新勅撰和歌集。撰者藤原定家。卷第一春歌上。原文。
新勅撰和歌集
新勅撰倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年五月十三日印刷。同十六日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。
新勅撰和歌集卷第一
春哥上
うへのをのことも年のうちにたつ春といへる心をつかうまつりけるついてに
御製
あら玉のとしもかはらて立春は霞はかりそ空にしりける
たつ春の哥とてよみ侍ける
皇太后宮大夫俊成
天のとのあくるけしきもしつかにて雲井よりこそ春は立けれ
延喜七年三月内の御屏風に元日雪ふれる日
紀貫之
けふしもあれみ雪しふれは草も木も春てふなへに花そ咲ける
題しらす
よみ人しらす
冬過て春はきぬらし朝日さす春日の山に霞たなひく
久堅の天のかく山このゆふへ霞たなひく春たつらしも
春のはしめ雨ふる日草のあをみわたりて見え侍けれは
京極前關白家肥後
いつしかとけふ降そむる春雨に色つきわたる野への若草
題しらす
大中臣能宣朝臣
我宿のかきねの草の淺みとりふる春雨そ色はそめける
三條右大臣家屏風に
貫之
とふ人もなき宿なれとくる春はやへ葎にもさはらさりけり
法性寺入道前關白の家にて十首歌よみ侍けるに鶯をよめる
權中納言師俊
鶯の鳴つるなへにわかやとの垣ねの雪はむらきえにけり
鶯はなをつくといへる心をよみ侍ける
源俊賴朝臣
春そとは霞にしるし鶯は花のありかをそことつけなん
久安六年崇德院に百首哥奉りける春の歌
待賢門院堀川
霜かれはあらはにみえし芦のやのこやのへたては霞なりけり
前参議親隆
松島やをしまかさきの夕霞たなひきわたせあまのたくなは
後德大寺左大臣十首哥よみ侍けるに遠村霞といへる心をよみ侍ける
皇太后宮大夫俊成
朝戶あけて伏見の里になかむれは霞にむせふうちの河波
守覺法親王家に五十首哥よみ侍けるに春哥
覺延法師
住吉の松の嵐もかすむなり遠里小野の春の明ほの
源師光
山の端も空もひとつにみゆるかなこれやかすめる春の明ほの
百首哥に
式子内親王
にほの海や霞のをちにこく舟のま[さイ]ほにも春のけしきなる哉
後京極攝政左大將に侍ける時百首哥よませ侍けるに
八條院六條
月ならてなかむる物は山のはに横雲わたる春の明ほの
題しらす
曾禰好忠
棹姬の面影さらすをるはたの霞たちきる春の野へ哉
このめはる春の山へをきてみれは霞の衣たゝぬ日そなき
まきもくのあなしの檜原春くれは花か雪かとみゆるゆふして
朝なきに棹さすよとの河長[※かはをさ]も心とけては春そみなるゝ
山邊赤人
山本に雪はふりつゝしかすかにこの河柳もえにけるかも
柳をよみ侍ける
伊勢
靑柳の枝にかゝれるはるさめはいともてぬける玉かとそみる
淺みとり染てみたれる靑柳の絲をは春の風やよるらん
天曆御時御屏風の哥
中務
吹風にみたれぬ岸の靑柳はいとゝ波さへよれはなりけり
千五百番哥合に
二條院讚岐
百敷や大宮人の玉かつらかけてそなひく靑柳の絲
春の哥よみ侍けるに
按察使隆衡
をしなへてこのめもいまは春風の吹かた見ゆる靑柳のいと
寛喜元年十一月女御入内屏風江山人家柳をよみ侍ける
内大臣
うちはへて世は春ならし吹風も枝をならさぬあをやきの絲
正三位知家
やまひめの年のをなかくよりかけて春はたえせぬ靑柳の糸
春の哥とてよみ侍ける
鎌倉右大臣
み冬つき春しきぬれはあをやきのかつらき山に霞棚引
此ねぬるあさけの風にかほるなり軒はの梅の春の初花
梅花を折て中務かもとにつかはしける
九條右大臣
いとはやも霜に枯にし我宿の梅を忘れぬ春はきにけり
つくしにて梅の花を見てよみ侍ける
山上憶良
春されは先[※まつ]さく宿の梅花ひとりみつゝやけふをくらさん
題しらす
凢河内躬恒
いつれをかわきておらまし梅花枝もたわゝにふれるしら雪
貫之
