BOOK「韓非子の人間学」著者:守屋 洋(ひろし)
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「老人」という古典にも、
「人を知るのは知(ち)なり、
自らを知るは明(めい)なり」
という有名な言葉がある。
「知」も」明」も、深き読みのできる能力である。洞察力といっても良い。しかし、両者を比べると、「明」の方がレベルが高い。だから、この言葉も自分を知ることの難しさを語っているのである。
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儒教の教えで
「義」とは、人間として守るべき正しい道である。
これに対して、「韓非子」の見方は、
あくまでも現実的である。彼によれば、君臣の結びつきは
「計」以外の何物でもないのだという。
「計」とは計算、
つまり算盤(そろばん)勘定である。
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困難にさいして、臣下に死力を尽くさせるためには、法を確立し、賞罰の運用をきちんとしてさせる必要がある。
賞罰のケジメ合宿きちんとしたないと、国民は功績もないのに褒美を欲しがり、罪を犯しても免れることばかり考える。そうなると軍隊も頼りにならず、君主の地位も安泰ではなくなる。
208
「三人言いて虎を成す」
町に虎が出ないのは、わかりきったことです。それなのに、三人が同じことを言ったら、信じるとおっしゃる。
同じことを繰り返し聞かされていると、いつのまにか、嘘も真実らしく思われてくるということ。
反復の効果といってもよい。
216
臣下というのはもともと罪を犯しても罪を免れようとするし、功績がなくても賞を欲しがる。だから「聖人の国治むるや、賞、無功に加えず、誅、必ず罪ある者に行うなり」である。これが政治の目標なのだという。
ところが、政治のなんたるかも知らない輩(やから)がしきりに、「思いやりの心」だとか「慈しみの心」だとか言いまわっている。とんでもないことだ。「思いやりの心」とは、貧しいものに施すことではないか。「慈しみの心」とは厳罰をためらうことではないか。そんなことをしていたのでは、政治そのものが成り立たなくなってしまう。
「貧しいものに施せば、功績のない者にまで賞を与えることになる。厳罰をためらえば、平気で法を破る者が出てくる」
こうなったのでは、政治の根本が崩れてしまう。そうならないためには、
が吾ここを以て、仁義愛恵の用うるに足らずして、厳刑の以って国を治むべきを明らかにするなり」
政治には、「思いやりの心」とか「慈しみの心」などというのは無用である。厳罰で望むことこそが政治の根本なのだ。
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いうまでもなく、正しいことをしていれば、内部の士気を高め、結束を強化することができる。さらに、それに加えて、周辺諸国の支持も取りつけることができるであろう。
逆に、正しくないことをしていれば、内部の士気も低下し、周辺諸国の支持も期待できなくなるだろう。
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