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イギリス、イタリア&フランス紀行

2003.02.11 02:00

2003年2月著述

私は公的と私的の両方でヨーロッパの各地を訪問する機会をもちました。

ここに訪れた印象を記述したいと思います。

1.イギリス

(1)ロンドン

ロンドンという都市の名前はそもそもイタリアのローマが都市の起源になっていると言われています。

そう言えば、ロンドンの町並みはイタリアの町並みと似ている面があります。

そして、建物だけでなく文化的な面でも影響が大きのです。例えば、現代では世界の共通語になりつつあり英語のローマ字はその代表例です。

シェイクスピアは演劇の神様的な存在で、現代にも通用する人間心理を表現した天才劇作家です。 その彼の作品でもイタリアが舞台になっているものがあります。例えば、有名な『ロミオとジュリエット』、『ベニスの商人』などがそうです。

かつてのローマ帝国の文化的な影響がどんなに凄いのかが、ヨーロッパをめぐって随所に見ることができるのです。

ロンドンの道路がサークルになっているのは本当に私にとっては不思議なことでした。日本では曲がりくねっていて、自然に道路になったものが多いです。また、人工的に作った道路は碁盤の目になっているのが普通です。

ロンドンの場合、地図も持たずに、無意識に道沿いに進んでいると自分が何処にいるか分からないだけでなく、いつもまにか、又元いた所に戻って来ることになるのです。

私はロンドンで大英博物館に行こうと思い一人で歩いていて、道が分からなくなって、何回も道を聞いてしまいました。

この道路計画の発想は一体何処から来たのでしょうか?

A.大英博物館

何と言ってもロンドンのメインは私にとっては、大英博物館です。

中でもエジプトと中近東の遺跡です。 こんなに大きな遺跡を一体どうやって持ってきたのだろうというのが最初の驚きでした。要するにそのスケールの大きさです。このスケールの大きさはこの国民全体のその当時の考え方の大きさと比例すると思います。

もし、日本人であれば、国家、国民としてこのような大きな物を持って来ることすら考えもしないからです。

イギリス人の当時の好奇心、冒険心には本当に驚いてしまいます。

エジプトに行かなくても、大英博物館で壁画やミイラやその他実際の実物を見ることで、古代エジプトの文化に触れて私は本当に感激しました。

大英博物館に限らず、ロンドン郊外のイギリスの植物園にも行きましたが、博物館も植物園もその対象はイギリスというよりも、広く世界が対象となっており、世界の博物館、植物園といえるものでした。 イギリス植物園には世界中の植物の種子が保存されていると言われています。 

植物園の中にはなつかしい感じの庭園があるものだと思っていたら、実はそれは日本庭園をイメージしたものであったことが後で分かったのでした。

B.タワーブリッジとロンドン塔

『ロンドンブリッジ フォーリング ダウン』と歌われた橋はこの橋なのでしょうか?

私には分かりません。しかし、この橋の大きさは私が想像した以上のものでした。

ですから、実際にこの橋の中央まで、歩いてテームズ川や周りの景色を見た時の感激は何とも言えませんでした。高校の学校の英語のテキストはイギリスをメインにしたものでしたから、その時のイメージと重なって感慨もひとしおだったのです。

ただ、テームズ川があまりきれいでないのはがっかりしました。しかし、日本でも東京の墨田川がきれいでないのですから、あまり外国のことをどうこう言えるものではありません。かつては『春のうららの墨田川』と歌われた美しい川だったのですが。

都市の工業化と美しい景観は何処の国でも両立し難いのでしょうか?

ロンドン塔の暗いイメージは私には陰うつな感じを与えました。牢獄と王族の幽閉のイメージは悲しい現実感を私に与えたのでした。 ロンドン塔に限らず、ウィンザー城などイギリスの城にはそんなイメージがついてまわりました。権力闘争は洋の東西を問わず、現在でも厳しいものがあります。 拷問の道具などを見ることに私は耐えられなかったのでした。

