ダイエットの恩恵
高校生になった次女は
文化祭のステージや
体育祭で発表する
ダンス同好会に入部した。
練習は少しずつ始まって
9月の文化祭前にはかなりハードになる。
家の中でも鏡を置いて
苦手な部分を懸命に練習していた。
文化祭当日、観に行ったが
なかなかのクオリティと、
代々続くダンス同好会みたいで
応援もすごかった。
「中学受験の経験を踏まえ
高校生になったら
毎日の予習復習を頑張って
受験前に慌てなくていいようにする!」
と、宣言していた次女だが
すぐに忘れたようで、
指摘すると
「わたしは短距離専門だからね 。
やっぱ無理だわ〜」
と、ケロリと言った。
高校1年の秋には
理系か文系を決める時期がきた。
国語と社会が苦手だし
当然理系に希望を出すものと、
思っていたら、友達関係で
文系に出してしまったらしい。
でも日に日に後悔しだした。
「やっぱりまずいよね。文系無理かも。
でも、もう期限過ぎてるし〜」
「もう1度先生に話してみれば?」
と、言うと、
「いや、もう〆切ますって
言ってたから無理だと思う。」
個人的に申し出たりすることを
極端に嫌がる。
その数日後、お昼前に学校から
電話があった。
「○○さん、お熱がでてますから
お迎えに来てもらえますか?」
38度台の熱らしい。
インフルエンザも流行っていた。
学校に着いたら担任の先生に
ご連絡ください、とのこと。
あ!チャンスではないか。
張り切って迎えに行き
担任の数学の先生に話をすると
「そうですよね。
僕も○○さんはどちらかと言えば
理系じゃないかなと
思っていたんです。
あと1人くらいなら
移動はできますので、再度書類を
提出してください」
と、あっさり了解していただけた。
めったに熱を出さない娘が
なんとタイムリーに
熱を出すのかと
褒めたいぐらいだった。
本人も簡単にことが運び
びっくりしていた。
お正月を過ぎた頃から
体重が増えたことを気にして
ダイエットを始めた。
高校1年生の冬頃から
女子はふくよかになる。
長女も同様に悩み
いろんなダイエットを
やっていた。
次女も同様に
スープダイエット、
果物だけ食べるダイエット
それは無理でしょう〜
と思うダイエットを続けていた。
でも、学校に行くと
みんながお菓子を持ってくるから
我慢できずに食べていた。
ダンスで踊るためにも
体を軽くしたかった。
5月の体育祭のダンス、
そのあと6月から
文化祭のダンスの練習で
多少痩せて
ダンスシーズンが
終わるとまた
ダイエットが始まる。
同時に2年生の夏には
オープンキャンパスにも
出かけた。
なりたいものがないと
悩んでいたが、
周囲の勧めで
看護系の大学を見て回った。
ピンとはこなかったが
なんとなく
看護系で志望校を出していた。
勉強はテスト前だけ
2週間は頑張るけれど、
その時期を過ぎると
ボーッと過ごしていた。
2年の途中までゆるりと、
通ってた塾も
そこまで必死にならなくても
いける所に行こうかなと、
やめてしまった。
「看護で本当にいいのかも
わからないし、
頑張る気持ちにも
なれないなぁ」
と、言うまま高校2年の
3学期を迎えた。
お正月後から
本格的なダイエットを
始めた。
初めて本まで買ってきた。
低糖質ダイエットの本で
栄養士さんのレシピまで
掲載されていた。
今まで何度チャレンジしても
結果がでなかったが、
今回ばかりは
はまりかたが違っていた。
できるだけ糖質を省く。
朝は生野菜や果物にナッツ類。
昼はほんの少量のご飯に
お肉などのおかずを多め。
(体育もあるので)
夜は糖質なし。
タンパク質と野菜のみ。
子どもが1人になっていたから
協力できたが、
こんなに炭水化物抜きで
大丈夫なのかを心配した。
そして、更に
市立の体育館の水泳やジムに
通った。
今までにない
本格的なダイエットぶりに
驚いた。
お菓子類も拒否され
買ってきても怒られた。
でも低糖質ダイエットは
結果がで出るのも
早かった。
みるみるうちに3キロ
減ったのである。
すると自信がついたのか
更にストイックになる。
もうお菓子を買ってきても
スルーすることができる。
1人でもぐもぐタイムは
寂しかったけれど
次女の顔もしまり、
体もしまっていくので、
感心していた。
3ヶ月も過ぎた頃には
7キロ痩せていた。
運動もしているから
不健康には見えない。
すっかりスリムになった
次女が4月を過ぎると
