首里城に見る「持続可能な観光」の意味
2019年12月に首里城を訪れた。不運の火事による焼失によって、どのように変化したのか、研究者としても気になっていた。
焼失した首里城正殿内部には入ることができないものの、正殿の近くまで見学することができるようになっており、焼失した首里城をカメラに収める多くの観光客がいた。復興コースなるウォーキングコースもあるようで、それを表記したチラシが配布されていた。メディアでの報道の影響もあり、焼失した首里城も観光対象となっているようであった。
観光客の客足が遠のいているとの報道であったが、実際に訪れると修学旅行生の姿もあった。近くの土産屋に訊くと焼失現場を見せる復興コースができてから客足にも動きがあるようだ。
焼失した首里城を見て悲しんだのは、観光客だけではない。最も悲しんだのは、それがあることを当たり前にしていた那覇市民であり沖縄県民であっただろう。つまり、観光資源とは観光事業者や観光者のためのものだけでなく、地域住民にとっても価値ある存在である。特に天賦性のある自然環境、長い歴史の上に成り立っている文化財は、観光利用される観光資源であると同時に、公共財として理解すべきであろう。
焼失した後も首里城に絶え間なく人びとが訪れて、焼失したこと自体を悲しみ、そして復興する機運や寄付活動が広がっているのは、首里城が人びとにとっての誇りある価値ある資源であった証である。
「持続可能」の意味
さて、「持続可能な観光」というときに、あなたはその時間軸や空間軸はどの程度のものと理解しているだろうか。おそらく人によって異なる解釈をしているように思う。
特に現代社会は、瞬時に世界中を情報が駆け巡り、テクノロジーの進化も商品サイクルも早く、「F1レース」のような社会である。したがって、人びとの視野が狭く、思考は短期的になりがちで、地球レベルの空間軸や世代を超えた時間軸を持ちにくい社会とも言える。
そんな不確定で流動的な社会であるからこそ、「川を上り、海を越える」旅人のもつ視野と思考は必要である。「川を上る」とは地球や人類の歴史から学ぶこと、「海を越える」とは世界から学ぶこと。自己中心的で天動説型の視点でなく、自己相対化して地動説型の視点による思考・行動が、世代を越える地域の個性を見つける方法であり、それが真の持続可能な観光と地域づくりである。
そうした文脈で改めて地域をみた時に、現在の地方創生がいかに刹那的なことに多額のカネや労力が割かれていることがわかる。その一方で、気づかないうちに大切な価値が失われていることにも気づくだろう。地域の誇りが保持された持続可能な観光とは、地球という空間軸の中で価値ある地域個性を、世代を超えて長い時間をかけてつくるものである。世界中の人々が訪れて、地域住民にも愛される観光資源とは、一度失うと元に戻らないかまたは長い時間を要する不可逆又は再生不可能なものである。首里城は、それを象徴する存在である。
現代が人生100年時代だとすれば、せめて200年レベルの時間軸で価値あるものをつくるということでなければ、持続可能な観光とは言えない。持続可能な観光とは、最低でも200年越しのプロジェクトなのである。
(以上)