壬生忠岑の和歌。忠岑集。原文。全文。據國哥大觀
壬生忠岑[無位。右衞門府生]ノ家集
已下典據戰前版國歌大觀
忠岑集
ふるうた召しゝ時添へて奉る
くれたけの よゝのふること なかりせは いかほのぬまの
いかにして おもふこゝろを のはへまし あはれむかしへ
ありきてふ ひとまろこそは うれしけれ 身はしもなから
ことの葉を あまつそらまて 聞えあけて すゑのよまての
あとゝなし いまもおほせの くたれるは ちりにつけてや
ちりの身の つもれることを とはるらん これをおもへは
いにしへに くすりけかせる けたものゝ そらにほえけむ
こゝちして 千ゝのなさけも おもほえす ひとつこゝろそ
ほこらしき 斯くはほこれと てるひかり ちかきまもりの
身なりしを たれかはあきの くるかたに あさむき出てし
みかきもり をさをさしくも おもほえす こゝのかさねの
なかにては あらしのかせも 聞かさりき いまはのやまし
ちかけれは はるはかすみに たなひかれ なつはうつせみ
なきくらし あきはしくれに そてをかし ふゆはしもにそ
せめらるゝ かゝる佗ひしき 身なからに つもれるとしを
かそふれは いつゝのむつに なりにけり これにそはれる
わたくしの おいのかすさへ せめくれは 身はいやしくて
としたかき ことのくるしさ かくしつゝ なからのはしの
なからへは なにはのうらに たつなみの おいのしわにや
おほゝれん さすかにいのち をしけれは こしのくになる
しらやまの かしらはしろく なりぬとも おとはのやまの
おとにきく おいす死なすの くすりもか きみか八千代を
わかえつゝ見ん
きみか代にあふさかやまのいはしみつ木隱れたりとおもひけるかな
右大將の四十賀の屏風に夏
大荒木のもりのしたくさしけりあひてふかくも夏のなりにけるかな
秋
あき萩はまつさす枝よりうつろふをつゆのこゝろのわくるとな見そ
夏の夜郭公を聞きて
くるるかと見れはあけぬるなつのよをあかすとやなく山ほとゝきす
早う住みし家に郭公を聞きて
むかしへや今もこひしきほとゝきすふるさとにしも鳴きてきぬらん
七月七日
けふよりはいまこむ年のきのふをそいつしかとのみ待ちわたるへき
秋の夜月のいみしう明かりしに
ひさかたのつきのかつらもあきくれは紅葉すれはや照りまさるらん
同し比ほひに
秋のよのつゆをは露とおもひをきてかりのなみたや野へを染むらん
あきのゝはきのしらつゆけさみれはたまやしけるとおとろかれつゝ
中宮の御屏風に山田ある所
かはつなくゐてのやま田にまきし稻はきみまつなへとおひたちにけり
菊の花の露に袖を濡してあるしにかく云ふ
折る菊のしつくをおほみわかゆてふ濡れきぬをこそ老いの身にきれ
或る女ともに遣しゝ哥とも
かきくらしふるしら雪のしたきえにきえてものおもふ比にも有かな
あきかせにかきなす琴のこゑにさへはかなくひとのこひしかるらん
たきつ瀨にねさしとゝめぬうきくさのうきたる戀もわれはするかな
かせふけは峯にわかるゝしらくものたえてつれなききみかこゝろか
昔物なと云ひはへりし女のなくなりしか曉方の夢にみえて侍らてさめ侍りしかは
いのちにもまさりてをしくあるものは見果てぬ夢の覺むるなりけり
或る女のいみしく心かろくはへりしかは
ひとりしておもへはくるしいかにしておなしこゝろにひとを敎へん
女の許に始めてやりはへりし
すまの蜑のこれる鹽木かもゆるともにひとにしられぬわか戀ならん
女に始めて逢ひはへりしにいみしく哀に覺えしかは其の女に
おもふてふことをそねたくふるしける君にのみこそいふへかりけれ
忍ひて女の許にまかりはへりしにいくはくもなくてあけはへりしかは其の女に
