シンクロちゃんマジック
二浪を経てようやく大学生になった
長女は
サークルに入ったり
半年くらいは
新しい大学生活を
エンジョイしていた。
しかし秋も深まる頃には
毎年のことながら
体調不良になり
朝が起きれなくなる。
親元にいた時は
それでもなんとか
学校に行けてはいたけれど
一人暮らしになると
難しい。
今の大学は出席に厳しくて
同じ科目を3回欠席すると
単位が取れないらしい。
中でも1限から始まる体育が
危機的状況だった。
そんな12月の初め
珍しく朝の7時半に
長女から電話があった。
あら早起き!と思って
電話に出ると、
「お母さん!火事!
布団が燃えてる!」
「えええー!し、しょ、消防車は?」
「よんだー!今消化器借りてきて
消しよるっ。」
「で、電話してる場合じゃないでしょ」
「布団はだいぶ消えてきた」
「そしたら、水かける前に確認してもらって!
水浸しになったら後が大変だから!」
消防士さんが入って来られたみたいで
一旦電話が切れた。
な、な、なにー?
こ、こんどは火事。
命は無事そうだけど、
どうか放水されませんように!
驚きすぎて電話を握りしめ
部屋の中をぐるぐる回る。
あ、でも、京都に行くべきか。
夫に相談して
とりあえず、準備をする。
30分ほど経って再び電話が入る。
「火は消化器で
消したと伝えたら
バケツで水をかけて、
放水はされなかった。
手に少しだけ火傷したから
今救急車に乗せられた。
とりあえず大丈夫だと思う。
部屋が消化器の粉とびしょびしょの
布団と、羽毛布団の毛が舞って
凄いことになってるけどー」
ベットから遠目に設置していた
予約タイマーを7時にかけた
電気ストーブに
二枚重ねた布団を蹴飛ばして
火がついたらしい。
放水されなかったことに
ホッとした。
大家さんのお顔も浮かぶ。
とりあえず京都に向かおう。
たまたま前日から
次女は高校の修学旅行で
大阪、京都にいた。
受験生の
長男には書き置きを残していく。
私が京都に着いた頃
「京都なう」
と祇園で着物を着た
笑顔の次女の写メが
送られてきた。
「お母さんも京都なう」
1人でつぶやいて苦笑いする。
それにしても
長女の事件が大きくて多すぎる。
本当にまったく!
どうしてこうなんだ〜。
あらゆる後始末を1泊2日で済ませ
ヘトヘトになって地元に戻る。
余談だが、
消化器を2本撒いた長女に
消防士さんが
「君、火事経験者?
普通は消化器
まけない人多いんだよね。」
と言われたそうだ。
長女は小学校のころ防災訓練で
全校生徒代表で2回も消化器を
まかされた経験があったらしい。
この日のための予備体験だったのか。
人生無駄なし、と思っても
笑えなかった。
長女の味方になると決めていたものの
この先もこんなことが続くのか
と、不安になる。
ラインはまだいいけれど、
電話がかかると毎回ドキドキする。
今度は何をしでかした?
のかと、思ってしまうからだ。
相変わらず人間関係は
いろいろ難しそうだった。
二年生に進級したものの、
体育は落としてしまった。
もう一年、
新一年生と体育の授業を受ける。
3つも年下なんだよ。
と、すねていた。
そして梅雨を迎えた。
また、連絡が取れなくなる。
むむむ。
またしても不調か。
学校にも行ってないのかな?
音信不通が3週間になり
恐る恐る大学に電話をすると
やはり学校に来てないらしく
進級が危ないことを知る。
はぁぁぁぁ。
再び京都に向かう。
ホントの体調不良もあり
病院にも連れて行き
今後の話し合いをする。
体調不良に加え
思うように画が描けないらしく
課題の提出ができず
もう続けるのは無理かも、
と投げやりになっていた。
二浪もしてやっと合格したのに
なんで?
怒りとともにため息をつく。
学生課と相談して
教授の面接を受けたあと、
休学の手続きをすることになった。
ところが
学生時代に同じような体験を
されたことのある
日本画の教授の
粋な計らいで
長女は夏休みの間に
未提出の画を描きあげて
なんとか留年を逃れた。
不思議なことに
長女には
いつもだれかが手を差し伸べて
くれる。