お金の話。とりとめなく。
こんにちは、松本佳奈です。
療養につとめる年末。車の運転はできる程度に復活してきました。
うまれる うみだす 芸術生誕祭からはや一週間。私はこの日、はっきりと、もうやりたいことだけやろうと決めました。
自分の音楽は、BGMじゃないんだ。できればホールで、グランドピアノで、静けさの中で聴いてもらえるのがいちばん生きる。
思い切り、人の反応なんて気にせずに、ただただ己と対峙する。自分が本領発揮しているところを見てみたい。それだけなのかもしれないです。
男の人に頭を下げなければ
言いなりにならなければ
我慢しなければ
お金をもらえない
生きることができない
助けてもらったら
お金を払わなければいけない
という強烈な擦り込みを私は持っている。
母から、「あなたのために私はこんなにやりたいことを我慢している」と言われ続け育った環境と
血の繋がらない「父」に学費や生活費をお願いするたびに嫌な顔をされるのが本当に辛かった経験の中で
生きていることへの申し訳なさ
かけてもらっている生活費や学費などを返済できないことへの罪悪感を
毎日毎日、20年以上も積み重ねていた。
小学生の頃、インフルエンザになって8度の熱が出ていても歩いて一人病院に行ったのは、これ以上親に負担をかけたくなかったから。
良い暮らしをさせてもらって
ピアノや習い事、塾、大学まで行かせてもらって、一人暮らしも、運転免許も
音楽事務所の詐欺にあった時も
お金を出してもらった
それがもう本当に申し訳なく、
顔を合わせるのも辛かった。
正直、精神がボロボロで立ち上がれない時も、辛いです動けないですと涙を流すことなんてできず、嫌味を言われ、謝り、お金は返しますから許してくださいと乞うことしかできなかった。
「感謝しなきゃだめだよ」
ありがとうございます。
自分を犠牲にして私を生かして下さりありがとうございます。私がいなければどんなに楽だったことでしょうね。
未だに、生傷。
ああかなり傷ついていたんだな私 と
やっと気付けたのは最近のこと。
もういいんだよ
感謝って、お金って、そういうものじゃないんだと思うよ
千葉にある「珈琲とワインのある暮らし25 ving-cinq」でコーヒーレターという取り組みをしていて、それは何かというと
旅先で出会う、珈琲と手紙 『#coffee letters project』
”前の人から受けた親切を他の誰かに贈る” ギフト経済という考えに基づいた、旅の思い出を珈琲と手紙に込めて見知らぬ誰かに届ける、ちょっと優しい気持ちになれるプロジェクト。
まずは、優しいどなたかからのありがたいメッセージと美味しい珈琲をいただきます。そして、私も次の誰かのために、コーヒー代とメッセージを書き残します。
善意を受けた人に返すのではなく、全く違う誰かにつなぐことで、善意の輪が終わりなく広がっていくのです。
(出典 より)
恩送り。
なんだろう、今これを書きながら涙が滲んでいる。珈琲を飲んで幸せな気持ちになって、まだ見ぬあなたに一杯どうぞと手紙を送る。そんな温かなお金の循環も、世の中にはあるんだ。
寄付ともちょっと違う
優しさの循環
母も、祖母も、義父も、理解しないであろう優しい循環。
お金は奴隷契約のツールじゃない。
豊かに、幸せに生きて、その輪がどんどん広がっていくためのお金だ。
感謝は強制するものではなく
湧き上がってくるものだ。
まずは自分が幸せに生きること
ほんとうにそれが大切だと、思います。
とりとめなく。