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乗り初め(全線乗車 会津若松⇒小出) 2020年 冬

2020.01.04 14:45

2020年、今年初のJR只見線の利用は、会津若松駅から小出駅まで全線に乗車した。

   

今回は、新潟地区を走る観光列車「海里」号の予約が取れたため、新潟駅まで只見線経由で向かう事にした。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日) /「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線全線乗車ー / ー只見線の冬

 

 


 

 

今回は富岡から移動し、乗車した。正月三が日、富岡町は晴れて穏やかな日が続き、今日は一層暖かく、冬である事を忘れるような陽気だった。

   

 

郡山で磐越西線の列車に乗り換え、会津若松を目指す。久しぶりに見る「磐梯山」は、頂上を僅かに雲で隠す程度で、雄大な稜線を見せていた。 

  

 

 

12:59、定刻通り会津若松に到着。さっそく連絡橋を渡り、只見線のホームに向かった。 

 

4番線で出発を待つ、会津川口行きのキハ40形2両編成に乗り込む。車両は双方ともセミクロスシート車両で、大半の乗客が旅行者と思われる方で、全てのBOX席に乗客が居るという状況だった。“青春18きっぷ”の効果と思われた。

13:07、列車は定刻に会津若松を出発。

  

 

七日町西若松と過ぎ、大川(阿賀川)を渡る。 

  

 

会津本郷会津高田を過ぎると列車は大きく右にカーブし、会津平野を北上した。刈田に雪は全く見当たらず、暖かく柔らかい陽射しがあったこともあり、車窓の風景は冬ではなく、秋とも言い切れない微妙なものだった。

  

 

根岸新鶴と過ぎ、会津美里町から会津坂下町に入り若宮を経て、会津坂下に停車。上り列車とすれ違いを行った。

 

 

会津坂下を出発し、短い刈田を抜けると、列車は重いディーゼル音を大きくしながら七折峠へと向かっていった。 

 

登坂途上の塔寺、峠を越えて少し下った先にある会津坂本を経て柳津町に入り、列車は奥会津地域を進んでゆく。

  

 

今回も車内で地酒を呑んだ。選んだのは大和川酒造(喜多方市)の純米辛口・弥右衛門。アテは、会津天保醸造(株)のもろきゅう味噌にした。

純米酒とは思えない、濃厚な口当たりだったが、辛口を標榜しているだけあってキレがあった。日本酒の奥深さに唸った。 

 

   

郷戸手前の“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m)を頂点とする低山の稜線がくっきり見え、この先の天気は悪くないと思った。 

  

 

車内では会津柳津から乗車した“只見線地域コーディネーター”の酒井さん(只見町)による車窓からの見どころ説明と車内販売が始まり、車内放送でも「第一」「第三」を中心に“見どころ説明”が行われた。*参考:只見線ポータルサイト「只見線地域コーディネーター活動日記

 

私は福島県が作成した「只見線ガイドブック2019 ただいま、只見線」を受け取った。

この取り組みは、福島県が取り組む「只見線利活用事業」の実証事業で、昨年10月6日から来月まで、土日祝日(計48日間)の上下計4本で行われている。*参考:福島県「只見線の利活用

 

 

  

滝谷を出発し、滝谷川橋梁を渡る。福島県側で貴重な、渓谷美を楽しむ事ができる鉄橋だ。 

雪が積もり水墨画のようなの空間を期待していたが、今回も見られなかった。次は、確実に積雪が見込める時に列車に乗りたいと思った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館歴史的鋼橋集覧」 

  

 

 

列車は会津桧原を出発すると「第一只見川橋梁」から「第八只見川橋梁」の橋梁区間(運休区間を含む)を進むことになるが、現在は会津川口~只見間が不通となっているため、「第一」から「第四」を渡る。

 

桧の原トンネルを潜り抜けた直後に「第一只見川橋梁」を渡る。「日向倉山」(605m)が右前方にはっきりと見えた。

ここでも車窓から雪景色を見る事はできなかったが、今日の只見川は冴えた濃青緑で、見応えがあった。

 

 

 

次は会津西方を経て「第二只見川橋梁」を渡った。遠くの山々にうっすらと積雪が見えた。

 

 

 

会津宮下を出発して東北電力㈱宮下発電所とその調整池である宮下ダムの直側を通り過ぎた。 

  

只見川とわずかな時間離れた後、「第三只見川橋梁」を渡った。 

  