なお、ロンドン郊外の観光については私の別のページに記載してありますので、関心のある方はそちらをご覧ください。

2.イタリア

1996年 7月

(1)ローマ

イタリアとフランスには妻と観光旅行で行ったのでした。

イタリアは都市国家の集まりと言えます。ですから今でも、各都市ごとにその特色があり、一つの都市をとって、イタリア全体を論評することは難しいのです。

そして、ローマに限らず、現代ではみなイタリアの都市全体が博物館であるかのようであります。

『ボンジョルノ(こんにちわ)』これが現地の日本人ガイドが教えてくれた最初のイタリア語です。

バスの中から見る初めてのローマは印象的でした。 教科書で見たローマのコロッセオが眼前に迫ります。 それは雄大であり、感動的なものでした。少し、遠くに凱旋門が見えました。 イタリアの凱旋門は小さいものでしたが、これがフランスに伝えられて、現代のような大きな凱旋門がパリに建てられ、そっちの方が有名になってしまいました。

コロッセオの中に入ると当時の剣闘士の戦いの様子がイメージできました。 かつての映画のベンハーや、現代の映画のグラディエーターの感じでしょうか。

日本的な感じで言えば、芭蕉の俳句の『夏草やつわものどもの夢のあと』といった感じでしょうか。

しかし、人間の心の中に残酷な面を楽しむ点があったことは本当に悲しいことであります。

トレヴィの泉

この泉で、ローマへの再訪を願ったのでした。(この泉に再訪を願って、コインを投げることは法律的に禁じられていることは後で知ったのでした。)そして、この近くの有名なアイスクリームを食したのでした。果たして、再度、ローマにやって来ることができるのでしょうか?

(2)ヴァチカン市国

サン・ピエトロ寺院

この建物の前の広場の大きさには圧倒されました。遠くの人がまるで蟻の様に見えるのです。 そして、寺院の屋根の上の彫像の何と多いことか。

寺院の中に入るとミケランジェロの傑作『ピエタ像』を見ることが出来たのでした。ルネサンスの作品に触れることはとても感動でした。なぜなら、中世の宗教的な絵画や彫刻などの作品群には人間的な生き生きした面を感じることが出来ないからです。

神中心の世界観から人間中心の世界観への変換点。それがルネッサンスでした。

そして、腐敗した教会への宗教改革の原点でもありました。

(3)ナポリ

『一生に一度はナポリを見て死ね』と言われるほど、ナポリは風向明媚な都市として知られています。

そのナポリの港町は観光バスの中から見ただけでした。道の端には少年が何かを売るために立っているようでした。

バスガイド:あの少年はたばこを売っているかもしれません。 この町は治安が悪く麻薬を売ることがあるかもしれません。 物売りやすりには気をつけてください。

私は映画『ゴットファーザー』のイメージと重なって緊張したのでした。

バスは小高い丘に到着し、観光客はそこから美しいナポリの港町を見渡したのでした。

早速、観光客目当てにイタリアのお兄さんが土産物や絵葉書を片手に現れたのでした。

(4)ポンペイ

この都市はベスヴィオ火山の火山灰で埋まったことで有名です。

その突然の出来事は大変悲しいことでしたが、そのことによって、当時の古代の生活ぶりがありありと今日知られるようになったのは皮肉なことであります。

火山灰で埋まったそのままの当時の状態が見られるのです。

夏の暑い季節に、この遺跡の中を歩いていて、石の家の中に入り、壁画などを見て、当時の庶民の生活をしのぶと基本的な部分では今日とあまり変わらないのではないかという事でした。

『人間の幸福は物理的な豊かさのみで測られるものではない。』『人間同士が互いに助け合い、どう暮らすか』が大切であることを改めて思い知らされたのでした。

この後、近くのレストランで、昼食をとりました。スパゲッティの味はたいしたことはなかったのですが、デザートのスイカは本当に美味でした。

イタリアのスイカは本当においしい。

そこで、次のフランスでも(イタリアと近いのだから、)おいしいに違いないと思ったのでした。

そして、フランスのホテルの近くのスーパーマーケットでスイカを買ってホテルで食べたのですが、これが期待に反してそうでもなくがっかりしてしまいました。

果たして、イタアリアのスイカは本当においしいのか? それとも暑かったから、ことさら、おいしく感じたのか? 今となってはよくわかりません。次回、機会があれば再確認したいものです。

フランス

(1)パリ

パリの町並みは整然として美しいものでした。 イタリアのローマなどの道で糞などが放置されていた状況に比べると格段の相違でした。これは国民性の違いによるものでしょうか?

