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「日曜小説」 マンホールの中で 2 第一章  5

2020.01.11 22:00

「日曜小説」 マンホールの中で 2

第一章  5


「幽霊の正体ねえ」

次郎吉は、そこで一度言葉を区切った。なにも、もったいぶって善之助を待たせて喜んでいるわけではない。それよりも、先に確めておきたい事があった。

「その前に、あの小林っていう婆さんは、本当に資産家なのかい」

「何をいきなり言うんだ」

善之助は、さすがた怒鳴り声はあげなかったものの、なんとなく不満そうな表情をあらわにしてしまった。

善之助にしてみれば、自分一人では出来ない事を無理を言って頼んでいる訳だし、そもそも、次郎吉にはなんの得もない話なのである。

そのような事を 頼んで、不満を言う事など許されない事も、よくわかっている。

しかし、やはり、目の前に美味しい餌があり、それをずっと待たされている犬の気持ちがよくわかる感じだ。

しかし逆に、次郎吉がただ面白がって話をのばしているのでもないこともわかる。ここは、素直に答えた方が良い事はなんとなく雰囲気でわかる。

しかし、少し不満に思う気持ちは、すぐに口を開くことを、潔くしなかった。

「どうかな」

「わからないか。まあ、爺さんも噂話以外 他人様のお宝なんてわからんものなあ」

「まあ、金の相談を受けている訳ではないし、次郎吉さんみたいに 小林さんの家に入って金庫の中を見てくるわけでもないからね」

「爺さん、ほとんどの泥棒は、金庫を開ける前に中にあるものがわかってないと、仕事にならないんだな」

「そういうものか」

「ああ、 そうでなくては、短い時間でお勤めができないし、家人が帰って来たりすれば途中で逃げたり、争ったりしなければならなくなる。それは、泥棒ではなし、強盗っていう我々が最も嫌う事になるんだ」


妙に、説得力のある言葉だ。善之助は、ある意味で、次郎吉が言うプロの泥棒というものが、善之助の思っているよりも、はるかに厳しい中でやっているとわかる。

もちろん、全ての泥棒がそうであるとは限らない。しかし、プロを自分で考えている人は、そのような 自分なりの掟があるのだろう。

「いや、へんな意味じゃないから」

「ああ、わかつてる。それで、小林さんはどうなんだ」

「噂では、かなりの資産家ということだ」

「ふむ」

次郎吉は、黙ってしまった。夜中の自室で大人が二人、黙って座っているのはなくとも心苦しい。

「爺さん、正直に言うが、あの家、小林さんて言ったかな。そんなに金はないぞ」

「なに、君が盗んだのか」

「おい」

 さすがの次郎吉も大声を上げた。まさか金がないといって、自分が盗んだと思われているとは思わなかったのである。

「爺さん、そりゃひどいよ。いくら俺が素晴らしい泥棒でも、ないものは盗めねえ」

「ない。」

「ああ、あそこに盗むものはないよ」

 少し大声を出してしまったので、慌ててまた声を潜めた。声が小さくなると不思議に心も落ち着くものである。感情のまま声を出すことは、泥棒では絶対のタブーだ。

感情に任せて動いて良いことはない。天井に潜んでいるときに、鼠に足や鼻をかじられても、絶対に感情に任せて声を出してはいけないし、また、感情に任せて相手を殺してしまえば、そのまま強盗致死で裁判で死刑になってしまう。

感情のまま動いて良いことなどは全くないのである。

このことは一般に生きる人でも同じだ。人間が社会生活を送るうえで、社会というのは、常に「理性」で動くものであり、そこは「動物的な無秩序」を最も嫌うのである。

大声を出すとか、感情のまま動くというのは、まさに「動物的な無秩序」の典型的なものであり、結局、社会性がないということになってしまう。

泥棒などという社会性のない商売であっても、相手が社会性のある人間である場合、それは相手に会わせて社会性を身につけなければならない。つまり、泥棒のような社会性のない人間でも、社会性を持ち合わせ理性で自分を制御しなければうまくゆかないのである。

今の場合も同じだ。善之助に何か言われたからといって、大声を出すようなものではない。それで誰かがこの家に入ってこようものならば、たちまち、様々なことがばれてしまう。