こんなことを言い出した。
「お母さん、
ダイエットしてみてわかったけど、
体に入る食べ物で
運動する時に
瞬発的に力が出るものと
持続力に効果が出るものと
違うのがわかるよ。
あ、今この食べ物が
泳ぐ力になってるみたいな感じ」
「少なく食べるとすごく
そういうのをキャッチできる。
体のしくみって面白い。」
「便秘になり出した時に
納豆を食べ続けると
お通じがある。
納豆菌がいいみたい。」
自分の体を通して
食べ物の効果を体感していた。
「わたし、体の細胞とか
生物が好きなんだよね。
菌や微生物とか面白い。
顕微鏡も好きだし。
そんな方面に進みたいかも。
それに、看護って言っても
人のお世話とか苦手だし。
いつも回りの友達に世話してもらってる
くらいなのに」
そこは1番心配していたところだ。
何せ上2人同様、忘れ物、失くし物が多い。
何度もあったが、雨など降って
自転車を置いて帰ると
どこに停めてきたかを
すっかり忘れる娘である。
お年寄りには優しいけれど
優しい以前に不安要素は大きかった。
それにしても
まさかダイエットから
進路の話が出てくるとは。
「生物が好き」(昆虫は苦手だけど)
「顕微鏡が好き」
初めて聞いたのである。
細胞とか、顕微鏡を使う学部は何学部?
全く知識がないし、
周りにそういう関係に進んでいる人が
いなかった。
「生物が好きなら
生物の先生に相談してみれば?」
すでに3年生になっていた。
今頃から進路変更とは。
相変わらずのマイペースぶりだが、
初めて進路に関して
自分から「やってみたいかも」
と口にしたセリフを
聞き逃せなかった。
「わたし、生物好きで生物係してて
生物の先生と仲良しなんだ。
おじいちゃんみたいで優しいんだよ。
聞いてみるね!」
それも初めて聞いた。
なんでも話していた長女と違って、
次女は学校のことは
必要なことしか話さなかった。
生物の先生の話によると
次女の好きそうな分野は
農学部や生物学科になるが
今は農学部が就職がいいから
そちらに絞った方が良いのではとの
ことだった。
農学部、
なるほど。
そう言えば従姉妹が農学部の
バイオ関係に進み、研究職で
就職していた。
農学部と言っても
農業の研究ばかりではないのだ。
県外、それも関東近郊に
行きたがる次女の学力では
とても国公立の理系は
難しかった。
あちこちの国公立大学の
資料請求をしたけれど、
偏差値も高いし
学部も多くて
資料を見ても
本人もピンとこなかった。
しかし、5月の体育祭でのダンス発表が
終わると
再び人が変わったように
勉強を始めたのである。
朝4時半に起きて
勉強が始まる。
学校から戻り
食事を済ますと
近所の自習室を借りて
閉館の11時まで戻ってこない。
高校受験が戻ってきたようだった。
そんなに独学で勉強しても
果たして間に合うのか。
そして本当に農学部に行けば
やりたいことができるのかな。
志望の大学すら見つかって
いなかった。
そんな時に友人の企画した
イベントに参加した。
共感覚者のデータサイエンティストである
岡美由紀さんに
名前や住所、気になる場所、
気になる人など
前もって見てもらいたい資料を
送り、
自分のカラー、
対象者、その場所との
相性、関係性をみていただく。
当然、夫や子供たちの名前も
資料の項目に挙げていた。
わたし自身の色と
わたしの友人や知人、
住む場所や気になる場所は
不思議なほどに
リンクしていた。
長女や息子たちも
自分のカラーにあった進路に
近いものを選んでいた。
美由紀さんの
カラーによる分類の整合性に
納得いくものを
感じられた。
次女の下の名前の色は
黒ピンクで
ゴール設定型で没頭するため
研究者向き。
関係場所も東京、大阪、福岡
などの都会向き
と、書かれていた。
驚いてお尋ねすると
顕微鏡も黒で、農学部も黒、
東京も黒紺で
とても向いてます、とのこと。
ダイエットをしながら
瓢箪から駒のようにでてきた
進路だったから
不安でもあったが、
その直後に
こんなデータを見ることに
なるとは。
わたしにとっては
心強いGOサインを頂けた
ような気持ちだった。
本人がやりたい、と言うからには
応援したかったが、
あまりにも未知の世界で
どちらを向けばいいのか
わからずにいた時に
しっかりと
向かうべき方角を
見せてもらえた気がした。
とりあえず農学部。
でもセンター試験では
不得意科目が多すぎる。
