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定年後、荒野をめざす

チョイバルサンのこと

2019.12.31 06:36

 会社をリタイア後、旅すがらに撮った「今年の一枚」を選ぶならこの写真だ。場所はモンゴルのチョイバルサンへあと数十キロと迫った草原。トラックに馬を乗せて運ぶ一家と遭遇した。末娘が馬の鼻面を優しく撫でていた。少女の兄が夏祭りのナーダムで乗る馬だという。


 チョイバルサンの話を少し続けたい。


 大みそか、東京へ向かう新幹線の中で、しばらく見ていなかったアプリを開いた。38万2136キロと月までの距離を示している。今年歩いた歩数が304万歩、距離にすると2264キロと表示されていた。


 今年初め、この「Step to the moon」というアプリを手に入れ、旅を始めたのだった。これが、スグレモノなのは、自宅から直線距離でどこまで歩いたかを地図に落としてくれるのだ。


 その位置を見て、ビックリした。それはこんな遠くまで歩いたのかという驚きより、その地名だった。表示はモンゴルの「チョイバルサン」。そこは7月のノモンハン戦争慰霊の旅で、まさにパスポートを紛失した場所だった。


 1年間、真っ直ぐ歩き続けたとしたら、1年の終わりの今、チョイバルサンに着いたことになる。単なる偶然にしては出来すぎている。


 チョイバルサンは、ノモンハンへのモンゴル側の玄関口だ。といっても、ここから東へ400キロ、道なき道を走らなければならない。

 

ノモンハンでは80年前に戦争があった。日本の傀儡国家である満洲国とソ連の傀儡国家のモンゴルが戦った。


 わずか5カ月の戦争で双方それぞれ2万人が死傷したと言われる。戦場跡には今でも装甲車や戦闘機の残骸が散らばっていた。この場所に、回収されない戦死者の遺体がどれほど残っているだろうかと、そこに立って考えた。



 その帰り道、チョイバルサン空港でパスポートを紛失した。それは単なる僕の不注意に過ぎないことである。

 だが、月まで歩くアプリの表示が、チョイバルサンになっているのを見てゾゾっとした。何かを思い出させようという力が働いているのだろうか。


 実はパスポート紛失の意味をずっと考えてきていたのだ。


 このブログに書いていない話が一つある。そっと胸にしまっておこうと思っていたのだが。


 今回のノモンハン慰霊の旅の同行者から、同じような紛失体験を聞いていた。同行者のMさんも帰国の朝、ウランバートルホテルであるものが突然消えてしまったと打ち明けた。海外を旅するとき、日本の電化製品は、海外のコンセントに差す電源変換プラグを使わないと作動しない。


 Mさんは帰国の朝、先ほどまで使っていた変換プラグが見当たらないと言った。僕が貸してあげたものだった。パスポート紛失もその帰国の朝にホテルで発覚したのだ。


 Mさんと同じ言葉が頭に浮かんだ。


 神隠し。


 村上春樹がノモンハンを旅したときの記録が綴られている「辺境・近境」を読み返して、その思いを確かにする。

 彼はチョイバルサンのホテルで地震に襲われて「濃密な気配」に包まれたと、その体験を書いている。実際には大地は揺れておらず、揺れたのは自分自身だと記す。そして、これほど暗い闇を見たのは初めてと書き残した。


 物の怪という言葉が浮かぶ。


 僕はスピリチュアルを感じるタイプではない。だが、パスポートと言い、変換プラグと言い、モンゴルの辺境で日本とつながるためのアイテムを欲しがる人がいるとしたら・・・。


 愚かな指導者が始めたあの戦争で、望まぬ死を遂げ、国家に見捨てられた若き魂が叫んでいるとしか思えない。辻政信はじめ、ノモンハン戦争の責任を取った指導者は誰一人いない。


 少なくとも、自分にできることはパスポート紛失体験を通じて、ノモンハンで起きたことを伝えることでしかない。実はパスポート紛失は、その伝えるための小道具なのではないかと考えている。


 まもなく品川に着く。

 この一文で、今年のブログの筆仕舞いとします。スマホで打っているから、指仕舞いかな。途中、白妙の富士が輝いていた。駄文を読んでくださった皆様、ありがとうございました。良いお年を。