決してそうではありません。パリがフランス革命当時は大変汚い町であったことが『二都物語』などの文学書に記載されているのです。

ではどうしてパリの町並みは綺麗になったのでしょうか?それは政治の力によるところが大きいのです。下水道を完備し、町の美化に努めた政治力。 これが町の美化の原点だったのです。国民の公徳心の向上でも美化は進むと思いますが、貧富の差のある都市ではなかなか全体的には整然と進まないものだと思います。

ノートルダム寺院

『ノートルダムのせむし男』でも有名なパリの寺院です。私は小説よりもディズニーの漫画映画のほうが面白く、印象が深いものがありました。

寺院も建築方式の違いがあり、これはゴシック様式によるものでした。

実に壮大で、ステンドグラスは美しく、見る者を圧倒させました。

私達観光客はその後、外の美しいフランス庭園で団体の記念写真を撮ったのでした。

セーヌ川

夕方にはセーヌ川での遊覧船での観光がありました。船には世界各国の観光客が同船しました。妻と私の前にはドイツ人のおばあさんと孫と思われる女性が乗ってきました。おばあさんはとても親しげに私達に会釈しました。

私:グーテン アーベント(こんばんは)

おばあさんは私がドイツ語が分かると思って、何か話しかけてきました。

しかし、私は挨拶語しかできません。 そこで英語で何を言っているか聞いてみたのでした。今度はおばあさんは英語が分かりません。

そこで孫と思われる女性が通訳をかってでたのでした。

若い女性:何処の国から来たかと聞いています。

私:日本から来たと伝えて下さい。

こんな風に少し、会話が続いたのですが、内容的にはたいしたことはありません。

ただ、知らない人が異国でこのような形で会話することは面白いことでした。

船は進み、やがて自由の女神が現れました。 しかし、その何と小さいことか。

私はニューヨークの自由の女神をイメージしていましたので、その小ささにびっくりしてしまいました。

勿論、『自由』の概念の大切さは彫像の大小とは関係がありません。

しかし、それがニューヨークで巨大化するとその方が有名になってしまう現実があります。丁度、イタリアの凱旋門がフランスで巨大化するとその方が有名になってしまうのと同じです。

下船する時に私はおばあさん達に言いました。

私:アウフ ビーア ゼーエン(さようなら)

ベルサイユ宮殿

豪華絢爛とはこのような建物を言うのでしょうか?

そして、中の絵画の大きいこと、豪華なことは見たものでないと分かりません。

王族の贅沢さは国民の犠牲の上になりたっていますす。 したがって、このようなことは国民のために決して長続きさせてはなりません。

ところが王政が崩壊した後で、後年、この贅を極めた建物が尊い文化遺産として、又観光資源として大切なものとなっていくのは実に歴史の皮肉といわざるを得ません。

豪華なのは宮殿の建物だけではありません。 外のフランス式庭園は大きく、幾何学的に整備されて、さまざまな花が咲きそろい、誠に美しいものでした。

ルーブル美術館

団体の観光旅行ですが、一日のフリーな時間がスケジュールされていました。

そこで、妻と私はルーブル美術館、オルセー美術館そして、エッフェル塔に行くことにしたのでした。

朝早く、ホテルの近くの地下鉄の駅から乗って、まずルーブル美術館に行くことにしたのでした。

切符の種類を間違えて買ってしまったのですが、今買ったばかりなのに、すぐに係官が変更に応じてくれませんでした。 フランス語の出来ない私は説明に本当に困りました。やっと、ルーブル美術館についたのですが今度はどこで入場券を買っていいのか分かりませんでした。これも並んでいる人に聞いて対処したのでした。

