風雅和歌集。卷第十九神祇哥。原文。
風雅和歌集
風雅倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年八月二十五日印刷。同三十日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。
風雅和謌集卷第十九
神祇哥
世中に物思ふ人のあるといふはわれを賴まぬ人にそ有ける
是は鴨御祖明神の御歌となん
三笠山雲井遙に見ゆれとも眞如の月はこゝにすむかな
世中に人のあらそひなかりせはいかに心のうれしからまし
此ふた歌は曆應三年六月の比春日の神木やましなてらの金堂に渡らせ給ける時つけさせ給けるとなん
我かくて三笠の山をうかれなはあめのしたには誰かすむへき
これは春日の御坂木都におはしましける春の比ある人の夢に大明神の御歌とて見えけるとなん
波母山や小比叡の杉のみやまゐは嵐もさむし問人もなし
是は日吉地主權現の御歌となん
有漏よりも無漏に入ぬる道なれはこれそ佛のみもとなるへき
此歌は後白川院熊野の御幸せ卅三度に成ける時みもとゝいふ所にてつけ申させ給けるとなん
もとよりも塵にましはる神なれは月のさはりも何かくるしき
是は和泉式部熊野へまうてたりけるにさはりて奉幣かなはさりけるに晴やらぬ身のうき雲のたなひきて月のさはりとなるそかなしきとよみてねたりける夜の夢につけさせ給けるとなん
神祇を
後伏見院御歌
神路山内外に宮のみやはしら身は朽ぬともすゑをはたてよ
建治百首歌に
後西園寺入道前太政大臣
うこきなき國津まもりの宮柱たてしちかひは君かためかも
河を
太上天皇
よとみしも又立歸るいすゝ川なかれの末は神のまに〱
左兵衞督直義稻荷に奉納し侍ける十首歌の中に月を
前左大臣
やはらくる光をみつの玉かきに外よりもすむ秋の夜の月
神祇を
院御歌
神風にみたれし塵もおさまりぬ天照す日のあきらけきよは
月五十首御歌の中に雜月を
後宇多院御歌
とこやみをてらすみかけのかはらぬは今もかしこき月よみの神
社頭月を
荒木田氏之
すむ月もいくとせふりぬいすゝ川とこよの波の淸き流に
豐受太神宮にて立春の日よめる
度會家行
をしほ井をけふ若水にくみそめて御あへたむくる春はきにけり
神祇を
度會延誠
世々をへてくむともつきし久方のあめよりうつすをしほ井の水
みつからよみあつめたりける歌を三十六番につかひて伊勢太神宮に奉るとて俊成卿にかちまけしるしてと申けるに度々辭申けれとしゐて申侍とて歌合のはしに書つけてつかはしける
西行法師
藤浪をみもすそ川にせき入てもゝえの松にかけよとそ思ふ
勝負しるしつけてつかはしける歌合の奧に書付侍ける
皇太后宮大夫俊成
藤波もみもすそ川の末なれはしつえもかけよ松のもゝえに
題しらす
荒木田房繼
ふして思ひあふきて賴む神路山ふかきめくみをつかへてそ侍
度會朝棟
かたそきの千木は内外にかはれともちかひはおなしいせの神風
賀茂遠久
久方のあまの岩舟漕よせし神代のうらや今のみあれ野
鴨祐光
君かためみくにうつりて淸き川の流にすめるかものみつかき
賀茂惟久
かた岡の岩根の苔路ふみならしうこきなき世を猶祈る哉
雜歌に
前大納言爲兼
あふきても賴みそなるゝいにしへの風を殘せる住よしの松
津守國夏
我君を守らぬ神しなけれとも千世のためしは住吉の松
神祇歌の中に
後光明照院前關白左大臣
思ひそめし一夜の松のたねしあれは神の宮井も千世やかさねん
春日社に參りて身の數ならぬ事を思ひて讀侍ける
京極前關白家肥後
みかさ山その氏人の數なれはさしはなたすや神はみるらん
雜歌の中に
前太政大臣
そのかみを思へは我も三笠山さしてたのみをかけさらめやも
春日社へまいりてよめる
刑部卿賴輔
數ならてあめのしたにはふりぬれと猶賴まるゝ三笠山かな
寛治百首歌に嶺松を
前大納言爲氏
ふりにける神代も遠し小鹽山おなしみとりの峯の松原
建武の比籬の御歌の中に
後伏見院御歌
しつみぬる身は木かくれの石淸水さてもなかれの世にしたえすは
神祇を
太上天皇
賴むまこと二なけれはいはし水一なかれにすむかとそ思ふ
百首御歌に
祈る心わたくしにては石淸水にこり行世をすませとそ思
社頭月を
前左大臣
今まてはまよはて月をみかさ山あふく光よ末もへたつな
春日社にて月を見て
中臣祐春
我心くもらねはこそ三笠山思ひしまゝに月はみるらめ
祖父祐茂自筆の祝本を見てよみける
中臣祐植
かはらしな跡はむかしに成ぬとも神の手向の代々のことのは
文治六年女御入内の屏風の歌春日祭の社頭儀
皇太后宮大夫俊成
春の日も光ことにや照すらん玉くしの葉にかくるしらゆふ
神祇を
紀俊文朝臣
名草山とるや坂木のつきもせす神わさしきけ日のくまの宮
日本紀をみてよめる
前大僧正慈勝
あきらけき玉くしの葉の白妙にしたつ枝まてぬさかけてけり
狛光房
うかやふきなきさに跡をとゝめしそ神代をうけし始なりける
春日若宮神主になりてよめる
中臣祐臣
春日山おなし跡にと祈りこし道をは神も忘れさりけり
雜歌に
賀茂敎久
世を祈る心神やうけぬらし老らくまてに我そつかふる
天台座主にて侍ける時日吉祭の日禰宣匡長かもとよりかさしのかつらを送りて侍けれは
入道二品親王尊圓
久堅の天津日吉の神まつり月のかつらもひかりそへけり
神祇を
祝部成國
むまれきてつかふることも神垣に契りある身と猶賴むかな
前中納言爲相
代々をへてあふく日吉の神垣に心のぬさをかけぬ日そなき
寄鏡神祇といふことを
前左大臣
九重にあまてる神のかけうけてうつす鏡は今もくもらし
權大納言公䕃
あまてらすみかけをうつすます鏡つたはれる代のくもりあるらめや
熊野にまうてゝ三の山の御正體を奉るとて讀侍ける
源有長朝臣
かす〱に身をそふ影と照し見よみかく鏡にうつす心を
曆應元年津國のうての使にまかりてしつめ侍ける後住吉社にまうてゝよみける
髙階師直
天くたるあら人神のしるしあれは世に髙き名はあらはれにけり
日吉社に奉りける百首歌の中に櫻を
皇太后宮大夫俊成
山櫻ちりにひかりをやはらけて此世にさける花にや有らん
雜歌の中に
前大僧正慈鎭
日の本は神のみ國と聞しより[・からに(イ)]いますか[・る(イ)]ことく賴むとをしれ
嘉元百首歌奉りける時神師
後西園寺入道前太政大臣
天津神くにつ社とわかれてもまことをうくる道はかはらし
おなし心を
後宇多院御歌
天津神くにつやしろをいはひてそわかあしはらの國はおさまる