我ここに立つ27-カトリック革新トリエント
2020.01.10 02:05
1545年3月15日トリエント公会議が開催された。この会議は断続的に63年にまで続いた。結果的にこの会議はカトリック側の改革となり「反宗教改革」や「対抗宗教改革」という言い方ではなく、カトリック改革と言うべきだろう、遅きに失した感があるが、ともかくカトリックに新しい息吹をもたらした。
新教の主張に対しては、「聖書のみ」ではなく「聖書と聖伝」と決められた。また従来の7つの秘跡はすべて承認された。免罪符の金銭取引は禁止されたが、従来の「罪を許す」権能は確認され、聖人崇敬も継続されることとなった。恩寵のみという「義認論」については、人間の協働が認められた。
新教の聖書解釈に対抗し、人間が神へと近づく主体性の潮流が生まれた。イエズス会の「霊操」が注目され、9名だった会は、10年で千人を越えるまでになる。ちなみに現代の構造主義者ロラン・バルトまで解析しているそうだ。修道会も刷新され、厳しい戒律によって神への道を歩む新たな聖人が出てくるようになる。
新教の簡単なマニュアル教育が取り入れられ、公教要理(カテキズム)によって信徒をしっかり教育することとなった。ただ新教も旧教も、教義を厳格にすみずみまで浸透しようとするあまり、従来見逃されていた民間信心を取り締まるようになり、悲劇が起きてくるのである。