I love him and her.
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ある日のこと、友達と好きな人について話していた。
わたしは「今、彼みたいな人がいるけど、他に好きな人ができたので、
今度その人に会いにエジプトに行く。」と言った。
すると友達から「あなたたちはMonogamyではないの?」と聞かれた。
Monogamyという言葉を知らなかったので、どういう意味なのかと聞くと、
Monogamyとは、恋愛や結婚における、1対1の関係性のことを言うらしい。
わたしは、そういう定義のようなことを、あまり気にしていないので、
「うーん、分からないけど自由にしてる。」と答えた。
すると友達は、
「同時に複数の人を愛することができる人を、Polyamoryと言うの。
だけど、同時に1人しか愛せないけど、
複数の人と関係を持つことのできる人には、また別の名前があるの。
あなたはどっちだと思う?」と尋ねてきた。
わたしは答えた。
Whatever!!!!!!(どうでもいいんだけど!!)
ポリアモリーとか、最近聞くことが増えたけれど、
そういう言葉を聞くと、とても違和感を感じる。
またある日のこと、雑誌を読んでいると、
LGBTQの特集か何かで、世界のセレブや有名人を指して、
彼はトランスジェンダーで、彼女はセクシュアルフルイド、彼はパンセクシュアル、
というようなことが紹介されていた。
馴染みのない言葉が多かったので、ネットで調べてみると、
LGBTQについて、詳しく説明するサイトにたどり着いた。
初めて知ったセクシュアリティーが多かったので、ここでいくつか紹介したいと思う。
Pansexual・パンセクシュアル
生物学的な性別や性自認に関わらず、すべての人を恋愛、性愛の対象とする人。
Nonsexual・ノンセクシュアル
他者に対して恋愛感情は有り得たとしても、性的欲求を持たない人。
Questioning・クエスチョニング
自分の性別が分からない人や意図的に決めていない人、決まっていない人、模索中である人。LGBTQのQのうちの1つ。
そのほかにも、Xジェンダーだとか、シスジェンダーだとか、
いろいろな在り方と説明があったけれど、
あまりにも多くの「名前」と「分類」がありすぎて、
なんだかよく分からなくなった。
記事によると、中には自分がどこに当てはまるのか分からなくて、
悩んでいる人までいるらしい。
そういうネットの記事を読んでいて思ったことは、
そもそも「分類分け」は必要?ということ。
世の中には、ゲイとかバイとかトランスジェンダーとか、
パンセクシュアルとかモノガミーとかポリアモリーとか、
いろいろな「名前」がある。
だけど、そもそもそれらは、
人それぞれ違う「自然な在り方」に、誰かが名前をつけたものだ。
つまり、人それぞれに「普通」が違うだけなのだから、
そういう名も無い個性に、
わざわざ「名前」や「肩書き」をつける必要があるのだろうか。
名も無い個性に「名前」をつけることと、
名も無い土地に「国境」を作ることは似ている。
地球という名の1つの星に、
ここからがエジプトで、
ここからがイスラエルという風に、
「国境」という名の線を引くことは、
「境界」以外に何を生み出すのだろう。
人は分類することが好きだ。
分類することで、分かりやすくなるし、
分かりやすくなることで、安心できるからだ。
だけど、たくさんの物事を分類して、
たくさんの「名前」が増えることは、
たくさんの「国境」が増えることと、
同じことなのではないのだろうか。
いつの日か、そう遠くない未来に、
すべての人の「普通」が、
「普通」になることを願う。
そして、好きな人がいるのなら、
「境界」など引かずに、
ただシンプルに言えたらいいと思う。
つまり、
私は彼が好き。でもいいし、
私は彼女が好き。でもいい。
僕は彼女が好き。でもいいし、
僕は彼が好き。でもいい。
私は彼と彼が好き。でもいいし、
僕は彼と彼女が好き。でもいい。
それ以外でも、なんでもいい。
何故ならそれらは、
一番大切な「論点」ではないのだから。
そしてあなたは、
性別や役割、世間が語る「何者か」である以前に、
「あなた」という、この世にたった1人しかいない、
唯一無二の「存在」なのだから。
最後に、一番大切な話をしよう。
例えば1人の男性が、ある男性を好きになったとしよう。
ここでゲイという「肩書き」を使わずに、この状況を説明するのなら、
人が人を愛した、ということだ。
それ以上に、大切なことは何もないし、
要点も重点も、それ以外には何もない。
人が人を愛したということ。
それ以上に大切なことは何もない。