この直後、列車は滝原トンネルに入り、250mほどの明かり区間(早戸俯瞰)を通り過ぎて、再び早戸トンネルを潜り抜け早戸に到着。

ここでは、トラブルがあった。ここで降りようとした客が降りられなかったのだ。停車時間が思いの外短く、扉が自動ではなく手動ボタン式だったため下車できなかったようだ。どうやらこの客は早戸温泉に行こうと思っていたようで、同じく温泉のある二つ先の会津中川で降りた。


 

  

列車は早戸を出た後、金山町に入り会津水沼を経て「第四只見川橋梁」を渡った。この付近は上流1kmほどに東北電力㈱上田発電所と上田ダムがあるため水深が浅くなっている。

「第四只見川橋梁」は下路式曲弦トラス橋で景色が鋼材に遮られるが、今月20日から年度末(3月31日)までの只見線冬期ダイヤでは、奥会津区間で列車が低速運行されるため、写真撮影も容易になる。

 

 

 

会津中川で先ほどの客を降ろして、列車は終点に向けて出発。上井草橋の手前で振り返ると、先ほど通過した大志集落が只見川に突き出るように佇んでいた。

   

“見どころ説明”も終点到着を告げ、列車は減速しゆっくりと進んだ。

 

 

 

14:56、現在の終着駅である会津川口に到着。ホームを含め、周辺には雪が無かった。

 

ここから先が「平成23年7月新潟・福島豪雨」の被害で只見まで不通区間になっている。

 

現在工事が行われている運休区間(27.6km)は、2021年度に全線が再開通されるが、復旧後はこの区間だけが切り離され、福島県が所有(上下分離)し、且つ運営費の赤字分を補填することになっている。 *下図出処:東日本旅客鉄道(株)「只見線について」(2016年11月30日・12月1日)

 

 

線路を渡り駅舎に入ると、2019年12月度の“Youはどこから”ボードがあった。

 

今回は、タイからのインバウンドが圧倒的で、アルゼンチン、コロンビア、ドイツ、インド、ロシアなど多様な国からの訪問があったようだ。

 

 

駅舎の出入り口の脇には、「只見線利活用事業」を中心となって取り組む福島県が設置した“只見線 駅文庫”が設置されていた。

 

本は福島県立図書館を除籍となった小説や児童書などで、誰でも手続き無しで借りられ、『次においでになった際に』返却すれば構わないと説明板に書かれていた。また、それぞれの本には只見線沿線の児童が記入したメッセージカードが付いていて、現物も飾られていた。

“只見線 駅文庫”は、会津柳津駅にも全く同じ条件で設置されているという。

只見線は山間をコトコトとゆっくり走ることもあり、読書に向いた路線だと私は思っている。福島県は本と設置場所を増やすということだが、この取り組みを活かした企画列車(読書列車など)の運行を企画し、本と只見線の親和性を高めて欲しいと思う。 

 

 

待合スペースの椅子に座り代行バスを待つ。約30分で中型のバスが只見駅からやってきて、10名ほどの客を降ろした。

このバスは、「青春18きっぷ」シーズンに、東京圏→只見線→東京圏の周遊日帰り旅を可能にするが、意外と客が少なく、意外な思いがした。 


15:35、代行バスは6人の乗客を乗せ、折り返し只見に向け会津川口を出発し、只見線に沿うよう走る国道252号線を進んだ。

  

まもなく、「第五只見川橋梁」が見えた。豪雨では1間の橋桁が流出する被害を受けたが、先月、架橋工事が終わった。既存のトラス橋を含め、再塗装され全体が同じ色になるかは不明だ。

 

 

本名”で一人降ろした後、東北電力㈱本名発電所と一体化した本名ダムの天端から「第六只見川橋梁」を見下ろした。会津川口側の橋脚新設工事は終わったが、只見側は巨大な仮設が組まれていた。

 

 

 

代行バスは“会津越川”を経て“会津横田”で一人を降ろし、二本木橋で只見川を渡河。ここでは沿道の畑に積雪があった。

 

会津大塩”を過ぎ、滝トンネルを潜り只見町に入り、“会津塩沢”、“会津蒲生”と代行バスは一人の乗降も無く進んでいった。

 

 

 

16:25、只見に到着。

 

陽は落ち、駅舎上空は微かに茜色になっていた。

 

 

会津川口側を背に、ホームを見た。今年は雪が少なく、『ここは本当に只見か?』と思ってしまった。

  

宮道踏切から会津川口側を見る。会津川口方面のレールは、当たり前だが除雪はされておらず、雪の表面にその形が見られた。

 

