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一号館一○一教室

私のオリンピック

2020.01.12 14:33

石川龍



最近、近所の公園で、青い空を眺めている時間が一番好きだ。

ときどき、うすい雲が出てきたり、ゆっくり飛行機が飛んでいったり。

当たり前だけれど、10年前も、そのもっと前も、青い空だけは変わらない。色々なものがぐるぐると変わっていく事を考えると、不思議に思う。

これからも、当たり前の事を大事にして、平和に生きていけると良いなあ。というのが年初に最初に思った事だ。

とはいえ、今までの人生で、ある目標に向けて自分のちからを振り絞った経験もないではない。


僕は2004年に大学を卒業し、IT企業に入社した。

入社後はまったく落ちこぼれで、研修の課題もろくにこなせなかった。

研修終了後、現場に配属されたあとは体調を崩してしまい、定時に出社する事ができない日も多くなり、当然のように業績評価はマイナスになった。

さすがに、このまま落ちこぼれを続けるのは悔しい。そこでひとつ、目標を決めた。

「3年目以内に、ソフトウェア開発技術者(※)を取得するように勉強しよう。それが叶わなかったら、自分には適性がないと考え、会社を辞めよう」(※現・応用情報技術者。IT系の中レベルの資格)

資格に落ちなかったら適性があるの?等、つっこんだらキリのない話ではあるけれど、当時としては必死に設定した目標だった。毎日の通勤電車と休日の図書館通いで勉強した。

結果、3年目の秋の試験で、無事に合格する事ができた。


これが転機になり、上司からも責任のある仕事を回してもらえるようになり、仕事が楽しく思えるようになった。その後、同期で1番早く主任に昇格する事ができたのだった。

その後、さらに快進撃は続く。エリートコースに乗り、社内でも有数の「できる人間」となり...というほど現実は甘くない。その後は色々な事情により、どんどん同期や後輩に追い越され、パッとしない立場に戻ってしまった。「石川さんは適当」「ゆるいから相談しやすい」と周囲からは評判だ。それでも毎日をそこそこ楽しく過ごせているのは、あの時の思い出があるからだと思っている。


今年はオリンピックイヤーだが、あまりスポーツ観戦に興味のない僕にはピンとこない。挑戦や努力を極力避けて生きてきた性格のせいだと思う。めんどくさいな、とさえ思ってしまう(ごめんなさい)。でもこんな風に、人生に温かい思い出を残し、時に辛い人生を支えてくれるのなら、面倒な「挑戦」や「努力」も1回くらいはあって良いのかも知れない。


そう、あれが、僕にとってのオリンピックだったのかも知れない。