海も、環八も、地球。1月&2月の予定更新。
思いがけず降って湧いた休日に。
地元ひたちなか市の海です。
東京・茨城を中心に全国で活動中。
感覚と感情と思考をつなぐセラピスト
innochi認定、眼鏡目育士のきたみさちです。
仕事で茨城にいた日、
思いがけずお休みができました。
前日にもレンタカーを借りたのだけど、
急遽おかわりすることに。
海が見たかった。
もっと言うと、
海で昼寝がしたかった!
そんなわけでトップは、
昼寝するきたみ視点の写真です。
わたしにはエネルギーチャージ?浄化?
総じてメンテナンスですね。
方法がいくつかあるんです。
アクセスバーズ、フェイスリフト、ロルフィング、
水上バス、五反田TOCの屋上、袋田の滝、
北茨城の海を眺める、ひとりカラオケ、
酒列磯前神社、、、
最上級が海で昼寝すること。
横になった途端、不思議な感覚になります。
瞑想してるみたい。
年に何回か必要な時間です。
酒列磯前神社の木々のエネルギーを受けて、
海で昼寝する。
昼寝の場所はその時々で変わります。
阿字ヶ浦で砂まみれのこともあるし、
大洗で神磯の鳥居を眺めながらのことも。
(下の写真は大洗観光協会公式HPから)
今回の昼寝スポットは磯崎と平磯の間でした。
【神磯の鳥居】
横になった途端、不思議な感覚になります。
瞑想してるみたい。
この感じについて、
今回気づいたことがありました。
いや、味わったことかな。
それは、地球と繋がっている感覚。
わたしにとって、
長い間課題になっていることが愛着です。
学者さんに怒られそうなほど大きく表すと笑、
安全基地を知っているかどうか。
わたしは常に所在無さという感覚を抱えています。
言い換えると、安全基地感が希薄、
ということかもしれません。
愛着を形成する上で、
幼少期の母親との関わりかたが
大きく影響するそうです。
これについて気になる方は
ご自身で調べてみてください。
わたしもかつて調べたことがあります。
腑に落ちたこと、その後気づいたこと
他のひとの実体験から学んだこと、
色々あります。
広げすぎてしまうので控えますね。
今日の記事のポイントは
【母親との関わり】ではないので。
安全基地にいる感覚を知っているかどうか。
母親から与えられた(はずの)安全基地ですが、
その感覚を別の形でも受け取れるかどうかが、
とても重要なことのように感じます。
安全基地にいる感覚ってどんな感じでしょう?
安心して穏やかだったり、
落ち着いて休むことができたり、
外の世界へ冒険に出られたり。
そんな感じかなあ。
愛着にチャレンジがあると、
他者とのコミュニケーションにおいて
不都合を感じることがあります。
無反応に対して過敏だったり
関係性の隔たりに不安を感じたり、
近づきすぎたり、繋がることを拒んだり。
コミュニケーションにおける
安全基地がわからない。
こどもの頃から20代あたりは
このことで悩んでいました。かなり。
今も不安定になりやすいものの、
当時よりだいぶ和らいだと感じています。
相対的にね。
経験した拒食症や過食症も、
思えば愛着が起因しているような気がします。
価値観ババ抜きが大好きなのは、
自分自身の内側に安全基地が出来るから。
今回海で仰向けになったとき
じゅわじゅわ、満たされていく
感覚がありました。
『居場所、あったなあ』という気持ち。
地球はいつだって絶対に
居場所なんだなあって感じたんですね。
居場所は安全基地。
『とりあえず、何があっても大丈夫だな』と、
スッと思えました。
きっとたくさんいると思うんです。
家庭に特に大きな問題があったわけではない。
だけどなんだか満たされない、
説明しにくい感覚を抱えているひと。
なんとなく生き辛さを感じているひと。
愛されていたのだけれど、
自分が欲しい形ではなかったと
大人になって理解したひと。
わたしもまさしくそれでね。
これまで、いろんなことをしてきました。
今も模索しています。
でもね、地球はすごいや。でっかい。
ただからだを合わせることが
理論やメソッドを軽く超えてしまう。
太陽で温まった石ころの上にからだを預けて
波の音、小石の音、風の音、あらゆる感触を
全身で味わっていたら、大好きなひとと
一緒に眠ったみたいになりました。
赤ちゃんを抱っこしている感じにも似ている。
これが欲しかったんだなあって思いました。
大事にしたいのは、ひとりで、いつだって
感じられる居場所感覚。
この感じについて、
今回気づいたことがありました。
いや、味わったことかな。
それは、地球と繋がっている感覚。
地球と繋がっているイメージから
絶対の安心を感じたんです。
さらにね、地球とわたしはいつも
繋がっているんだなあって気がつきました。
茨城の海で昼寝してる今だけじゃなくて
五反田を歩くときも、四ツ谷で教えるときも、
家で寝るときも、眼鏡つくるときも。いつでも。
地面は地球でした。
生きてるだけで誰にでも居場所はちゃんとある。
だから、なんだか大丈夫。これからも。
もしも、この記事に書いたような
扱いにくい感覚を持っているひとがいたら、
自然にからだを預けてみてほしいです。
理屈では見つからない安心を
感じられるかもしれないから。
それから、自然を離れた後でも
地球にはいつでも触れられるから。