呼びます。
私たちは東京の新宿駅に8時に集合し、バスで新潟に向かったのでした。
東京から新潟まで300キロ以上あります。
バスは2階建てで、なんと私たちはその2階の一番前に座席が指定されていました。
こんなことは初めてです。 前面はオールガラス張りで、左右もガラス張りです。
まるで地上にいる飛行機のパイロット席にいるような感じです。
新潟までの途中で広い田んぼや畑を見ることができますし、遠くの山々をパノラマのように見ることができます。 そして、前面の道路が直線の場合、遥か遠くの地平線まで続く道路を見ることができたのでした。
私は今まで、目的地までのバスの中では眠ったり、本を読んだりしていましたが、今回ばかりは眼前に広がる光景に目を奪われ続けたのでした。
新潟港から佐渡へ
新潟港には順調にバスが到着しました。 予定よりも早く着きすぎたので、佐渡へのフェリーに乗船するまで、1時間から2時間近くまでの余裕の時間が与えられたのでした。
バスの添乗員からは船着場の8階の展望台や、北朝鮮から大型船の船着場をごらんになってはいかがですかと言われたのでした。
私たち二人は早速、8階の展望台に行こうとしたのですが、一緒に同行させてほしいと二組のメンバーが申し出たのでした。
しかし、8階からの展望は私としては不満でした。
なぜなら、かつて会社の出張で新潟に来たときに朱鷺メッセに行ったのですが、もし都庁のビルのように高層の展望台があれば、行ってみたかったからです。
しかし、その時は仕事なので、行けませんでした。
私は船着場の案内所で聞きました。
私:近くの朱鷺メッセには展望台はありますか?
案内の女性:はい、あります。
私:それは無料ですか?
案内の女性:はい。そうです。
私たち、6人は引き続き、朱鷺メッセのビルに向かったのでした。
あいにく、雨が降っていましたので、荷物を持って、5分くらい歩くのは少し、負担でした。
朱鷺メッセの31階に展望台はありました。 今度は素晴らしいパノラマが楽しめたのでした。 近くの新潟市内、遠くの新潟の自然の光景を見ることができたのでした。 一緒に来たメンバーは私の案内にとても喜んでくれました。 ただ、雨なので、残念ながら、佐渡を見ることはできませんでした。
近くでボランティアと見える人が車椅子の人に言っていました。
ボランティア:晴れた日にはこちらの方向に佐渡が見えるのですよ。
車椅子の人車椅子の人:そうですか。 雨で見えなくて、残念ですね。
ボランティア:今度来たときに、見れると良いですね。
予定の出発時間になったので、私たちは佐渡行きのフェリーに乗船したのでした。
その時、さっきのメンバーの二人と船の3階のフロアーで一緒になったのでした。
そのメンバーは年配の女性でした。 そのうちの一人が私に話しかけてきました。
女性:どこからいらしたのですか?
私:東京の世田谷からです。
女性:そうですか。 あそこに市が開かれるそうですね。
私:そうです。ボロ市と言って、12月と1月の年2回、開かれます。
女性:そうですか。 私は葛西に住んでいるのですが、一度、その市の日に行ってみようと思っているのです。
私:そうですか。
女性:ところで、どう行ったらいいのいいのですか。
私:そうですね。 渋谷から東急の電車でまず、三軒茶屋で降ります。
次に世田谷線で、上町で降ります。 そうすると、すぐ近くで市が開かれています。
そのときは相当の混雑なのですぐにわかります。
女性:そうですか。古い臼が壊れたので、それを見物がてら、欲しいと思っているのです。
私:そうですか。 植木や骨董品などが販売されていますよ。
女性:あなたはお若いようですね。
私:そうでもありませんけど。
女性:私は71歳ですけど、夫が亡くなった後、こうやって、知り合いと旅行を楽しんでいるのですよ。
私:そうですか。 お若く、見えますね。 旦那様はおいつくで亡くなったのですか?
女性:61歳です。
私:お若いときに亡くなったのですね。 何が原因で亡くなったのですか?
女性:胃がんです。 仕事、仕事で忙しかったのですが、自覚症状が出て、病院にいったら、もう手遅れだったのです。
私:定期健診はしていなかったのですか?
