◯◯なんてとても名乗れません
さて、今日は使命や天命に関するお話。
はたから見たらほんとにそうだよと思えるような肩書きで、
本人はとうてい受け入れられないようなものがあったら、
それはその人の本質を言い当ててたりします。
先日、冬季限定ワークショップ「死と誕生」
を長年いっしょに主催している澤智みかさんのご夫婦が
我が家に遊びに来てくれたました。
旦那のさとし氏は、僕とは長い付き合いで、
写真や音楽にいろんな才能を持ってる。
でも表向きの職業は、今は会社員(ちょっと前までは科学者だった)。
この写真も彼が撮ったものですが
写真撮るの好きな僕でも到底撮れない感じだし、
最近ではミュンヘンで個展までやって大好評だったし、
ここ数年死と誕生のワークショップでも素晴らしい写真を撮ってくれている。
で、奥さんのみかちゃんも、僕ら夫婦も、
「さとしは芸術家だよね。芸術家 清水さとしで名刺とか作ったらいいのに」
とか言いたくなるんだけれど、本人的にはもう全力で受け入れない。
「こんなんんでとても芸術家は名乗れない」っていう感じで。
大事すぎるからですよね、そのテーマが。
でもはたから見たら芸術家、何歩か譲っても写真家なんだけれどな〜〜。
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というようなことを話していて、
僕も自分で長年受け入れていない肩書きというか仕事というか
があることを思い出していました。
僕の場合は、社会活動家、みたいなこと。
僕のたましいは、
科学者でも講師でもカウンセラーやセラピストでもなく、
新しい地球社会を作る人、、、なんじゃないかなと思います。
アーリートラウマのワークをやっていくと、
5歳の時にはすでに、どうしたら新しい地球社会を作れるのか、
かなり考えていていたんだなとわかります。
僕の中のその部分に出会った時、
その5歳の子どもはすでにたましいかけてこの仕事に取り組んでいて、
大人の僕は
「ああ、この子の邪魔を誰にもさせてはいけない。僕が守らなくては。」
と襟を正す思いになりました。
そうなんだけれど、普段生きているとですね、
ふたこさんは社会活動家ですよね、とか、
あたらしい社会を作ってる人ですよね、
とか言われようものなら、
「いやいや、とんでもない。なんの成果もあげられていないですし。」
みたいな気分になるのでした。
でもほんとはそこには熱も願いもある。
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おこがましくてとてもそんなふうには名乗れない。
なんの成果もあげられていないのに。
まったく実力が伴っていない。
みたいな気分になる肩書きや仕事は、あなたにもありますか?