私達のすぐ後ろに日本の大学生の若い女性二人が並んでいました。

彼女らの旅行は個人旅行であり、盛りだくさんの予定がスケジュールされているようでした。ですから、彼らの行動は時間との戦いのようでした。

美術館の開館と同時に彼女らは入り口から館内に走り出したのでした。

私達はゆっくりと噛締めるように各所の絵画や彫刻を鑑賞していったのでした。

私達がレオナルドダビンチの『モナリザ』の前で鑑賞していると、彼女たちが現れたのでした。

彼女たち:これが有名なモナリザね。

と言ったと思うとあっという間に、次の部屋に行ってしまいました。その間ほんの数秒でした。私達はそのスピードの速さに唖然としてしまいました。

彼女たちはいつもは走っているようでした。

私には『不思議の国のアリス』の登場人物、時間に追いかけられたウサギのように思えたのでした。

オルセー美術館

駅を美術館にしたユニークな形の美術館です。

館内の作品では印象派の作品が圧巻です。

日本人に大変好まれているのがセザンヌなど印象派の作品です。さすがに芸術の都に来て、多くの印象派の作品に直接接して感動を覚えたのでした。

中世の非人間的な宗教画からの脱出。 豊かな人間性の回復。光の微妙な変化、穏やかな色彩。 絵画の世界での改革でした。

エッフェル塔

エッフェル塔には日本人観光客は殆どいませんでした。 エレベーターで上った後、

塔から見たパリの町の展望は本当に素晴らしいものでした。

今来た美術館などを眼下に良く見ることが出来ました。また、はるか遠くに続くフランスの町並みを満喫できたのでした。

イギリスでの観光

2001年3月著述

真剣に事情を話すと、認められることがある。

先輩と私とで相談して、イギリスでの休日をロンドン郊外の観光で過ごそうということになりました。 ホテルにある1日観光バス・パンフレットを見て、相談の結果、次のコースに決めました。

オックスフォード、ストラトフォード&ウオーリック城1日観光コース。

日本人向けのパック旅行ではないので、日本語の分かるガイドはつかず、イギリス人による英語のみのガイドツアーでした。

二人とも英会話は得意ではありませんが、何とかなるだろうと気楽に考えていました。

又、観光バスだから、電車やバスや、地図なども調査する必要も無く楽なものだと考え、

詳しい案内書も用意しませんでした。

ところが、これがとんでもない展開となったのでした。

休日の前日にホテルのフロントに、予約を入れて、代金を支払い、観光用切符をもらいました。

翌日、有名ホテルの集合場所に行くことのなったのですが、こちらのホテルからは歩いて20分位の所にありました。 確か朝の8時頃の集合だったと思います。

散歩がてら、歩いて行ったのですが、集合時間の30分前に集合場所のホテルに着きました。 ところが、観光用切符を確認しようとしたら、先輩が見当たらないと言うのです。

私:どうしましょう?

先輩:ホテルの部屋に置き忘れたかもしれない。 まだ、時間があるから、取ってくるよ。

先輩はタクシーですぐにホテルに戻って、行きました。

有名ホテルのロビーには休日の朝のせいか、私しかいません。 私は慣れない英語でフロントに聞きました。

私:どこで観光バスを待てばいいのですか?

フロントの職員:このロビーで待っていれば、迎えに来ますから。

時間は刻々と迫ってきました。 8時近くなっても先輩は現れません。 観光バスも迎えに来ません。

先輩はどうしたのだろう? まだ、このロビーには私1人だが、本当にこのロビーに待っていればいいのか? もしかしたら、ホテルの入り口あたりが集合場所ではないのか?

もしそうだったら、私達に気づかず観光バスは行ってしまうではないか?

私の英語が確かに通じていたのか心配になってきました。

フロントの職員に再度聞きました。

私:本当にここで待っていればいいのですか?

フロントの職員:このロビーで待っていれば迎えに来ますから。

職員は何度同じ事を聞くのかというような表情でした。

私は先輩が今来るか、今来るかと待ちきれずにホテルの入り口に行きました。 もう集合時間の8時になりました。

もう、今日の一日観光はだめなのか。 私はあきらめました。

そうしましたら、何と先輩が急ぎ、タクシーで現れたのです。

私:観光切符は見つかりましたか?

先輩:それが、いくら探しても見つからなかったんだよ。

私:え? それで?

先輩:ホテルのフロントに再発行を申し入れたんだが、それもだめだったんだよ。

あとは観光バスのガイドに折衝するしかないな。

定刻を過ぎていましたが、私たちはホテルのロビーで待ちました。

しばらくすると、一人の男の人がホテルの入り口から入ってきました。

男:観光バスに乗る人はいませんか?

私たちは「ハイ」と言って、観光バスに向かいました。

バスガイドは女性でした。

私:私は観光切符を持っているのですが、パートナーが観光切符を無くしてしまった

のです。

先輩:私の名前と購入したホテルはここですので、すみませんが確認してください。

私たちは観光切符を無くしたことをつたない英語で真剣に話しました。

バスガイドはバスの無線機で本部と連絡を取りました。 少し、手間取っている様子でした。

観光切符を持っていないとだめなのか? 一体どうなるんだろう?

