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砕け散ったプライドを拾い集めて

中東のパリ

2020.01.13 12:16

『風とともにゴーン!』とカルロスはレバノンのベイルートに大脱走だ。
そのベイルート出身の陽気で人懐っこいレバノン人のことを久し振りに思い出した。

 1976年にワシントンDCの大学に入り、グルーブといういかにもドイツ系アメリカ人の教授が私の「アドバイサー」になった。彼には二人のアシスタントがいた。第一秘書は生粋のドイツの男だったが、教授の愛人でもあった。つまり、この教授はゲイであったのだ。(いきなりのカルチャー・ショック……)
第二秘書はデベイキという名前で、レバノン人でこちらはストレート(つまり、異性愛者)であった。彼(多分デ・ベイキと中黒を入れるのが正しいのだろう)が教授になりかわり、われわれ一家のことをなにかと面倒をみてくれていた。なんにしても、気のいい奴で、多少おっちょこちょいのところがあったが、すごく“温かいハートの持ち主”であった。

(ベイルート)

その前年の1975年にレバノンは内戦が始まったのだが、それ以前のベイルートは地中海性気候の恩恵を十二分に受け、きれいな街並みで治安もよかった。日本貿易商社や世界の多くの企業がここに支店を構えた。フランスが宗主国のような振る舞いだったこともあり、この街は「中東のパリ」と称されていたのに……。
 その「レバノン内戦」がこじれにこじれたのは、国内にあったキリスト教6派、イスラム教5派が互いに相争い血を血で洗ったからだ。宗教とは原初的には人々の心に安寧を与えるためにあるのに、しばしば宗教は戦争を誘発する。
しかし物事はもっと複雑だ。以前よりここにフランス、イギリス、ロシア、アメリカ、イスラエル、PLO、シリア、イランなどの国々が陰に陽に絡んできたり、侵攻したりしたので、ますます複雑怪奇ともいえる状況になっていたということはある。中東全体がそうなのだが、ここもこんがらがってもつれて永遠に解けない“知恵の輪”のようになっていた。
 貿易に才のあるフェニキア人を先祖に持ち、「中東のパリ」と謳われたベイルートは見るも無残なことになり、デベイキはそんなレバノンの将来に見切りをつけ、アメリカの市民権を取る準備に入っていた。
彼はすでにアメリカ人女性と結婚していて、バージニア州の北の方の家には娘もいた。  

その中東のパリジャン君とは何度かランチもして、冗談を言い合い、彼の人柄を愛するようになった。だが、その底抜けに明るい表情がときどきふっと曇るのが少し気になっていたが……。

 あるとき、彼が研究室で外出先の教授との電話を終った後、書き留めたメモ(誰かの電話番号)をなくして狼狽していた。すっかり困り果てていた彼に近づき……  

「このメモパッドに書き込んだのか?」  
「そうだ」  
「鉛筆あるか?」  
「あるけど、どうする?」

ボクはその鉛筆を斜めに構えて軽く手首のスナップをきかせながらパッドの表面を素早くなぞっていく。筆圧で微かに凹んだ部分にだけは鉛筆の黒鉛が届かず、その結果数字が白抜きのように浮き出てきた。  

「ほらっ読める…だろう」
 デベイキが飛び出しそうな目をして……
「オマエは何者だ!天才かそれとも神か!!」

 その後は、一層打ち解けて我が家のディナーにも来るようになり、愉快な時間を過ごした。
だが、その翌年の1977年にはわれわれは東京に帰国してしまった。 そして1年後にそのくだんのゲイ教授が来日し、同窓会が催された。そのお開きの直前に、教授へ……   

「ところで、彼……デベイキは元気?」  
「……a bad news」   
「エッ、何かあったの」   
「君がワシントンからいなくなってから間もなく、彼もベイルートに一時帰国したんだ。矢も盾もたまらなくなったんだネ、母国の事が。そう。ご両親もいたからね。ちょっと様子を見に行ってくるからって……」   
「それで…」   
「ベイルート市内のあるビルを訪ねたんだよ。友達に会いに」   
「で……」   
「そのビルのドアを開けたときに……」   
「開けたときに?」   
「そう開けたとき、たまたまというか、不運にもと言おうか、そのドアにプラスチック爆弾が仕掛けられていて……」   
「……!」   
「ドアもろとも吹っ飛んでしまったのだよ」   
「で、彼は……?!」   
「彼の人生もそこで吹っ飛んでしまった」  

しばらく言葉を失った。頭をいきなり大きなハンマーで殴りつけられたようなショックであった。テロなどというものは自分とは全く無縁のものと、そのときまで思っていたのが、急に生々しい現実に震撼し動転した。   

「あんなにもアメリカ人になることに一生懸命だったのに……なぜベイルートなんかに……あんないい奴だったのに……」   
「そう、いい奴の順に死んでいくんだよ。彼は神に愛されていたからね」

 デベイキ、キミが死んだあの「内戦」の熾火(おきび)はブスブスと30年も40年も世界中でくすぶり続け、隙があればいつでも本火になる用意がある。あれから世界も人類もちっとも進化していない。 キミが眉と眉の間に抱えていた鬱屈も解消されないままだよ。


 でも、現在のこの婦人警官はベイルートの街角々にホットパンツで佇んでいる。キミの好物だよね、デベイキ。安らかに眠れ。 

ハレルヤ!!ベイルート!