山風にかをたつねてや梅の花にほへる里にうくひすのなく
亭子院哥合に
坂上是則
きつゝのみなく鶯のふる里はちりにし梅のはなにそ有ける
題しらす
式子内親王
たか垣ねそこともしらぬ梅かゝの夜はの枕になれにけるかな
權大納言家良
玉鉾の道のゆくてのはる風にたか里しらぬ梅のかそする
殷富門院大輔
誰となくとはぬそつらき梅花あたらにほひをひとりなかめて
正三位家隆
いく里か月のひかりも匂ふらん梅さく山の峯のはる風
春のうたとてみ侍ける
後京極攝政前太政大臣
難波津に咲やむかしの梅の花今も春なるうら風そ吹
守覺法親王家五十首哥よみ侍けるに
覺延法師
春の夜の月に昔や思ひ出る髙津の宮にゝほふ梅か枝
皇太后宮大夫俊成
梅かゝも身にしむ比はむかしにて人こそあらね春のよの月
髙陽院の梅花をおりてつかはして侍けれは
大貮三位
いとゝしく春の心の空なるに又花のかを身にそしめつる
返し
宇治前關白太政大臣
そらならは尋ねきなまし梅花また身にしまぬ匂ひとそみる
家百首哥に夜梅といふ心をよみ侍ける
前關白
梅かゝもあまきる月にまかへつゝそれともみえすかすむ比かな
後京極攝政家の哥合に曉霞を讀侍ける
宜秋門院丹後
春の夜のおほろ月夜やこれならん霞にくもる有明の空
百首哥奉りける時歸鴈をよめる
權中納言師時
かへるらん行衞もしらすかりかねの霞の衣たちかさねつゝ
題しらす
大納言師氏
久方のみとりの空の雲間より聲もほのかに歸るかりかね
前大納言資賢
立かへりあまのとわたるかりかねは羽風に雲の波やかくらん
よみ人しらす
白妙の波路わけてや春はくる風吹まゝに花も咲けり
中納言家成哥合し侍けるに山寒花遲といへる心をよみてつかはしける
藤原基俊
みよしのゝ山井のつらゝむすへはや花の下紐をそくとくらん
題しらす
修理大夫顯季
霞しくこのめはるさめふることに花の袂はほころひにけり
權中納言長方
花ゆへにふみならすかなみよしのゝ吉野の山の岩のかけ道
寛治七年三月十日白河院北山の花御覧しにおはしましける日處々尋花といへる心をよませ給うけるに
久我太政大臣
山櫻かたもさためすたつぬれは花よりさきにちる心かな
右衞門督基忠
春はたゝゆかれぬ里そなかりける花のこすゑをしるへにはして
崇德院近衞殿にわたらせ給て遠尋山花といふ題を講せられ侍けるによみ侍ける
皇太后宮大夫俊成
面影に花のすかたをさきたてゝいくへこえきぬ峯の白雲
家に花五十首哥よませ侍ける時
後京極攝政前太政大臣
むかしたれかゝる櫻の花をうへてよしのを春の山となしけん
寂蓮法師
いかはかり花咲ぬらんよしの山かすみにあまる峯のしら雲
おなし家に女房百首哥講し侍ける日五首哥よみ侍けるに
藤原成宗
花なれやと山の春の朝ほらけ嵐にかほる峯の白雲
家に三十首哥よみ侍けるに花哥
入道前太政大臣
しら雲の八重山櫻さきにけりところもさらぬ春のあけほの
百首哥に
式子内親王
髙砂の尾上のさくら尋れは都のにしきいくへかすみぬ
霞ゐる髙間の山のしら雲は花かあらぬかかへる旅人
家哥合に雲間花といへる心をよみ侍ける
前關白
まかふとも雲とはわかんたかさこのおのへの櫻いろかはり行
關白左大臣
立まよふよし野の櫻よきてふけ雲にまたるゝはるの山風
典侍因子
さかぬまそ花ともみえし山櫻おなしたかねにかゝる白雲
中宮少将
絕ゝにたなひく雲のあらはれてまかひもはてぬ山櫻哉
文治六年女御入内屏風に
後德大寺左大臣
花さかりわきそかねつる我宿は雲のやへたつ峯ならねとも
家に百首哥よませ侍けるに
後京極攝政前太政大臣
春はみなおなし櫻と成はてゝ雲こそなけれみよしのゝ山
淸輔朝臣家に哥合し侍ける花哥
俊惠法師
みよしのゝはなのさかりとしりなから猶白雲とあやまたれつゝ
正治二年百首哥奉りける春哥
皇太后宮大夫俊成
雲やたつ霞やまかふ山櫻花よりほかもはなと見ゆらん
千五百番哥合に
正三位家隆
けふみれは雲もさくらにうつもれてかすみかねたるみよしのゝ山