女性:それが忙しいのと、健康に自信を持ち、健康診断がいやで行かなかったのです。
私:そうですか。 若くして、亡くなられて残念だったでしょう。
女性:そうですね。 年金ももらわないで、これから老後を楽しめる段階で亡くなって、本人も残念だったことと思います。
私は9月には63歳になるので、この話を聞いて、人ごとではない感じがしたのでした。
その人の人生は仕事、仕事で終わってしまったのか。
その人は仕事の人生で楽しみがあったのか?
私は自分の仕事、仕事の人生と比べて、感慨深いものがありました。
自分は今、死んで、悔いのない仕事の人生だったと言えるのか?
それとも、悔いの残る無念の人生と言えるのか?
自分のやり残したものとは何か?
女性との会話が終わった後、夫婦で船の甲板に行ったのでした。
すると、船の周りに沢山のカモメが飛び交っていました。
一人の女学生が指にカルビーのカッパエビセンを持っていました。
すると、カモメがやって来て、そのカッパエビセンをうまくキャッチして、飛んで行ったのでした。 彼女は又、カッパエビセンを取り出して、同じことを続けたのでした。
私たちはびっくりしました。
私は彼女に聞きました。
私:指をカモメに噛まれることはないのですか?
彼女:たまにはありますけど。
私:すごいですね。 怖くないのですか?
彼女:スリルがあって、面白いですから。 カッパエビセンでやると、カモメが寄ってくると聞いていたので、やってみたのです。
その後、船室に戻って、昼寝をしたのでした。
そして、いよいよ、新潟港から2時間40分たって、佐渡の両津港に着いたのでした。
(旅行の後で分かったことですが、実際はカモメではなくて、正しくはウミネコだったのでした。 よく、似ていますよね。)
2日目
二つ亀、大野亀
佐渡の北に位置する二つ亀の見物に行ったのでした。
これは二つの地続きの島なのですが、まるで二つの亀が寄り添っているように見えるのです。
そして、この近くに大きな亀に見えるもう一つの島があり、これも見学したのでした。
このときに一人旅で来ている中年の女性から、写真を撮ってくれないか、頼まれたのでした。 私は快く、彼女の使い捨てのカメラで、写真を撮ってあげたのでした。
女性:どうも,有難うございました。
私:どういたしまして。
女性:私は女だけの家で、嫁に行きたかったのに、母の言いつけで婿をもらったのですよ。
彼女は私が何も質問もしないのに、言い始めたのでした。
私:そうですか。
彼女:なにか家業をしている場合はわかりますけど、なにも家業もしていないのに、婿をとらなくてはいけないなんて、不本意ですよね。
それだけではないのですよ。 母の具合が悪くなってきて、母の面倒を何年も看たのです。 母はどこにも旅行にいかずに、私に面倒をかけっぱなしで亡くなったのですよ。
そして、夫に尽くしたのですが、男は好き勝手なものですよ。
もう、男なんて、たくさんです。
私:そうですか? それで、一人旅をなさっているのですか?
彼女:そうなのです。 これだけ、人の面倒を看てきたのですから、もう、私の好き勝手をしても良いでしょ。
母のように、どこにも行かない人生なんて、私には耐えられません。
私:そうですね。 私の場合も、定年後にどこにも行かない、祖父や叔父の姿をみて、
そう思いましたからね。 祖父や叔父は毎日、テレビを見て、新聞を読むことを日課としていましたから。 定年後といえども、健康の場合、それだけの人生では寂しいですからね。
彼女は一人旅立ったので、女性の添乗員と一緒に食事をしたり、会話をしたりしていました。 そして、どこに行っても、何かを食べたり、飲んだりしていました。
やけ食い、やけ飲みのためか、彼女は肥満体でした。
そして、どこでも、土産物を沢山買っていました。
彼女:私は知り合いが多いので、旅行に行った時は沢山、買うの。 でも、これを配るのが大変なの。
帰った後、宅急便で配ったり、人に頼んだりで、更にお金がかかるのよ。
私:そうですか。 大変ですね。
私はここでも一人の女性の人生を垣間見た感じがしたのでした。
佐渡歴史伝説館
佐渡にまつわる伝説を電動人形でみせる館でした。
一体の人形芝居が5000万円もするとのことでした。
内容は次のようなものです。
順徳天皇にまつわるもの
日蓮上人のもの