ゆめよりもはかなきものはなつのよのあかつきかたのわかれなり鳬
寛平の御時中宮の御屏風にあまのかつきたる所
こゝろさしふかくみなそこかつきつゝむなしくいつな沖つしまもり
世の中常ならす心うかりし比
ぬるかうちに見るをのみやは夢といはんはかなきよをもうつゝとはみす
相知りたる人のすまひの使に遠き國に下るに
瀨をせけはふちとなりつゝよとみけりわかれをとむるしからみそなき
或る女に物云ひたりと騒かれし比はひ
みちのくにありといふなるなとり河なきなとりてはくるしきものを
后の宮の御屏風に瀧おちたる所
おちたきつたきのみなかみ年つもりおいにけらしなくろきすちなし
初春
はるたつといふはかりにやみよしのゝやまもかすみてけさはみゆらん
仲春
はるは猶われにてしりぬはなさかりこゝろのとけきひとはあらしな
秋
やまさとは秋こそことにかなし[佗ひしイ]けれ鹿のなくねに目をさましつゝ
泉の右大將の四十賀の屏風に
にこりなききよたき川のきよけれはそこよりせくとみゆる藤なみ
秋
ちとりなく佐保のかは霧たちぬらしやまのこのはもいろ變はりゆく
春の始
はるきぬとひとはいへともうくひすのなかぬかきりはあらしとそおもふ
惟貞のみこの御哥合に
あめふれはかさとり山の紅葉ゝはゆきかふひとのそてさへそ照る
神なひのみむろのやまをあきゆけはにしきたちきるこゝちこそすれ
やまたもる秋のかりほにおくつゆはいなおほせ鳥のなみた也けり
寛平の御時后の宮の哥合に
みよしのゝやまのしらゆきふみわけていりにしひとのをとつれもせぬ
しらゆきのふりてつもれるやまさとはすむひとさへやおもひきゆらん
しほかまのいそのいさこをつゝみもてあふよのかすとおもふへらなる
戀哥
かすかのゝ雪間をわけておひ出くる草のはつかにみえしきみかも
ひとりぬる我しきたへのしほかまはうき玉なれやよるかたもなし
つき影に我身を變ふるものならはおもはぬひともあわれとや見ん
友則かなくなりにし後
時しもあれ秋やはひとのわかるへきあるをみるたに戀しきものを
思に籠りたる人を訪ふとて
すみそめのきみかたもとはくもなれやたえすなみたのあめとのみふる
相知りたる人の住吉に詣つと聞きて
かくれぬのしたよりおふるねぬなはのねぬ名はたゝてくるないとひそ
松風を聞きて
まつのねに風のしらへをあはせてはたつたひめこそ秋はひくらし
相知りて侍る人日比久しく訪はすしていきたるにかくせは
すみの江のまつにたちよるしら波のかへるをりにやねをは鳴くらん
暇ありてこもり居て侍るに人の訪はねは
大荒木のもりのくさとやなりにけんかりにきてとふひともなきみは
三月三日ある處にて土器とりて
みちとせへてなるてふ桃のことしより花さくはるになりにけるかな[※みちとせは三千歳]
雖(レ)入(レ)集不(レ)見(二)家集(一)哥
としをへてにこりたにせぬさひ江にはたまもかへりていまそすむへき
子の日するの邊にこまつのなかりせは千代のためしになにをひかまし
いろいろの木の葉なかるゝおほゐ川しもはかつらのもみちとやみん
夏果つるあふきとあきのしらつゆといつれかまつはおかんとすらん
あつま路のさやのなか山さやかにもみえぬくもゐによをやつくさむ
もろくともいさしらつゆに身をなしてきみかあたりの艸にきえなん
をしむへき庭のさくらはさかりにてこゝろそはなにまつうつりける
あまのはら宿かすひとのなけれはやあきくるかりの音をはなくらん
佗ひゝとのこゝろのうちをくらふるにふしの山とやしたこかれける
やまのはゝかくこそあきもしくれしかなにをけさよりふゆといふ覧
あふことの今はかたほになるふねのかせまつほとはよるかたもなし