真実を見るために赦す 2020.01.10 01:52 奇跡のコースで言われている「赦し」とは、誰かがやったことを赦すのではなく、それは為されて無かったそれは起こっていなかった私は行為者ではなく見るものだった今ここに在るのは、神の愛のみだった…………真実の自覚を取り戻すために、心の私が自我と同一化するのではなく、『分離は起こらなかった』と知っている聖霊に心を明け渡し、聖霊の目を通して、世界を見る。そして、聖霊と共に世界を見ると、兄弟への知覚が、愛か愛と助けを求める声の2つだけを受け取ることになる。だから、私がすることは、ただただ愛を延長するだけ。その愛の延長とは、自我の私個人の欠乏感を埋めるためや、私個人の価値を高めるため、私個人の承認欲求を得るため…ではなく、聖霊に尋ね、なさっていただかないと、何が愛の延長なのか…分離を信じている「私」には分からない。奇跡のコースを実践して、自我の訴えている愛と聖霊がなさる愛の延長が違うことも認識する。今、私自身も自分にとって必要のないものが手放されていくという事が更に起こっている。今まであった仕事やご縁など…私個人は「それが手放されて大丈夫なの?未来への保証は??」などと訴えている。でも、真の目覚めを意志しているので、聖霊の導きを信頼するのみなのだ。自我は個人の利益・防衛のために常に考える聖霊は全体のため、すべての兄弟のために最善をなさって下さる分析して考える努力は必要なく、「私は何も分かりません」とサレンダーして、あなたに委ねますと明け渡し、ただなさっていただく。それが普遍的になると…聖霊と共に神の愛の自覚・平安を感じながら、外側に振り回されることのない幸せな人生を生きる事となるのだ。ありがとうございます。