生きることに無駄な時間はない、全ては考える時間、恋愛も
2020.01.17 02:30
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哲学という言葉を使うと、みなさんは哲学という何者かがあるように思われるようです。
書物だとか偉い人の考えだとか、学校で教わる講義とか哲学史、学説、そういうものが哲学だと人は思う。
だからそんなものはないということを言いたいために、私は哲学という言葉を使わずに「考えること」というふうに言うんです。
何かそういう事柄をお勉強するというふうになると、それはもう哲学ではないんですね。極論すれば哲学者の本だとか学校の先生の言うこととか何もなくても、手ぶらで零から、不思議について考えることはできるし、またそうするべきことなのです。
(略)
あえて何を考えるのかという、「何を」を説明してみますと、これは先ほどから言っている「不思議」、自分であるということとか、宇宙が在るという絶対的不思議、これがどういうことか知りたい、考えていけば無限の話ですからどこまででも行ってしまいますが、それらはすべて日常のこの人生に端を発していることでして、だから何を考えているのかというと、人生を考えているといっても全然間違いではありません。
池田晶子
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