私たちの心中は穏やかではありませんでした。

バスガイド:本部からOKが出ました。 どうぞ、お乗り下さい。

断られても仕方がないところ、やれやれ助かった。

バスが走り出して、郊外に出ての田園風景はとてものどかでした。

ロンドンからかなりの道のりでしたが、オックスフォードにつきました。

中世の面影が色濃く残っている所で、カレッジはたくさんありました。

日本の総合大学のマスプロ教室に慣れていたせいか、カレッジの教室の狭さに驚きました。 しかし、教授と少ない生徒でのエリート教育とはこういうものかと感心しました。

「不思議の国のアリス」の作者、ルイス・キャロルや「幸福な王子」の作者、オスカー・ワイルド等の著名人がここにいたと思うと、とても感慨深いものがありました。

次にストラトフォード・アポン・エーボンに行きました。

たくさんの草花が咲き乱れている美しい所でした。

シェークスピアの生家などを見学しました。

ガイドによれば、シェークスピアは結婚後、窓辺でロンドンの方向に向かって、芝居作家としての活躍を夢見ていたとのことです。

ここに人生の真理が存在しています。 自分の人生は自分がつくる典型的なケースだからです。

この後、自由時間が与えられました。 私達はイギリスの雰囲気に浸りつつ、シェークスピアの劇場を見学したり、土産物店で時間を過ごしましたが、あやうく集合時間に遅れそうになりました。

バスに戻ったところ、定刻になっても、一部のメンバーが戻ってこないのです。

ガイドが心当たりが無いかと聞くのですが、誰も知りませんとの答えでした。

乗客は発音から判断して、フランス人、ドイツ人、スペイン人、イタリア人などののグループが多かったようですが、日本人は私達2人だけでした。

10分ほど待ちましたが、観光スケジュールに支障をきたすということで、バスはスタートしてしまったのでした。

これは大変だ。 もし、これが私達だったら、どうなっていたんだろう?

ロンドンからはるか離れて、地図も無いし、これからどうやって帰ったらいいのだろう?

私達は気楽な気分から真剣な気分になっていったのでした。

もう、これからは、いいかげんにガイドの英語を聞いているわけにはいかない。

少なくとも、集合場所と集合時間を絶対に聞き逃してはならない。

私の耳はダンボの耳のように大きくなった感じでした。

やがてバスは次の目的地、ウオーリック城に到着しました。

今度はいきなり自由時間となりました。 ガイドから集合場所と集合時間が告げられました。 私は真剣に聞き取り、ノートに書き込んだのでした。

それでも、多くの人はガイドについて行きました、

私達はウオーリック城の中で蝋人形のある貴族の部屋や牢獄等を見学しました。

塔に登って、外の美しい田園風景を眺めたり、お互いに写真を撮ったりしました。

前回のこともあるので、私達は土産物店もそこそこに集合時間よりかなり早く集合場所に行きました。 皆も同じ考えらしく、早く到着していました。

ところが、驚くことに前回、バスに乗り遅れて行方不明のメンバーが来ていたのでした。

私はガイドに聞きました。

私:一体メンバーはどうやって、ここに到着できたのですか?

ガイド:後から来た同じコースの別の会社の観光バスに事情を真剣に話して、

乗せてもらったんだそうです。 そして、更に、この観光バスの集合場所と

集合時間を調べて、ここに到着したというわけです。

私:なるほど。

私はこのような対応方法に気がつかなったので、本当に感心してしまいました。

乗り遅れた人にかまわず、やむなく観光バスをスタートさせたかと思えば、乗り遅れた人を暖かく別の会社の観光バスが乗せてあげる。 なんだか、イギリス人の合理性と愛情の二つを同時に体験した貴重な1日観光旅行でした。

               Sight-seeing in England

We are sometimes recognized when we speak a matter from our heart, in earnest.

My senior and I decide to spend a holiday by sight-seeing of suburbs in England.

We decided next course consulting each other, seeing one day sight-seeing pamphlet in a hotel.

Oxford, Stratford-upon-avon and Wallik castle , one day sight-seeing

There was not a pamphlet for only Japanese. We chose a guide tour with English guide, not Japanese.

We were not good at English. But we thought easy to go there, because it’s tour was sight-seeing bus tour..

So, we didn’t prepare a detail guide-book and map

But a surprising accident happened around us.

We reserved and paid to the front of hotel for sight-seeing tour, and got tickets

Next day, we had to go to another famous hotel to catch a sight-seeing bus.

The hotel was apart from our hotel about 20 minutes by taking a walk.