世阿弥のもの
以上は佐渡へ島流しになった経緯を絵巻物のように描いた自動の電動人形劇です。
世阿弥の顔が一瞬に能面になる場面では見物客が言っていました。
見物客:まるで、ミスターマリックのマジックのようだな。
能面は無表情に見えますが、実は能面を動かすことで表情がでるのです。
能面を下に向ければ、悲しい表情になり、上に向ければ笑う表情が出るといわれています。
私はここの世阿弥の人形は本当に良くできた人形だと思いました。
佐渡では世阿弥の影響のためか、能が盛んに上演されるそうです。
その他に次の演目がありました。
夕鶴伝説。 これは鶴が美しい娘になって、北国の若者の嫁になる話を電子人形劇にしたものです。
おけさ伝説
おけさというのが猫の名前と知って、びっくりしました。
『佐渡おけさ』という民謡があるが、美しい娘に化けた猫の名前だったのか。
バスのガイドが次の話をしてくれました。
江戸の昔、正直でお人よしの蕎麦屋の主人は人にだまされて、貧乏になってしまいました。 そして、商売はうまく、いきません。
このままでは生活を続けることができず、困ってしまいました。
彼はそれまで大変、飼い猫をかわいがっていました。
その猫がいなくなった後のある日、美しい娘が蕎麦屋を訪れました。
そして、蕎麦屋を手伝い、毎晩、今まで見たこともない美しい舞をまったのでした。
これが評判になり、蕎麦屋は繁盛したのでした。
その娘の名はおけさと言っていました。
そして、後になって、そのおけさに化けたのが、主人がかわいがっていた猫であったことがわかったのでした。
この猫が娘になって、舞ったのがあの有名な佐渡おけさです。
この話は何を物語っているのでしょうか?
恩返しのお話なのでしょうか?
安寿伝説。
私は事前に『安寿と厨子王伝説』を調べていったので、この人形劇を楽しみにしていました。 しかし、あまりにもあっさりしたものだったので、がっかりしてしまいました。
私の期待があまりにも大きすぎたためでした。
森鴎外の『山椒大夫』はあまりにも、有名ですが、これは民話として伝わる幾つもの『安寿と厨子王伝説』をベースにしたものです。
定説は次のようになっています。
九州にいる無実の父をたずねて、母と安寿と厨子王の親子は福島から旅だったのでした。
ところが、途中で親切な態度で近づいてきた山椒大夫にだまされて、母は佐渡へ、安寿と厨子王は奴隷のように、こき使われたのでした。
厨子王:お姉さん。こんなに苦しいのなら、もう死にたいよ。
安寿:それじゃ。二手に分かれて、逃げ出しましょう。
安寿は山へ、厨子王は海の方向へ逃げたのでした。
厨子王は何とか、追っ手から逃れたのでしたが、厨子王は山中で死んでしまったのでした。
逃れた厨子王は武士に拾われ、その後の精進で出世したのでした。
一方、佐渡に行った母は苦労の末に、とうとう目が見えなくなってしまったのでした。
母は目が見えなくなっても、いつも安寿と厨子王の安否を心配していたのでした。
武士として、立派になった厨子王は山椒大夫を打ち倒し、佐渡で、母との再会を果たしたのでした。
グリム童話のベースになったドイツの民話が残酷であったように、この民話にも別の残酷な話があったのを知って、私は驚いたのでした。
安寿は実は死んではいなかった。 生きて、山中を生き延びて、佐渡にいる母に会いに行ったのです。 ところが、すでに母の目は見えない状態になっていました。
安寿は自分が本当の娘であることを母に言うのですが、だまされ続けた母は信用しません。
とうとう、安寿は悲しみのあまり、嘆き悲しんで自殺してしまいます。
その後、母が彼女こそ本当の娘だったことを知り、今度は母が悔悟の念にかられ、嘆き悲しみます。
そして、母も嘆き、悲しんで死んでしまうのです。
なんと救いのない、悲しい物語でしょう。
ですから、森鴎外はこの民話を採用しなかったのでしょう。
そして、又、別の民話はこうです。
厨子王が山椒大夫を刀で切りつけた時、首から血潮が噴出したのでした。
その時、安寿が近づき、薬草をつけて、延命を図ったのでした。
しかし、これは山椒大夫を助けるためではありませんでした。
より、長らえて、もっと苦しみが続くようにとの対応でした。
怖い話です。 それだけ、山椒大夫への恨み、つらみが重なっていたのでしょうか?
