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お互いさま・五分五分・ウインウイン・・・

2021.09.13 11:00

1⃣日本には、「お互いさま」と言う言葉があります。

お互い、困りごとがある時は助け合いましょうと言う事ですが、「五分五分」も「ウインウイン」もある意味においては同じです。

毎日の生活の中で、私たちは、あいさつに始まり、あいさつに終わる毎日を過ごしているはずです。

筈ですとは、あいさつもしないでも、時間は過ぎていくので、しない人も多いと言う事です。

ともすると、「しなくても、誰も死ぬわけでもあるまい」と言う人もいるわけです。

しかも、知っている人同士でもしない仲間内の社会に生きている以上、知らない人同士では、あいさつはしません。その場の空気を読んで、会釈に似た挨拶がある程度と言うのが、一般社会です。

この挨拶なしで、話が始まることはないのが常識ですが、その始まりもなくいきなり話を進めだすと言う事もよくあります。

しかし、私生活でも、仕事上でも、「与えたら、返す」と言う行為がなされないと、物事は全てにおいて、行き詰まりを示します。

例えば・・・、

・Aさんが「おはようございます」と言うのにBさんは知らぬ顔であったり、何も返事をしないか、たとえしても「おッス」では、お互いが同じ感情線上にはありません。

・「何かをもらった時には、お返しに困る」と言うのも、この5分5分とか、ウインウインの関係をよく表しています。

この場合は,一対一の関係を基にしたお返しを考えます。

1000円のものをもらったら,1000円相当のものを返すと言うのが誰もの常識とする所です。がその時の返礼品が、それ相当でないこともあります。

そうすると、返礼品をもらったほうは、必ず品定めをしますので、与えた物に相当するのか、それ以下かを見定めます。

その時、それ以下であったとすると、損をした気分になるので、その後の付き合いの仕方にまで、影響を及ぼすのが普通です。

ですから、戴き物の返礼には、その価値以上のものを返すと言うのが、賢明なやり方となります。

多くはそれに困るので、戴き物など、初めからないほうがいいとも思うのです。

とは言え、そうも言っておられないので、いつものようなお付き合いを続けることとなります。

ここに、ウインウインの関係を見定めることの必要性を感じとらなければなりません。

なにも貰ったものが10だから10以上のものを返さねばならないのではありませんが。

10返すのが基本であり最低線だと言う事です。


2⃣自分で勝ち取る⇔人をなじる

さて、このような事は、日常の些細な事にも多いものですが、このような礼儀をわきまえないと、その場では何気なく終わってしまったことでも、いつの間にか、両者の中は、関係が壊れているものです。

それを察知することも大切ですが、それ以上に礼儀をわきまえていないかを常々考えた行動が大事だと言う事です。

世界に目をやる時、(ほとんど)経済大国が、経済援助をする事があります。

この時、相手からの返礼を期待して援助するわけではありません。

しかし、援助された側が、その恩に何も報いないと言うのは、偏りすぎでしょう。

「無償の愛」と言うものはあります。

それは、何も相手からの返礼を期待するものではありません。

しかし、「ありがとう」ひとつで終えるには、あまりにも無礼すぎます。

金持ちな人だから貧乏な人に分け与えるのが当然と言う理屈はないのです。

経済的に豊かになった人・国は、その努力故になったのであり、棚から牡丹餅式になった人(国)は少ないのです。

血と汗の結晶から生み出した財産家を羨むことはあってもヤジるとか、分けるのが当然と言うような考えをするのは、おかしいのです。

努力もしないで、生きている人に限って嫉みを持ちます。

人(国)からもらい(援助)ながら、「俺のものは俺のもの。他人のものも俺のもの」と言う人(国)もあります。

資本主義社会は、貧富の差を生みやすいこともそうですが、そこには「働かざる者食うべからず」の理論が、成り立っています。

しかも、幸せ(多くは財力)は、自分で勝ち取ってきた人が得るものと言う公式は不動且つ当然の理屈なのです。



3⃣「働き方改革」と言うのが、浸透していない。

「働き方改革」と言うのが、浸透していないと言います。

その理由のひとつには、「仕事のできない人・仕事をしない人」にとって有利な理屈で有ると言われています。

ここにも、「お互いさま」や「五分五分」も「ウインウイン」も成り立っていません。

勿論、頑張っても頑張っても、努力の甲斐もない生き方しかできない(できなかった)と言う人も多いのは昔からの事実です。

それはほとんどが、社会体制、とりわけ、行政の問題がほとんどです。

ならば、その時思うのが、社会主義で有ったら平等であったろうと考えることです。

しかし、これには、資本主義社会だから多くのものが豊かに発展している事から享受できる生活が出来るという恩恵を考えに入れていないのです。

「社会主義で発展している国もあるではないか」と言うならば、そこには西欧の資本主義が以前から入っていたから出来たのです。

歴史を見ればわかります。資本主義社会が歴史を作ってきたと言って、間違いありません。

「自由」を考える時、そこには常に資本主義が同時進行します。

資本主義であったからこそ、産業革命が起こったのです。


戦後日本が短期に急激な成長を成し遂げられたのも、非常なる「仕事をした」からです。

勿論、すべてにおいて過剰すぎる点は、改めねばなりません。

「国家・国民が一丸となって働く国」・・・これの無い国は、先進国の仲間入りはしていません。


話を元に戻せば、日本式の「挨拶に始まり挨拶に終わる」社会は、少なくとも、生活しやすい社会に通じます。