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のらくらり。

愛しくて可愛い兄弟

2019.12.31 10:35

ウィリアムがアルバート兄様のことを初めて「兄」だと思った日。

兄様がルイスをルイスとして見てくれたのが嬉しかったから、ウィリアムは彼のことを信用したんだと思う。


ルイスと二人きりで生きてきたウィリアムにとって、アルバートという存在はそれこそ初めて出来た「兄」という人間だった。

孤児院で年上の子どもと接することもあったけれど、そもそも院にはさほど年齢という概念がない。

年下の子らの模範となるべく兄らしく振舞ってはいたが、ある一定の年齢を越えればほとんど同じ立場になってしまうので兄も弟もなかったのだ。

そしてそんな中でもウィリアムの弟はたった一人、ルイスだけ。

大事な弟がいればそれだけで十分だった。

ウィリアムこそが兄だったのだから、他の人間が兄になる、ましてや自分自身が弟になるなど、予想はしていたけれど想定外のことである。


「ウィリアム、ちょっとこちらに来てくれるかい?」

「はい、アルバート兄さん」


自分が目指すべき理想と同じものを追い求め、そのためには家族すらも戸惑うことなく焼いてしまったアルバートの覚悟をウィリアムは信頼している。

聡明で確かな彼が味方であるならばこれほど心強いことはないだろう。

だがそれはあくまでもアルバートという個人に対しての印象で、彼を同士以上の目で見たことはない。

アルバートの実弟に成り代わった今、ウィリアムは彼の弟という立場にある。

けれどウィリアムにそんなつもりは毛頭なく、家族という名の身内ごっこに過ぎないなという感想すら抱いていたのだ。


「ほら、どうだろう?」

「…どう、とは?」

「君とルイスへのプレゼントに考えているんだ。ルイスへ贈る前に君の感想を聞きたいと思ってね」


アルバートに連れられてやってきた彼の私室で見たものは、上質な絹で織り込まれたハンカチだった。

パステルカラーのように淡い水色は品が良く、タグにはモリアーティ家の紋章が描かれていることから特注のものなのだろう。

手触りも良く使い心地も良いだろうハンカチを手に、ウィリアムが見たのは隅に刺繍されている謎の絵だった。

赤い糸で不恰好に刺繍されたそれは一体何だというのだろうか。


「アルバート兄さん、この刺繍は?」

「僕が入れたんだ。ただそのままでは味気ないと思ってね、君達の瞳に合わせて糸を選んだんだよ」

「あぁ、通りで…」


刺繍の糸は鮮やかな赤と仄暗い赤の二種類あって、恐らくは鮮やかな方の糸で刺繍されたハンカチがウィリアムのものなのだろう。

アルバートの言葉で、これはわざわざ彼がその手を込めて入れてくれたものだと知る。

そうしてルイス用だと判明したハンカチを手に取り、ウィリアムは己の優れた頭脳をフル回転させて考えた。

プレゼントを贈ってくれるのは純粋に嬉しい。

何かを貰う機会は今までになかったから、新鮮でもありくすぐったくなるような感覚すら覚える。

まして自分だけでなく、自分が大事に想うルイスにも気持ちを贈ろうとしているアルバートの優しさと誠実さを実感するようで、気持ちが僅かに浮き足立った。

けれど、その彼がわざわざ刺繍したという、丸に三角が二つ乗ったようなこの模様は何だろうか。

同じ模様が描かれているということはウィリアムにもルイスにも関わるものだということだろう。

だがウィリアムにはこの謎の物体と関わった過去などないし、ウィリアムがないのであればルイスにもないはずだ。

首を傾げてハンカチを見るウィリアムを目に、アルバートは懐かしむように瞳を閉じて正解を教えてあげた。


「この前、屋敷に迷い込んだ猫と遊んであげていただろう?嫌いではないだろうと思って、そのときの猫を刺繍してみたんだ」

「…ねこ」


丸に三角が二つ乗った模様はアルバート曰く、猫らしい。

あまりにも不恰好で、説明されても到底猫には見えないそれ。

けれども刺繍自体はとても丁寧に施されていて、貴族である彼が繕い物などする機会もなかっただろうに、しっかりした刺繍から彼は元来手先が器用なのだと窺い知れた。

たとえ猫が猫に見えずとも、アルバートが猫だと言うのならこの丸と三角は猫なのだろう。

アルバートの器用な手先から繰り出される繊細な刺繍技術には、おそらくセンスというものが欠如していた。


「…個性的で、可愛らしいですね」

「本当かい?」

「えぇ、とても」


ウィリアムの反応をそわそわと、どちらかと言えば楽しみに待っている様子のアルバートに対して本音を溢すのは何故か心苦しく、ウィリアムは少し湾曲的な表現で感想を伝えた。