I think the time to catch the bus was about 8 o’clock.

We went to the hotel taking a walk. We reached at the hotel before 30 minutes of the time.

When we examined a ticket each other, my senior said he could not find it.

I: what shall we do ?

My senior: I think I left it in my room. I will go and come back soon.

He went to our hotel using a taxi immediately.

There was only one of me in a hotel lobby. I asked a clerk of the hotel.

I: where do I wait to catch a sight-seeing bus ?

Clerk: Please wait in this lobby. A clerk of bus-company shall receive you.

Time went by. My senior didn’t appear about 8 o’clock and a bus didn’t appear too.

What happened about my senior ? There was only one of me, as yet.

I thought「Is a place to catch a bus the entrance of hotel ? 」

So, I asked again the clerk.

I: do I wait here, really ?

Clerk: Please wait in this lobby. A clerk of bus-company shall receive you.

He was seen with a little anger to hear same question.

I wen to a entrance of the hotel to find my senior because I could not wait in a lobby.

Time was passed 8 o’clock, already.

Did our plan pass away ? I gave up our plan.

After that, my senior came to me from a taxi.

I :Did you find a ticket ?

My senior: I didn’t find.

I: Oh. And, then ?

My senior: I applied the front clerk to reissue a ticket. But he refused to do it.

I am going to negotiate a guide of sight-seeing bus, this time.

Although the time passed by, we waited to come a bus in a lobby.

After a while, a man appeared from a entrance of hotel.

Man: are there men to go sight-seeing ?

We said 「Here」to a man and went to a bus.

A bus guide was woman.

I:I have a ticket of sight-seeing but my partner lost it.

My senior: My name and hotel of me is here. Please confirm this.

We spoke to lose a ticket earnestly. The guide talked to a head office by telephone of a bus. They took a some times to examine and to decide.

Were we out without a ticket ? Our heart was not calm down.

Guide: The head office said all right. Please ride on a bus.

We were very fortunate.

The bus began to start and went on and on. When we went to out of skirt of a town,

we saw a serene country landscape.

We reached to Oxford where was a long distance from London.

There were many colleges. There much remained atmosphere of the Middle Ages.

I astonished to see a narrow seminar room because I was accustomed to a wide room in Japanese university.

But I respected English elite education like this.

I was overcome by deep emotion as here were Lewis Carroll, Alice’s adventures in wonderland, Oscar wild, author of The happy prince, etc.

Next, we went to Stratford-upon-avon. There were beautiful place with many flowering plants. We visited the house where Shakespeare was born, etc.

We was reported by guide that Shakespeare had a dream which he was active in London as a writer of drama, looking at direction of London in window side.

There is truth in this. This is a typical case that man makes his life by himself.

After that, we was given free times. We enjoyed English atmosphere to see Shakespeare’s theater and spent time buying souvenirs.

When we entered in the bus, one group didn’t return.

Guide asked to in bus where they were. But members didn’t answer.

There were judging from their pronunciation, French, Germany, Spanish, Italian etc. Japanese were only 2 men of us.

We waited about 10 minutes. But after that, the bus was started to fill schedule of sight-seeing.

We thought this was serious. If we were them, what shall we do ?

How we return to London, as we didn’t a map and detailed guide book ?

Our feelings tuned to serious from easy.

We could not listen to guide’s English voices easily any more.

At least, we had to listen to guide’s time and place to gather, carefully.

I felt my ear was getting bigger more and more like a ear of elephant.

Before long, we reached to next object, Wallik castle.

This time, we had free times at first. Guide reported time and place to gather.

I listened to guide carefully and I wrote them in my note-book.

Although, many members followed guide. We visited a room of a noble man with wax figures and prison etc. We climbed a tower of the castle and took a picture each other.

This time, we reached early the place to gather after buying some souvenirs.

Other members reached early, too like us. But we astonished to see a missing group who were late to ride the bus.

I asked to the guide.

I: How did they come to this place ?

Guide: They talked a guide of another company’s sight-seeing bus earnestly that

they were late to ride the bus. They were permitted to join the bus.

They came to Oxford riding the bus and they examined the place and time

to gather. After that, they came to this place.

I: I see.

I listened this story admiringly because I didn’t find this way.

One guide made the bus started thinking the schedule of other members .

The other company’s guide made a missing group rode in the bus to help.

I felt rationality and affection of English. I had a precious experience in one day sight-seeing trip.