私はこの話こそ、人生の真実を語っているようで考えさせられたのでした。
中国の孔子や孟子が言うように、人間の性は善なのでしょうか?
それとも、荀子が言うように、人間の性は悪なのでしょうか?
私は思います。 人間はすべからく、善と悪を併せ持つ存在であると。
だからこそ、悪事には罰と許しを、そして、内なる良心と愛にもとづく善なる行動の促進が必要と考えるのです。
ジェンキンスさんに会う
佐渡歴史伝説館を出ると、そこはみやげ物店でした。
なんと、そこで私たちはジェンキンスさんに会ったのでした。 ジェンキンスさんは北朝鮮による拉致被害者の曽我さんの夫です。
私たち二人はジェンキンスさんと握手し、ビデオに撮ったのでした。
私:Nice to meet you.
これに対し、ジェンキンスさんは無言でした。
何か言うと、内外に支障をきたすことを心配しているのでしょうか?
私は少し、悲しくなりました。
私は折角なので、その店でサブレのようなお菓子を買ったのでした。
そして、それを弟へのお土産としたのでした。
尖閣湾
風光明媚な尖閣湾は映画『君の名は』の舞台となった所でもあります。
そこで、私たちは他のメンバーと一緒に遊覧船に乗ったのでした。
遊覧船では船底にガラスが張ってあり、海底の泳いでいる魚を見ることができたのでした。 ほとんどが黒い色の魚でした。
海は沖縄のように青いのに、熱帯魚のように色彩鮮やかな魚はいません。
近くにある水族館をみても、灰色に近い魚が多いのでした。
北の海はどんよりしている地上の風景と同じように、海底でもそうなのでしょか?
それでも、海の上は東北の松島のようでもあり、奇岩が続き、風光明媚な場所でした。
佐渡金山
私は江戸時代には金山の労働者は賃金もなく、奴隷のように扱われていたのかと思っていました。
ところが、ガイドの説明によれば、そうではなかったのです。
地元の労働者に相応の賃金を払って、自由参加で雇っていたのです。
しかし、過酷な労働環境には変わりがありません。 健康を害し、長くは続かなかったのです。
やがて、地元の労働者では金の採掘に支障をきたすようになって来たのでした。
そこで、江戸幕府は江戸と大阪を中心に無宿人狩りをやったのです。
無宿人とは定職をもたずに、市内をぶらぶらしている人達です。
江戸幕府はこれらの人は盗みや犯罪を犯す可能性が高いとして、治安の維持を名目に取り締まり、佐渡に送ったのでした。
そして、これらの人が佐渡金山の新たな労働者になったのでした。
刑期は3年です。 3年たてば、無罪放免になるのでした。
しかしながら、過酷な労働環境のもとでは3年で亡くなってしまうのでした。
一年中働かされ、休日は年に1回でした。 そして、ほとんどが結核で亡くなったのでした。
その数は公式な発表で約2000人とのとのことです。
非公式にはその数倍あったのではないでしょうか?
私はこの事実を知って愕然としたのでした。
もし、今のホームレスを治安を維持するためと言って、刑務所に入れたらどうでしょう。
決して、そのようなことがあってはなりません。
佐渡金山の悲しい歴史は教訓として、教えているのです。
夕食での会話
ホテルでの夕食は昨日に引き続き、豪勢でとても食べきれないほどでした。
私の左隣には年配の夫婦が座っていました。
この夫はまるで、安岡正篤氏のような顔をしていて、謹厳実直の感じの人でした。
遠くからは近寄りがたいような感じでした。
しかし、実際は違ったのでした。 とても、気さくな人だったのでした。
彼は私に言いました。
彼:あなたお若いようですが、おいくつですか?
私:私はもうすぐ、63歳になります。
彼:そうですか。 私は75歳になります。
私:お元気そうですね。
彼:それが、腎臓の手術をしたのですよ。
私:腎臓は二つあるのですよね。 私の母も腎臓は一つしか機能していませんでした。
彼:私もそうですよ。
私:どうして、体をこわしたのですか?