可愛らしいというのは間違いではない。

見ようによっては可愛いし、自信がある様子のアルバートはこの猫刺繍を上出来だと自負しているのだろう。

ならば気を悪くさせないためにも言葉は選ぶべきだろうと、そう考えて行動してしまうのはアルバートが貴族でウィリアムが孤児だという生まれついての差に基づく行動なのかもしれない。


「ルイスも喜んでくれるかな」

「え?」

「まだ警戒されてはいるけど、早く君みたいな兄になりたいからね」

「僕みたいに…?」


少し赤らんだ頬でそう言ったアルバートの顔は正しく「兄」で、自分を見習わずともその心根がもう既に長兄らしさに溢れている。

今更何を気にするでもなく彼は生まれ付いての兄なのだ。

少なくともウィリアムはそう感じ取っていた。


モリアーティ家の長子として生まれ落ちたアルバートは、生きて呼吸をした瞬間から伯爵としての爵位を継ぐことが決まっていた。

物心がついたときには父と母の在り方に疑問を覚えていたし、階級社会そのものに巻き込まれて生きるしかない歯車の狂ったこの大英帝国に、吐き気がするほど精神を蝕まれた。

それでも三つ下に生まれた弟ならばまだ社会の歯車にもならず、清らかなままだろうと考えていたのだ。

彼を唯一の頼りにしようと、それで己の精神を保とうと考えていたというのに、乳母に育てられた弟は気付けばアルバートが嫌う父と母と同じ色に染まってしまっていた。

自分が何か行動を起こせば良かったのかもしれない。

そうすれば弟もこの社会の歪さに気付いてアルバートの味方をしてくれたかもしれないのに、アルバートにはそれが出来なかった。

気付いたときには実の弟だと思いたくないほどに彼は歪んでしまっていて、この屋敷に自分の味方など一人もいないのだと、ただただ孤独と罪悪感を感じるばかりだった。

いや、彼らにしてみればアルバートの方が歪んでいたのだろう。

異質であり異端であるアルバートのことを腫れ物に触れるかのように接する父と母と弟のことを、アルバートはもはや家族だとは思っていなかった。

自分が間違っているとは思わない。

間違っているのは向こうで、この大英帝国そのものだとアルバートは確信していた。

その確信を肯定してくれたのがウィリアムとルイスなのだ。

彼の頭脳と技量があればアルバートが望む美しい大英帝国という世界を見ることが出来る。

ゆえにウィリアムへ忠誠を誓うのは極々自然なことで、彼のためならこの命すら惜しくはないと断言出来る。

だが忠誠を誓う相手である以前に、彼らはアルバートにとって唯一であり初めて自分の家族だと認めたい存在だった。

兄として生まれ落ちたのに、兄としての責務を果たせず弟を狂わせてしまった自分。

そんな不完全な自分が改めて兄としてやり直せる機会が出来たのだ。

目的のためとはいえ、こんな自分の弟になってくれたウィリアムとルイスにとって誇れるような兄で在りたいと、アルバートは心からそう願っていた。


「僕の弟は知っての通りさながら貴族そのもので、あれを可愛いと思ったこともなければああなることを止めることも出来なかった自分を思い出すようで気分が悪い。だから兄というものを、僕はよく知らないんだ」

「…そんなことは」

「ふふ…初めてウィリアムが兄さんと呼んでくれたときの気持ちを、君はきっと理解できないだろうね。僕にとって理想とする兄弟はウィリアムとルイスそのものだ。僕も早くウィリアムのような兄になりたいと思う。そのためにはまず、警戒を解けないルイスに馴染んでもらわないとね」


