外的生活においては、償いがたい損失とみなされるものこそ信仰が最もよく栄える地盤となる。
この1年は、『眠られぬ夜のために』を読む代わりに、『幸福論 第2部』を毎日、少しずつ、『眠られぬ夜のために』の1日分の分量ずつくらいを読み進めてきました。この年もあと3日ほどとなり、最後の小論「人生の段階」を読んでいます。
その前日、ちょうど友人と
「“取り返しがつかない”と思うから、それが他人が原因の場合、その人が赦せず、それが自分や人間以外の不可抗力である場合、後悔がいつまでも続いてしまうけれど、神がそれが起こることを許されたのであれば、それは神がそこで失われたものについて、回復し、帳尻を合わせることができる、いな、人の引き起こした災いをそれに勝る幸いに変えることができるからだろう」
というような話になりました。
そして、その翌日に読んだ『幸福論』のページに以下の文章とテニスンの詩が出てきました。
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外的生活においては、償いがたい損失とみなされるもの、すなわち「取り返しのつかない禍根」とか、いわば一生涯に影を落とす失墜といったものは、内的生活から見れば、決して損失ではありません。かえって、それこそ、キリストへの信仰が最もよく栄える地盤なのです。
まさしくこのような状態にありながら絶望してしまい、自分がどんなに救いに近づいているかを悟りえなかった人々こそ、あらゆる人間のなかで最も憐れむべき人です。そうした人が、自殺することを見ることがありますが、これは往々、私たちが、神の慈悲を疑う気分に誘われかねない唯一の原因となります。けれども、そのように気の毒な道をたどりつつある人に向って、一度も真理を語ってあげる人がいなかったとしたら、これはまた、きわめて遺憾なことに違いありません。
幸福論 第2部 (岩波文庫 青 638-4)
朝 風
テニスン
今や新しい命の言葉
かの聖なる書よりわが心に注げり
傲慢自尊の樹は枯れ果て
呪いつつ手を挙ぐ
高き山より風優しくそよぎ
谷川のせせらぎも聞こえ来る
東雲ははや暁に明るみ
ああ、主よ、われも今や信ずる徒の一人となれり
聖なる軍勢に加えられ、
貧しき一卒ともならん
人生の謎はついに解け、
天はこの地上に降臨せり
神の光と露とを受けて
苗は茎となり茎は穂となり
ついに晴れやかな蒼穹の中に
黄金色に輝きつつ重たく穂は垂るる
あまたの戦のうちに過ぎた
わが生涯も虚しくはあるじ
我が進む道の果ては明るく
楽しき果報の冠に飾られん
上へ、いよよ明るき頂きへ
いやます真理は我を導かん
もはや行く手見え来れり
道は和けき逍遥─もはや決死行ならじ
対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉 (岩波文庫)
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そしたら、今日の礼拝の讃美歌がメンデルスゾーンの「朝風静かに吹きて」だったのです。