人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ
本書の著者(京セラ、第二電電/KDDI創業者)、稲盛和夫さんは本書の初めで、「かつての日本には、上質な人間が社会の至る所にいた。そのような上質な人間に支えられていたからこそ今日の日本経済の発展がある。しかし、近年、以前には考えられなかったような出来事や不祥事が起き、家庭でも『親殺し』『子殺し』といった人間としての尊厳を否定するような悲惨な事件が続いている。 そいうった社会現象は、すべて日本人の質的低下がもたらしたもので、これからの日本の再生とは、日本人一人ひとりが、精神的豊かさ、つまり美しく上質な心をいかにして取り戻すかを考えることが必要で、年齢を問わず、すべての日本人が改めてその品格、品性を高めることができれば、日本は世界に誇る上質国民が住む国として、再び胸を張れるようになる。」と説きます。(P14)
本書において、稲盛さんは上質な日本人として、同郷出身の英雄でご本人が尊敬している「西郷隆盛」を挙げます。「西郷の生き方、考え方こそが、日本人が本来持っていた『美しさ』『上質さ』を想起させるのです。私が『尊敬する人物、理想とする人物は?』と問われたときも、すぐに頭に思い浮かぶのは、西郷です。」(P14)この西郷の残した言葉をまとめた遺訓「南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)」をもとに、稲盛さんが西郷の考え方、生き方を通して日本人が再考すべき「上質な生き方」を解説しているのが本書です。
まず、プロローグにおいて、稲盛さんは西郷隆盛の度量の大きさ、人柄の素晴らしさを示すエピソードを挙げています。近代国家をつくるため、激動の幕末においてたくさんの人間が志を抱き情熱を燃やし、多くの血を流しましたが、西郷さんも自身の命を顧みず、仲間たちと新政府樹立を成し遂げます。その後、仲間の多くが、新政府の中で官僚的になっていくその失望感から故郷の鹿児島へ帰り後進の指導に当たります。しかしその後、後進達が新政府に対し決起(西南戦争)を起こし自らも後進達と共に戦いますが、さすがに圧倒的な戦力差のため、勝敗は初めから明らか。そして、その戦争に終わりに西郷は自決を遂げます。(享年49歳) この西郷が残した言葉は、戊辰戦争の時に幕府側についた庄内藩の有志によってまとめられます。これが「南洲翁遺訓」です。ではなぜ、戊辰戦争の時、敵味方に分かれて戦った庄内藩の有志が、敵側にあたる薩摩藩の西郷の遺訓をまとめることになったのでしょうか? 実は、ここに西郷の「上質な」人柄が現れているのです。「庄内藩は、新政府軍(薩摩藩)と戦って全面降伏しました。勝利した官軍によって武装解除されるのが普通です。ところが、西郷は逆に官軍から刀を召し上げ、丸腰で庄内藩に入っていかせたのです。荒くれ武士の乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)を未然に防ぐための措置でしたが、敗者への配慮、敬意でもありました。勝った側から刀を取り上げ、負けた方に帯刀を許したのですから、庄内藩の人々は驚きました。その後、西郷が下野して郷里に戻ると、西郷の度量の大きさ、人柄の素晴らしさを慕った庄内藩の若い武士たちが、鹿児島まで教えを請いにやってきます。なかには庄内藩主、酒井忠篤(ただずみ)の姿もありました。そして、西南戦争においては、西郷に従って従軍し、戦死した人たちもいたのです。そうした西郷の薫陶を受けた庄内藩の人達が、学び取った教えを編纂し、後世に残してくれたのが『南洲翁遺訓』なのです。」(P17)
(「南洲翁遺訓」における)「とてつもない器量の大きさ、身を処する潔癖さ、何にも増してその徹底した無私の心といった、西郷の人間としての魅力は、時代を超え、私たちに人間としてのあるべき姿を今も鮮やかに示してくれます。私はこれまで、『南洲翁遺訓』を座右に置き、幾度も読み返してきました。そのつど、生きていくうえでの貴重な示唆を得てきました。経験を重ね、人生で年輪を重ねるほどに、本書から得られる教訓は、ますます私の心に深く刻まれていきました。それは、西郷の遺訓が、人生の苦しみや悩みに直面し、それに逃げることなく対処していくなかで生み出され、はぐくまれた、まさに人間が正しく生きていくうえでの普遍的な真理であるからでしょう。」(P20)
ここでは、いくつか私的に勉強になった遺訓をいくつか紹介します。遺訓五条の解説(P40) に「人の志というものは、幾度も幾度も辛いことや苦しい目にあって後、初めて固く定まるものである。」(現代訳)というのがあります。西郷は、尊王攘夷派の仲間を保護しようとして、藩主/島津久光の意に背きます。しかし、結果的にその仲間を死なせ自分だけは生き残ってしまいます。武士にとって、それは死よりも辛く耐え難い恥辱でした。しかし、西郷は辱めを忍び、生きる道を選びます。その後、再び久光の逆鱗に触れ沖永良部島へ遠島され、過酷な虜囚(りょしゅう)生活を送りました。壁もなく、四方に格子が入っただけの狭く粗末な牢に収容されたのです。「後に座敷牢に移された後も、中国の古典を牢に持ち込む許しを得て、来る日も来る日も書物を読み、瞑想に耽(ふけ)ったといいます。一連の過酷な試練と先人の教えによって、西郷は何事にも揺らぐことのない固い信念を持つ人間に成長していったのです。何年か後、許されて薩摩に戻った西郷は、人間的にも一回りも二回りも成長していました。そして西郷は維新の実現に向かって邁進していくのです。」(P44)「逆境とは、自分自身を見つめ直し、成長させてくれるまたとないチャンスなのです。逆境をネガティブにとらえて悲嘆に暮れるのではなく、志をより堅固にしてくれる格好の機会ととらえて、敢然と立ち向かうのです。試練を通してこそ、志は成就するのです。」(P45)