善之助が目が見えないからいいが自分が逮捕されてしまったり、善之助の家に警察が山ほど待ち構えているということも十分にありうるのである。

自分を落ち着かせるために、次郎吉は深く深呼吸をした。

「それは何かがおかしいよ。小林さんといえば、かなりの資産家で通っているし、身なりもかなり良い。服もいつも良いものを着ているよ」

「なぜ目が見えないのに服の良さがわかる」

「少し触ればよい。もちろん痴漢をするわけではないぞ。握手をするときとか、何かで、袖口とか、背中とかを触ればよい。そもそも老人であるし、目が見えないから多少は大目に見てくれる。その時の服の生地はだいたいが絹、それも上等品だよ」

 次郎吉は笑うしかなかった。この爺さん、そうやってスキンシップを図っているのかと思うとなかなか笑えるのである。

「何かおかしいか」

「まあ、爺さんなりに調査しているということだな」

「ああ」

「それならば、その服がかなり古いもので、時間がたっている。つまり昔は金持ちだったが今は新しいものを買うことができず、昔のものを大事に着ているということはないか」

「ああ、そうか。そういえば、袖がほつれているときが何回かあったな」

 善之助は、やっと気づいた。次郎吉の情報の方が正しいことは間違いがない。しかし、それならば話し方などはもっと忙しなくなっているはずだ。しかし、そうではなく、常に上品でおっとりしている。もう治らないのか、あるいは、貧乏があまり本人には感じていないのか。

「だろ、爺さん。不動産とかはあると思うが、実際にそんなに現金や貴重品が家の中にはないんだ。まあ、俺が盗むようなものは何もないという感じかな」

「しかし、あのご主人の商売から見れば、そんなに金がなくなるはずがない。いや、手広くやっていたから意外と借金が多かったのかもしれないが」

 善之助にしてみれば、小林さんの上品な物腰の話し方、そして、いつもゆっくりとした歩き方など、なかなかまねができるものではないのである。

「いや、そうじゃないな。幽霊が持って行ったんだ」

「幽霊」

「ああ、まあ、正確に言えば、幽霊の正体だな」

「最近は幽霊も金が要るようになったのか。世知辛い世の中になったなあ。まあ、何か幽霊も銀行口座があったり、幽霊が買い物に来るようになったのか。」

 もう、困ったものだ。幽霊の正体とわざわざ言い直しているのに、善之助はそのことに全く頓着しない。このままだと幽霊が金をもって買い物に来たり、老人会の幽霊が相談に来るようになってしまう。それはそのまま次郎吉が幽霊の依頼を善之助を通して解決しなければならないということである。

「爺さん、幽霊の正体といっただろう。幽霊は本物ではない。幽霊を語る人間のことだ」

「で、それはだれが」

「小林の嫁」

 次郎吉は、それまでよりもさらに声を低くして言うと、そのまま大声を出しそうになった善之助の口をふさいだ。ここで大声を出されては困る。何しろ住宅地の真ん中で、善之助のような爺さんに大声を出されれば、それこそ泥棒に入られたということになるのである。人助けをし、そのうえ、依頼主に大声を出されて捕まるなんて言うのは、とてもじゃないがやってられるものではない。

「わかった。声は出さないよ。で、本当に嫁か」

「あそこの嫁さんだよ」

 次郎吉は自信をもっていった。

「なぜ」

「どうも贅沢三昧して、そのうえホストクラブか何処かに通って金を使っているらしい」

「なるほど、それで小林さんの資産を金に換えて……」

「それだけではなく、あの家を売って金にしたいと思っているらしく、幽霊を使って追い出したり、小林の婆さんを操ろうとしているようなんだ」

 金目当てで、幽霊話を作り出したということなのである。

ありがちな話だ。しかし、それでは家庭内の話なので手の出しようがない。また小林さんに忠告をしても、やり手の嫁に復讐されるか、あるいは幽霊ではない他の方法をされてしまうかもしれない。そのためには今どうやって幽霊を作り出したか知らなければならない。

多少寝不足で、夜に起こされているから、少しボケている善之助であったが、しかし、このように見えてくれば、マンホールの中の時のように、頭が冴えてくる。

「で、どうやって幽霊を作り出したのか」

「爺さん、説明しましょう」

 頭がさえてきた善之助であれば、次郎吉も話が乗ってくるのであった。