アルバートの言葉一つで、ウィリアムの気持ちは霧が晴れたようにすっきりした。

同士ではあるけれど家族ではない、などと考えていた自分は愚かだったのだ。

アルバートはウィリアムとルイスのことを単なる同士ではなく、きちんと弟として見てくれている。

無理矢理に二人の間に入っていくのではなく、確実に、けれども不快にならないようゆっくりと距離を詰めようとしてくれている。

この瞬間、ウィリアムにとって世界で一番大事な弟であるルイスを彼に任せても良いのだと理解した。

彼はルイスをルイスとして見てくれている。

ウィリアムのおまけではなく、ウィリアムの弟という目でもなく、ちゃんと「自分の弟」としてルイスを見てくれている。

そしてルイスの兄として認められるため、わざわざ時間を割いてまで刺繍を施したハンカチを贈ろうとしているのだ。

そこには何の裏もなく、ただ純粋に兄という責務を楽しんでいるようにも見えた。

強がってはいるけれど寂しがり屋で甘え下手なルイスという生粋の弟を前に、兄としての自覚が芽生えたのかも知れない。

ウィリアムの姿を見て兄を知るなど照れくさい気持ちもあるが、彼の目から見た自分たち兄弟が理想だと言われて悪い気はしなかった。

自分一人でルイスを守っていけるほどこの先は甘くないと知ってはいたし、何よりルイスが守られることを嫌うだろう。

そんな中、アルバートが兄としてルイスを思ってくれるのならばこれほど頼りになることもない。

生まれながらの兄であるウィリアムにとって、アルバートの在り方は頼もしいほどに「兄」そのものだった。


「…あなたは紛れもなく僕たちの兄さんですよ」

「ウィリアムにそう言ってもらえると自信がつくね。いつかルイスだけでなく、君の兄にもなれるよう頑張るよ」


アルバートの言葉で、ウィリアムは自分がアルバートのことを兄だと思っていないと彼に知れていることが分かってしまった。

ウィリアムは生まれ付いての兄で、アルバートも一応は生まれ付いての兄だ。

年齢からしてもウィリアムが弟になるのは当然のことではあるが、自分に兄が出来る日が来るなど、ましてやそれを肯定的に受け入れる日が来るなど想定外のことである。

だからアルバートを兄だと思ってはいなかったのだが、今となっては彼ならば兄になってほしいと、彼の弟になりたいと素直に思うことが出来た。

ウィリアムにとってのアルバートとは気を許せる同士であり、そして疑う余地もなく新しく兄となってくれる人なのだ。


「…あなたがあなたのまま、この英国で出会うことが出来て本当に良かった」

「うん?どうしたんだい、あまり見ない顔をして…」


不恰好な猫の刺繍が入ったハンカチを手に、ウィリアムは心からの本音を吐露した。

このハンカチに込められた思いを知れば、きっとルイスは戸惑いながらもとても喜ぶのだろう。

ルイスは新しい家族になってくれたアルバートのことを信頼しようとしている。

ウィリアムが認めた人なのだから自分も認めたいと、家族になりたいと思っているのだ。

元々愛情に飢えた子で、警戒心が人一倍強くウィリアム以外の誰も信用しない子だ。

そうあるようにウィリアムが仕向けた。

けれどウィリアムが一度認めた相手であるならばちゃんと向き合いたいと思える純粋な心を持っていて、たとえウィリアムが家族だと思ってはいなかったアルバートだろうと、彼の家族として認められる弟になりたいと考えているような子なのだ。

アルバートに認められようと頑張るルイスは健気で可愛らしかったし、たとえ認められようとルイスの一番は自分だという揺るぎない自信があったからこそウィリアムも放置していた。

だがアルバートの兄としての覚悟を知った今、兄と弟が歩み寄ろうとするのを冷めた目で見ている場合ではないとようやく気が付いた。

歪んだ大英帝国を正そうとする悪魔たる自分でも、束の間に家族と過ごす暖かい時間を持ってもいいのかも知れない。


「アルバート兄さん、ルイスをよろしくお願いします」

「…ウィリアムからそんな言葉を聞くとはね。でもあの子が僕を良く思っていないことは理解しているし、焦らずいこうと思うよ」

「兄さんならきっと大丈夫です。ルイスはルイスなりにアルバート兄さんのことを考えていますから」


そう、ルイスはウィリアム以上にアルバートとの関係について考えている。

最初から目的と家族を切り離して考えていた自分よりもよほど情があるのだ。

時間はかかってもきっと良い方向に向かって、理想の兄弟としての関係に収まってくれるのだろう。

そのとき、自分もちゃんとアルバートの弟として在りたいと思う。

貴族でありながらも世界の歪みに気付き、それでも真っ直ぐに自分の正しさを信じていて、新しく家族になったウィリアムとルイスに優しく誠実なアルバート。

少しばかり個性的なセンスを持っているのもそれはそれで魅力的だし、思いの外愛おしく思う。

ルイス以外を愛しく可愛いと思ったことはないけれど、兄として認めたアルバートはきっとウィリアムにとって愛しくて可愛い存在になるのだろう。

二人きりで生きてきた世界にアルバートという人間がやってきてくれたこの幸せを、ウィリアムもルイスも生涯忘れることはない。

ウィリアムは彼に誇れるような弟であろうと懸命になる未来の自分たち兄弟を想像して、くすりと笑っては手の中のハンカチを握りしめた。




(ルイス、 君にプレゼントだ)

(アルバート様…僕に、でしょうか?)

(ウィリアムと揃いのハンカチだよ。使ってもらえると嬉しい)

(あ、ありがとうございます。…大事に使わせていただきます)

(良かった。じゃあ僕は行くよ、また後で)

(え、あ…)


(ルイス、どうしたんだい?)

(…アルバート様に、兄さんと揃いのハンカチを頂きました)

(僕も貰ったよ。ちゃんとお礼は言えたかな?)

(は、はい。ちゃんと言えました。…でも)

(どうかした?)

(…すぐにどこかへ行ってしまって、あまり話すことが出来ませんでした…)

(そう…兄さんも忙しいからね。あまり残念に思わず、また次の機会にちゃんと話してみようね)

(はい…ところで兄さん、この謎の模様は何でしょうか?モリアーティ家の紋章ではありませんよね?)

(あー…うん、猫だって)

(猫?これが?猫…?)