遺訓三四条「はかりごと(駆け引き)は、日常的に用いない方がよい。はかりごとをもってやったことは、その結果を見ればよくないことがはっきりしていて、必ず後悔するものである。」(現代訳より一部抜粋、P100) 企業には戦略や戦術が必要です。「ところが実際には、どうやって競争相手をつぶすか、いかに同業者の足を引っ張って自社が浮かび上がるかという矮小(わいしょう)な視野で策略を練っていることが少なくありません。(中略)しかし、他社をどうこうする前にまずやるべきことは、とにもかくにも自分の会社を強くするため、脇目も振らずに努力に努力を重ねることです。経営者が率先して、競争相手の足を何とか引っ張ってやろう、相手を騙してうまい汁を吸おうなんていうことばかり考えているようでは、会社が発展していくはずがありません。いつか必ずつまづきます。策略で勝ち得た成功は、決して長続きしないのです。こちらが策略を用いれば、相手も負けまいと策略を用います。裏をかけば、そのまた裏をかかれるものです。いったん成功したように見えても、相手は必ずそれを覆すような策略を返してきます。猜疑心に満ち、油断も隙もない緊張の連続で、良識とか良心に厚い人は心安まる間がありません。(中略)ただ一生懸命に自分がすべきことを貫けばいい。他人のことをあれこれと意識することなく、己の誠を貫くこと、それがすべてなのです。」(P103)
遺訓三七条「この世でいついつまでも信じ仰がれ、喜んで服従できるものはただひとつ、人間の真心だけである。(中略)真心がなくて世の中の人からほめられるのは偶然の幸運にすぎない。真心が深いと、たとえその当時、知る人がなくても後の世に必ず心の友ができるものである。」(現代訳より一部抜粋、P171)「(西郷の)行動原理の奥底には、いつも至誠の心がありました。策略でもなく、機略でもなく、そのあまりに純粋な真心が多くの人々を動かしたのです。(中略)人間の真心には何百年にもわたって後世に語り継がれ、多くの人々の心を感動させるような力があります。才能や知識だけでは、人の心を共鳴させることはできないのです。人はカネのためでなく、名誉のためでなく、権勢欲のためでもなく、真心によって突き動かされたときこそ、どんな困難にも負けることなく、最大の力を発揮して立ち向かうことができるのです。」(P174)また、遺訓三九条にも同じような内容の遺訓があります。「今の世の中の人は、才能や知識だけあればどんな事業でも心のままにできるように思っているが、才にまかせてすることはあぶなっかしくて見ておれないくらいだ。」(現代訳、P174)と、ただ才識だけを振りかざしても、誠の心がなければ物事はうまくいかないと(西郷は)言っています。
遺訓二〇条「どんなに制度や方法を議論しても、それを説く人が立派な人でなければ、うまく行われないだろう。立派な人があってはじめていろいろな方法は行われるものであるから、人こそ第一の宝であって、自分がそういう立派な人物になるよう心がけるのが何より大事なことである。」(現代訳、P183)「ルールや制度を作り、いくらかそれを守らせてようとしても、その網の目をかいくぐろうとする人間が必ず出てくるでしょうから、決して不正行為が根絶されることにはならないはずです。ルールや制度でなく、人の心に焦点を当てなければ、問題の根本的な解決にはならないのです。(中略)私はとりわけ企業という集団を指導する立場にあるリーダーの資質を問うことが企業の不祥事を克服するために、今最も大切なことであると考えています。リーダーが率先垂範、人格を高め、それを維持し続けることが、現在の企業統治の危機にあって、最も根本的な解決策であると思うのです。」(P185)
そして、最後になりますが、稲盛さんは西郷さんの遺訓一〇条「人間の知恵を開きおこすというのは愛国の心、忠孝の心を開くことである。国のために尽くし、家のために勤めるという人としての道が明らかであるならば、すべて事業はそれにつれて進歩するであろう。」(P165)の解説で、これからの日本のめざす道を「素封家」(そほうか)というキーワードで語っています。「現代は、アメリカ型の大量生産、大量消費が経済成長の前提になっています。新しい物が出ればどんどん買い替えて古いものは捨てるというように、まるで消費が美徳であるかのように礼賛されてきました。使い捨てだろうと、浪費だろうと、消費が拡大しなければ経済が伸びないのだというのです。(中略)しかし、消費を重ねることによって経済成長を続ける旧来モデルは抜本的な転換を迫られています。日本経済が今後永遠に成長を続けることは不可能ですし、そもそも地球環境を考える時、そのような際限のない経済成長はもはやあり得ないはずです。(中略)昔、地方の町や村には篤志家、素封家といわれる家がありました。大金持ちというわけではないけれどもそこそこの資産を有し、先祖代々続いた歴史を持ち、教養があり、冒し難い気品と威厳に満ちていました。何より、ギラギラした欲がなく、権力へのこだわりもなく、貧しい家の子に学費を出してあげるなど、人々のために尽くすことで人々から尊敬を集めていました。私は世界という村の中で、日本は素封家のような存在になるべきだと思うのです。そうすれば日本人は世界中からもっと尊敬と信頼を受けることができるに違いありません。私は、それこそが日本という国家がとるべき『王道』であろうと思います。」(P167)