神の守り
2020年1月5日
伊藤大輔牧師
マタイによる福音書2章13―23節
クリスマスの出来事とはなんだったのか。
2020年を始める礼拝でクリスマスを通して私たちの歩み方について考えてみたい。
聖書のクリスマスはきらびやかな明るい物語と共に暗い悲惨な出来事も伝えている。
ヘロデによってベツレヘムの2歳以下の男の子が皆殺しにされる。
残酷な行為。
これを実行したヘロデは何を思っていたのか。
東方からの賢者によって「新しい王」が生まれたことを知らされる。
それは現在の王の終焉を知らせるもの。
自分はもう必要とされていない。
その現実に気がついた時、
人はなんとかして自分の場所を確保しようと願う。
それを実行する力があるのなら、
それを惜しまずに発揮する。
自分の未来は自分の力で守る。
ヘロデは特別なものか。
そうではない。
ごく普通の者。
常識的な者。
この常識は何を生み出すのか。
聖書はヘロデの姿を借りて語る。
自分を守るため、人のモノを奪い、
幸せになるために、貪欲になっても正義になる。
戦争が正当化され、
二酸化炭素が排出され、
この星が壊れようとしている。
ベツレヘムの子供を殺したヘロデとこの星を壊そうとしている私たちと、
どちらが残虐なのか。
ヘロデが私たちの姿であると同時に
そこで生まれた主イエスもまた私たちの姿を表している。
自分の力を惜しみなく発揮できるヘロデに対し主イエスは赤子で何もできない。
何もできない赤子がヘロデ王の策略をかわして生き延びる。
これを助けたのはヨセフ。
このヨセフは父親ではない。
赤子を守る責任は彼にはない。
守られる条件はないにもかかわらずイエスは守られた。
この一連の出来事は預言者の言葉が成就したものだとマタイは記している。
明るい約束が成就するのであれば喜びであろう。
だが、ここでの預言は実現してほしくないもの。
悲惨な預言が実現する。
何もできないイエスが守られる。
悲惨な預言が実現する。
クリスマスの出来事とは何か。
神は全部を知っている。
悲惨で辛い出来事も神は知っている。
何もできない状況も知っている。
全てを知り、神は何をするのか。
備えている。
守っている。
そこから未来に続く道を準備している。
人の力、自分の力で生きようとすれば、必ずや何かを壊していく。
信じて生きる。
神の守りがある。
クリスマスに告げられたこと。
私たちの現実。
2020年、新しい年。
これから起こるどんなことも神は知り全てに備えの道がある。
信じて、
新たなる歩みを始めて行きたい。