そんな時に三者面談の時期がきた。
進路変更したこともあり、
国公立の農学部、生物学部の
主要なところは数Ⅲが必要なことと、
私立の指定校推薦でも
数Ⅲが必要だということを知る。
確実性を狙うなら
指定校推薦だ。
数Ⅲのいらない農学部、
生物学、生命科学部などが
募集がくるところは限られていた。
8月後半に
はっきりするとのこと。
どちらになるかわからないまま
次女の怖いくらい集中した
受験勉強がつづく。
再び、もう少し早く始めてくれれば
国公立も目指させたのにな、と
思うのだが、
本人は私立の農学部や生命科学部の
設備の素晴らしさに
すっかり魅了されていた。
8月末にきた指定校推薦で
次女の希望の学部で
数Ⅲが必要ない大学は
東京1校と、広島などで
少なかった。
期待していた関西の大学にも
数Ⅲが必要になっていた。
その大学に文系希望の友人と2人で
行く気になっていた次女は
すっかり気落ちしていた。
すると、生物の先生から
呼び出された。
東京からきた
1校の指定校推薦の大学は
実は生物の先生の
出身大学だったのである。
おまけに先生は国立大学を蹴って
当時最新の設備がある
その大学に進学されたと言うのだ。
歴史の古いその農学部のある大学は
今、生命科学部ができて、
校舎も建て変わり
菌や微生物の研究に力を入れて
将来性のある学部になるからと
力強く勧めてくださったのである。
東京のど真ん中だが、
住宅街の中にあって
緑多い安心できる環境であること、
先生も未だにOBとして
大学とも関わっていらっしゃること
を話してくださった。
次女はがっかりから大逆転、
大喜びだった。
「先生の出身大学なら
間違いない!
だって素晴らしい先生だもん。」
先生への信頼は相当なものだった。
そして苦手な小論文を
生物の先生の指導の元
(実家のおじいちゃんのアドバイスも受け)
何十枚も書いて
(時には、もう書けないと泣きながら)
ようやく1時間で書き上げられるように
なった。
面接の練習も繰り返し
実施された。
11月半ば試験日を迎えた。
雲一つない青空のその日
その大学は
正門を入ると見上げるような
大きな木が何本もあり、
緑の多い学校だった。
その奥には
小さな鳥居と社もあり
神様が祀ってあった。
合格祈願とご縁をいただいたことに
感謝をして、会場に向かった。
1週間後、
合格を手にした。
のんびり屋の次女の
進路は
繰り返されたダイエットから
導き出された。
何が役に立つのか
わからない。
子どもたちが
ムキになってでも懸命に
やろうとしていることがある時
それは未来につながる
何かを導きだす
過程なのかもしれない。
1年生の文系を選んでしまった時も
必然のように熱を出し
軌道修正が起きた。
看護の道に行くのかと
思えば
研究部門へと。
美由紀さんの心強い後押し。
道が決まった途端の猛勉強。
たしかに没頭型だった。
そして何より
生物の先生との
深いご縁。
生物の先生のおかげで
生物がより好きになり、
そして同じ大学へと、
進学する。
大学でも、きっとまたお会いする機会は
あるだろう。
もう一つ付け加えると
試験のあった11月16日は
11月も16日もどちらも黒紺紫系の
色の日だったそうだ。
日程を連絡すると
美由紀さんからもまさに
次女さんの日ですよ、
と聞いて心強かった。
この1年間
小さなミラクルの連続を
見てきた気がする。
今の子どもたちは
きっとやりたいことを
しっかり握って
生まれてくる。
苦手なことを我慢してやるより
(強く拒否する子もいる)
得意なこと、心に響くことを
やるための努力を選ぶ。
やらなきゃいけないことを
やらせるより、
まずは
やりたいことを聞いてみよう。
その方向を見つけたときの
あらゆる後押しは
GOサイン。
応援するのも大変だけど
期間限定だ。
その先の人生を思う存分
天分を活かし
楽しく懸命に
生きてくれるなら
それはそれで楽しみだ。
子どもたちが未知の世界を
見せてくれる。
親として
多少の無理も頑張れる。
もしかしたら、
まだ、わたしにだって
気づきさえすれば
そんなあと押しも
起きるのかもしれない。
そんなわたしの
ミラクルを
これからは
わたしのために
見つけよう。
岡美由紀さんのFBをご紹介します。
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必要な方に届きますように。