 

 

小出行きの列車まで2時間10分もあるため、町営銭湯である「ひとっぷろ まち湯」に向かった。

 

ここには鉄道風景画家・松本忠氏の「新緑に誘われて」が浴室の入口脇に掛けられている。

男性側の浴室には叶津川橋梁を渡るキハ40系が描かれた「橋上遊覧」が掲げられ、「ひっとぷろ まち湯」は只見線の旅情をそのままに、湯に浸かる事ができる施設となっている。*参考:松本忠氏「もうひとつの時刻表」Gallery:福島県:只見線

  

ゆったりと時間を過ごし「まち湯」を後にして、途中コンビニで夕食を調達し、只見駅に向かった。

 

 

駅に着いて、待合スペースで列車を待つ。18時25頃、駅係員がホーム側の扉を開け列車の到着を告げた。駅舎を出てみると、まもなく小出発のキハ48形(新潟支社色)2両編成がやってきた。

 

列車が停止してからホームに向かう。少し、雪が降ってきた。

私の乗った車両には私の他4名の個人客が見られた。話し声も聞かれず、車内の静けさは終点の小出まで変わらなかった。

 

18:35、小出行き最終列車は定刻に只見を出発。

 

 

 

 

 

上町トンネルやスノーシェッドを通り、赤沢トンネル、田子倉トンネル(3,712m)を抜け、闇に包まれた余韻沢橋梁を渡り、田子倉駅跡を通過。スノーシェッド内にあるため、積雪は見られなかった。

   

その後、列車は只見線内最長の六十里越えトンネル(6,359m)に向かってゆく。

 

「六十里越」は福島県と新潟県を隔てる峠、または街道の名で、『人跡絶たる大行路難の地故、一里の行程を十里に比べ、当六里の道を六十里と称す』(越後野志、1815年)という記述があり、江戸時代にはこの呼称が使われていたという。

この「六十里越」には国道252号線も通っているが、降雪時期は閉鎖されていて、この時期、只見線は“会越”を結ぶ唯一の交通機関となっている。

 

 

 

 

 

列車はトンネルのほぼ中央で新潟県(魚沼市)に入り、9分ほどで潜り抜けた。

 

その後、複数のスノーシェッドとトンネルを潜り抜けながら末沢川の渡河を繰り返して進んで行くが、外の様子は闇に包まれて分からなかった。

 

19:04、大白川に到着。只見と同じくホームに雪は無く、周囲の積雪も少なかった。

  

 

新潟県側では、只見町で手に入れたワンカップ「ふなぐち菊水一番しぼり」(菊水酒造㈱、新発田市)を頂いた。

濃厚で香り高く、ワンカップの酒には思えない相変わらずの旨さだった。

 

地酒をちびちび呑みながら列車に揺られる。車窓から景色を見る事ができなくても良い時間を過ごすことができた。

 

 

 

列車は入広瀬上条越後須原魚沼田中越後広瀬を経て、終点の一つ手前の藪神に到着。

私が2016年末に小出からの全線乗車を試みて、大雪による運休(大白川~只見間)で引き返す事になった思い出深い駅だ。

 

  

 

19:48、只見線の終点・小出に到着。会津若松から36駅、135.2km、6時間41分(乗車時間は3時間54分)掛け、全線乗車の旅が終わった。


運休前(2011年7月以前)は、今日のように会津若松を13時台の列車に乗って、小出で乗り換える事で首都圏まで向かえる「青春18きっぷの旅」が可能だった。列車が小出に17時42分に到着し、18時32分発の上越線上り列車に乗り換えると、普通列車だけで東京まで行く事ができた。現在は東京まで行くには、小出から2つ先(8.3km)の浦佐で新幹線に乗り換える必要がある。

  

 

一旦、駅舎に向かった。小出駅の正面には魚沼杉の駅名標が掲げられている。地元魚沼市出身の俳優である渡辺謙氏による揮毫だ。

  

私はこの後、小出から上越線の下り列車に乗り、新潟に向かった。

 

 

今年、只見線は「第六只見川橋梁」と「第七只見川橋梁」が架橋され、復旧工事は佳境を迎える。工事の進捗状況は気になり、この二つの鉄橋が只見川に架かる様子は見たいと思っている。

また、未だ訪れていない場所や沿線のイベントがあり、どれだけ行けるか分からないが、今年もできるだけ時間を割いて只見線を利用して訪れたいと思う。

 

 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室: 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。