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幸福のありか5:潜在能力

2019.10.15 16:27

人間と動物の違いは何でしょうか。

その一つとして潜在能力の違いがあると思います。

身体能力は動物によっては人間よりも優れています。

しかしながら、知的能力や創造力についてははるかに人間はほかの動物より優れています。

人間は最初に火をおこすこと、魚を捕るために木で槍を作ったりして知的能力を発揮してきました。

そして大きな獲物を捕るためには一人では負けるので、みんなで協力して、組織力を発揮して獲得してきました。

そして何より凄いのは考える能力です。動物には推理したり、論理的に考える能力は人間より極めて低い様に思います。

そして、考えてもみてください。原始の時代の人間から、進化・向上して、今では現代のコンピュータやスマホを使いこなす人間に進化してきたのです。世界中の人々とだれでも、電子機器を使って情報交信できるようになるなんて、原始の時代に想像できたでしょうか。

人間にはだれでも平等に素晴らしい潜在能力を持っている証拠です。

しかしながら、多くの人間は一部の天才的な人のみが優れた能力を持っていると思いがちです。

私は誰でもが優れた潜在能力を持っていると思います。ヘレンケラーは目が見えなくても、内に宿る潜在能力をサリバン先生の支援のもと、花を咲かせたのでした。

先生と生徒の絶えざる努力が素晴らしい結果を生んだのです。

多くの発明、発見も天才というよりも、個人・グループの長年の研究・努力の賜物だったのです。

ノーベル賞の歴史がそれを証明しています。

私が言いたいのは普通の人が誰でもノーベル賞をとれるといっているのではありません。

そうではなくて、誰でもできるのに、できないと思っていて、最初からあきらめているのではないかと

いうことです。

私の姉は私にこう言いました。「あなたは頭がよくていいね。だから有名大学に入って、大企業に勤められたんだね。」

姉は間違って私のことを認識しています。私は小学生の時は平凡な生徒でした。成績も中ぐらいの成績だったのです。

しかしながら、私の周辺に事態の変化が起きました。父が私が中学の時に脳溢血で倒れたのです。

そして、父はその後、10年近く病床にあったのです。

父は開業医でしたが、蓄えもなく、直ちに一家が貧乏な状態に陥りました。

私は中学を卒業したら本屋の小僧になる運命を背負ったのです。

私はその運命には耐えられませんでした。どうしたら、その運命を変えることができるだろうか。

私は考えました。このままではだめだ。ではどうしたら高校に行けるのだ。

そうだ、奨学金をもらうしかない。そのためには一生懸命、人の負けないように勉強しなければならない。

そして、私は必死になって勉強に励んだのでした。

私は私の必死の努力で高校、大学まで進めたのです。決して頭がよくて、特に勉強に一生懸命でなくても高校に行ける状態ではなかったのです。もう、後がない。背水の陣で事に臨んだのでした。

私が平凡ながら内なる潜在能力を引き出して成果を上げたのです。

私ができたのですから、平凡な人でも、一念発起して、内なる潜在能力を信じて努力すれば、事はなると思います。そこに幸福があるということです。

幸福と感じることには成功した瞬間があります。

それは一時的なことですが、多くの人はその瞬間の幸福を求めています。

各種スポーツ競技で一位になることもそうですし、入学試験でも、就職でも、出世でもそうです。

各種文化的なことでも、競争で勝った時の幸福の瞬間があります。

また住宅建築など何かが出来上がった時とか、成功した時とか限りなく、幸福の瞬間があります。

では成功での幸福の瞬間を求める場合はどうしたらいいのでしょうか。

物事に成功するにも、それなりの秘訣があります。 それは何でしょうか。