彼:私は中小企業の役員をしていたのです。
しかし、バブルがはじけて、手形の決済に追われていたのです。
手形は切るのは簡単ですが、決済するのが大変です。
私:決済できなければ、不渡りとなって、倒産しかねないですからね。
彼:そうです。不景気になって、経営を立て直すために60人の首を切らなくなり、これが一番大変でした。 みんな、生活がかかっていますからね。
とてもつらいものでした。
それで、夜遅くまで働き、気晴らしに酒を浴びるように飲んだり、休みには取引先との付き合いもあって、ゴルフに行ったりで、365日、暇なしでした。
それで、身体をとうとう壊してしまったのです。
65歳まで会社に勤めたのですが、今では天国です。とにかく、大変な責任がありませんからね。
私:そうですか? それで、旅行をなさっているのですか。 海外もいらっしゃいますか?
彼:お金だけを残しても、しょうがありまんからね。 私は海外には行っていません。
妻が1ヶ月以上、南米のコロンビアに行っていました。
私:それはどういうわけですか?
彼:私の息子がコロンビアの女性と結婚したからです。
私の妻は先方の招待でコロンビアに旅行に行ったのです。
私も誘われたのですが、私は海外が苦手なので、留守番をしたのです。
私:息子さんはどのようにして、コロンビアの女性と知り合ったのですか?
彼:息子が大学生だったときにスペイン語を習得していて、コロンビアにホームステイに行ったのです。 そこで、テニスをしていた女性に知り合ったのです。
そして、帰国したら、彼女から、モーションがかかったのです。
彼女は日本と日本語に興味があって、彼と結婚したいと申し込んできたのです。
私:そうですか。それで、ご両親はどうだったのですか?
彼:私は猛反対でした。 しかし、どうしようもありませんでした。
私:そうですか。
彼:彼女の家はとても、金持ちです。 子供が10人くらいいて、兄弟のうち、国際結婚が多いのです。 ヨーロッパの医者や実業家と結婚したりしています。
コロンビアでは貧富の差が大きく、10%の金持ちと90%の貧乏な人でなりたっているのです。 だから、ガードマンを雇って、家を守っているそうですよ。
彼女のお姉さんはカリブ海に別荘を持っていて、私の妻はそこに招待で行ったのですよ。
私:カリブ海ですか。 凄いですね。
日本での息子さん夫妻の生活はどうなのでか?
彼:外では日本語ですが、家の中ではスペイン語で子供達と話しています。
私:それでは日本語、英語、スペイン語と3ヶ国語にご家族で堪能なのですね。
本当に凄いですね。
私は彼の第一印象とは全く違う話の展開にとても、面白く感動したのでした。
3日目
バスガイド
佐渡のバスガイドさんはとても、ザックバランの感じの人でした。
バスガイド:皆さん。昨日はよく眠れましたか?
皇太子殿下と美智子妃殿下が歩いたときの話です。
皇太子殿下が前を歩き、美智子妃殿下が後を歩いていました。
ところが、美智子妃殿下が転ばれたのでした。
そのとき、皇太子殿下は心配して、言われたそうです。
皇太子殿下:どうか、なさいましたか?
皆さん、ご夫婦でこのような会話をなさっていますか?
大阪の岸和田の人はこう言うそうですよ。
夫:何してるけつかんねん。 気をつけなきゃいかんやないか。 このどあほ。
私は丁寧語を話される団体のガイドで本当に気を使って、疲れたことがありますよ。
同じように、お客様に聞いたのです。
バスガイド:きのうはよく眠れましたか?
乗客の一人:おとこが変わって、よく眠れませんでした。
バスガイド:え。男の人が変わって、よく眠れなかったのですか?
昨日寝たのは旦那様でなかったのですか?
乗客:そうではございません。 床が変わったので、よく眠れなかったのです。
バスガイド:床に『お』をつけて、丁寧にお床とおっしゃったのですか。
それは大変失礼申し上げました。
子木でのたらい乗り
ここでのたらい乗りは日本で一つだそうです。
最初は危険だと思って、乗るつもりもなかったのですが、実際に見てみると、たらいは4人が乗れる位の大きなもので、安全だったのでした。
私は女性の船頭さんに聞きました。
私:これはどうして始まったのですか?
船頭:最初は湾内の海藻をとるために使ったのです。 それが、今では観光で有名になっています。
私:そうですか。
船頭:どうぞ、私に代わって実際に漕いでみてください。
私は誘われて、オールを使って漕いでみたのですが、前にも進まず、どうどうめぐりでした。 とても難しいのです。
バスの添乗員は後で言っていました。
添乗員:8月の半ばに私はここにお客様をご案内したのですが、そのときは観光バスが数珠繋ぎで、バスを降りたら、一刻も早く乗車券を買わなくてはならず、たらいに乗るまでが一苦労でした。
ゴールドパークでの砂金取り
ゴールドパークを入ると金箔の大黒様が鎮座していました。
これが5千万円だそうです。 かつてのふるさと創生資金1億円の使い道だったのでしょうか?
