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KANGE's log

映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」

2020.01.09 12:54

前作は、見知らぬ土地に突然嫁入りすることになったすずの目を通して、戦時中の生活を、疑似体験させるような作り方をされていたかと思います。しかし、本作では、すず以外のキャラクターについても、その背景や感情が濃密に描かれています。「生活を描く」というより、「人物を描く」ことに重点が置かれているという印象を受けました。

前作でもそうでしたが、「もしかして妊娠?」のシーンのようにスパッと場面をとばして見せるかと思えば、まずは荷物を石垣に押し付けてから背負うという細かな描写がわざわざ入っていたりします。こういうシーンがあるから、「確かに、そこに生きている」という感じがあるんですよね。とても緩急のバランスのいい展開で、長尺もまったく飽きません。ゆったりと進行しているように見えますが、中身はさらに濃密になっています。 

周作とリンの間には過去に何かがあったらしいことは前作でもサラッと触れられていましたが、本作では、そのことがすずの嫁入り話とも関係していることが明かされます。しかも、すずにとっては、子どもができない、晴美を死なせてしまう、自らも右手を失って家事もできない…という、どんどん北條家に居場所がなくなっていくというタイミングで。そのうえで、代用炭団のくだりが入って、すずの葛藤が強く印象付けられます。

周作にはリンがいて、すずには哲がいて、すずはリンのことを慕い、周作は死に行く哲の運命を思う。正解なんてなさそうな、どこに感情を持っていけばよいのか分からないような人間関係が描かれています。 

一方、前作では、すずと小姑の径子の関係性が中心に描かれ、それゆえに、晴美の死が物語上大きなインパクトを持っていたわけですが、それが相対的に突出したエピソードではなくなっているように見えました。

また、雪の日のテルとの出会いのシーン、花見でのリンとの再会のシーン、壮絶な台風のシーンが追加されたことによって、原爆投下から終戦の夏だけでなく、昭和20年にも当然のように四季があったことが描かれています。

戦争があろうがなかろうが、時は流れていき、人は傷ついたり葛藤を乗り超えて生きていくのだが、その日常の中に戦争が入り込むことで、どれだけ理不尽に日常が狂わされるものなのか、ということを描きたかったのでしょう。

そうやって徹底的に日常を描くなかで、すずが描く絵にだけは非日常が含まれていますよね。怖い兄をキャラクターにした鬼ィチャン、波間の白うさぎ、食べたことのないお菓子や、今は食べられなくなったスイカ、行ったことのない南国。すずの想像は、彼女にとって大きなアイデンティティだったはず。その絵を気に入ってくれたリンは、すずにとっては「この世界の片隅にウチをみつけてくれた」1人だったのでしょう。

そして、周作とリンとのことを踏まえると、「この世界の片隅にウチを見つけてくれてありがとう」というのは、決して「見つけてくれて、夫としてウチを支えてくれてありがとう」ではなくて、「見つけてくれて、子どもの世界から大人の世界へ連れてきてくれてありがとう」という、少し距離感のある、大人としての感謝の気持ちに思えてきました。