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弟子論

2020.01.01 09:32

鍼灸の徒弟制度における弟子の務めの究極の形が、『忠臣蔵』で有名な、大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士47名、いわゆる「赤穂四十七士」だと私は思います。

大石内蔵助

本当の史実によれば、浅野内匠頭の仇討ちが目的で吉良邸へ討ち入ったのではなく、浅野の命に従って吉良上野介の首級を上げたのが真実らしいのです。


浅野内匠頭の切腹に立ち会った多門伝八郎は、浅野に殿中で刃傷におよんだ理由を聞いてみたところ、浅野は「私の遺恨」ゆえに刃傷におよんだものの、吉良に負わせた傷が浅手だったのが残念だと答えたとあり、また浅野は切腹に際して、「風さそふ花よりもなほ我はまた花の名残りをいかにとか(や)せん」という辞世の句を詠みます。

吉良を討てずに無念である、代わりに吉良を討ってほしいという、主君の命であると、大石内蔵助は受け取ります。


自分たちの思いによって仇討ちするのと、主君の命に従って無念を晴らすのとでは大きく違います。

内蔵助以下四十七士は、主君に命じられたから動いたにすぎないのです。

そこに自分たちの思いはないのです。

ただ、忠義を尽くしただけなのです。

儒教の影響が強いです。

儒教では生前よりも死後の方がより尊く重いとされます。

儒教の始祖、孔子

鍼灸の世界でも同じです。

弟子とは師匠に忠義を尽くすのが務めです。

自分の考えや思いなどはいらないのです。

師匠の理想を実現するのが弟子の役目です。

誰かに仕えることができる人生ほど幸せなことはありません。

人のために生き、誰かのために生きる人生には、自分のためだけに生きる人生では、決して得られない、味わえない、届かない幸せがあります。

浅野内匠頭と大石内蔵助の主君と家来という主従関係、私事で恐縮ですが宮脇優輝先生と中野正得の師匠と弟子という師弟関係のように、心から尽くせる、命を懸けてお仕えできる存在に巡り会えることは、この世の最上の幸せの一つです。

読者のみなさまにとって、かけがえのない一生のご縁がありますことを、心からお祈り申し上げます。

そして是非、人のために生きる人生を生きてみてください。

そこには無限の喜びと可能性があります。

平成16年(2004年)開業祝いにて宮脇会の先生方と記念写真