もしこれが、公金で作ったものなら、なんとも無駄使いの感じがしたのでした。
園内で砂金取の実習が行われました。 思ったよりも難しく、見るに見かねて、園内の係りの人が私に3個位くれたのでした。
トキの森公園
佐渡に沢山いたトキが遂に一羽もいなくなってしまいました。
それで、中国からもらって、育て、今では98羽にもなりました。
しかし、実際に見るのは遠くからでした。 望遠鏡を使ってもよく、見えません。
近くだと鳥が驚いて、良くないからだそうです。
人間は誠に身勝手なものです。 散々、殺しておいて、最後の最後になって、貴重な野鳥の保護に乗り出すのですから。
日本で、アイヌ人が少なくなってから、生活支援したり、アメリカでインディアンを散々追い詰めておいて、それから保護区をセットするのに似ています。
新潟港から新宿へ
帰りのバスの中での、おばあさんとの会話
新潟港から、300キロ以上離れた新宿に向かって、バスは帰路についたのでした。
新しい座席で私の隣には二人のおばあさんが座ったのでした。
私:お元気のようですね。 失礼ですが、お年はおいくつなのですか?
彼女:私は85歳です。 親戚のもう一人は80歳です。
私:足取りも速いし、本当にお若いですね。
彼女らはバスの添乗員よりも早く歩いたりしているので、私はそう言ったのでした。
彼女:特にもう一人は山梨で農作業についていますから、大変丈夫なのです。
私は国内旅行が専門ですが、彼女は海外旅行にも沢山、行っているのですよ。
私:そうですか。 凄いですね。 私が80歳や85歳になっても、そんなに海外旅行に行く姿なんて、想像もつきません。 でも、勇気を与えられました。
彼女:私は、今、裁縫に凝っているのですよ。
私:たとえば、どんなものをお作りになったのですか。
彼女:傘が古くなったのがあるでしょ。 その傘を分解して、ハンドバックを作ったのです。 なにしろ、傘は雨に強いし、丈夫ですからね。
私:そうですね。 傘の廃物利用とは恐れ入りました。
彼女:そのまま、捨てるのはもったいないですからね。
二人のおばあさんには付き添いがありません。 彼女達だけで旅行計画し、実行しているのです。
本当に驚きです。
80歳のおばあさんは新潟港で海産物を山のように買ったのでした。
お金が足りなくなって、又、バスに戻って、友達にお金を借りて、再度、市場に海産物の追加の買い物をしたのでした。
彼女は大黒様のように、大きな袋を肩にしょって、明日、郷里の山梨に帰るのです。
私は若さに年齢はないことをここでも、実感したのでした。
バスはいよいよ、新宿に近づいてきました。
バスの女性添乗員は最後に挨拶をしたのでした。
添乗員:皆さん、本当にお疲れ様でございました。
私は別の職業についていたのですが、一念発起して、この添乗員の仕事に
つきました。 不慣れな点があったことをお詫び申しあげます。
それにもかかわらず、ご協力をいただき、本当に有難うございました。
皆は添乗員のけなげな態度に感動し、熱い大きな拍手を送ったのでした。
このバス旅行費は本当に激安です。 ですから、添乗員の給料が高いはずはないと
思います。 それにもかかわらず、多くの乗客から、時にはしか叱られ、時にはクレームを言われ、たまったものではありません。
それでも、添乗員は笑顔を絶やさず、誠実に対応し続けているのでした。
私は彼女の言った『一念発起して』の言葉にひっかかりました。
彼女には人に言うに言われぬ、つらい事情・経験があったに違いない。
私は『彼女の今後に幸あれ』と思ったのでした。
バスが新宿に着いて、私が立ち上がった時、最初の日に朱鷺メッセに行った女性が、私に挨拶をしたのでした。
彼女:帰りの新潟港に着いたときに、連れ合いと『あの朱鷺メッセのビルの展望台に登ったのよね』と会話していたのですよ。
ご案内いただき、本当に有難うございました。 今度、いつの日か、旅行でお会いしたときも、どうぞよろしく、お願いしますね。