中国紀行
2002年12月
2002年10月、前の会社の同期と一緒に20人ほどで中国の上海、蘇州、無錫に旅行する機会を得ました。
蘇州
蘇州の運河は狭いものでしたが、その距離が長いのに驚かされます。
この運河は皇帝が運河めぐりで旅行を楽しむために国民に作らせたと聞き、又驚きました。
それが、後に人々のために物資の交易に役に立ったのは因果なめぐり合わせです。そして、今では観光になくてはならないものとなっているのです。
皇帝や国王の道楽で国民に作らせたものが今では有名な観光名所になっているのは世界に沢山あります。
蘇州の運河は東洋のベニスと言われていますが、その川の汚さはどうしようもありません。いまだに生活用水と使用しています。ここの人たちは早く政府に古く汚い建物を取り壊してもらい、新しい建物を建ててほしいと願っているようですが、観光地確保のためにそうならないようです。
また、虎丘には中国のピサの斜塔といわれる塔があります。
私はこの斜塔を写真におさめたのですが、帰国してから印画紙にしてみると、塔がまっすぐになっていました。どうしても写真を撮るときに塔をまっすぐに取ってしまうようです。
無錫
ここはかつて錫の産地でこの地名を『有錫』と言っていました。 しかし、錫を取り過ぎて、錫がなくなってしまい、その後、地名を『無錫』に改名したということです。
ここには明代の名園、寄暢園があります。 日本の庭園はこの庭園を真似したのではないかと私は思いました。(日本人から見ると本当に日本的な庭園なのです。)
中国の他の庭園が概ね、奇岩を中心とし、これでもかと奇岩を揃えているのに対し、この庭園は周囲の景色と調和した美しい庭園なのです。中心には池があり、四季折々の景色が楽しめるのです。
ここで、当地の45歳の男性ガイドは特筆にあたります。
他の女性ガイドが大学を卒業したのに対し、彼は貧しいために大学に行けませんでした。向学心に燃える彼はそれにもめげずに独学で日本語を勉強しました。
その間はつらい労働者であったとのことです。
彼はこの庭園で日本語の文を何度も暗誦したとのでした。 そして、願いかなって、ガイド試験に合格したのです。 彼は経済的な理由からか、いまだに日本に来たことがありません。
今では、彼の娘を大学に通わせているとのことです。将来、娘が日本の商社にでも入社できればと願っています。
彼は言います。
『私は独学で学んだので、ここにいる大学卒の女性ガイドほど流暢には話せません。 しかし、私にはつらい人生経験があります。この経験は尊いものです。』
無錫のホテルに泊まったときのことです。
友人がこの男性ガイドに言いました。
友人:ホテルの部屋に入った時チェーンがなく無用心なのだけれど。
ガイド:ドアのボタンを押すと『サクリ』が出てきます。
友人は何を言っているのかわかりませんでした。後に彼が鎖『クサリ』のことを間違えて、『サクリ』と覚えていることがわかりました。
次の日のことです。
三国志のテーマパークである三国城に行った時のことです。
彼は説明します。
ガイド:ここがかの有名な赤壁の戦いの場面のところです。諸葛公明が智力を尽くして、魏の曹操の大軍と戦った所です。
曹操軍は船を『サクリ』でつなぎ、そのために大火事で敗戦したのです。
ここでもガイドは鎖『クサリ』を『サクリ』と間違えて説明したのでした。
しかし、グループの誰も彼の面目を思ってか、彼の間違いを指摘する人はいませんでした。
これで良かったのでしょうか?
彼は学歴への負い目があるせいか、それを補うべくサービス精神にあふれていました。バスの中では日本で大ヒットした尾形大作の『無錫旅情』を無伴奏で歌ってくれました。 あまり、上手ではありませんでした。
でも、皆は盛んに拍手したのでした。
私が感心したのは庭園での次の話です。
ガイド:この庭園の池の中で金魚が泳いでいますよね。
この上の額の漢文をご覧ください。 ここに中国で有名な哲学者の荘子先生とその弟子の恵子との会話が書かれているのです。これには哲学的な深い意味がこめられています。
弟子の恵子が先生の荘子先生に言いました。
恵子:この池の中で金魚が楽しく泳いでいますね。
荘子:君は金魚でもないのにどうして、金魚が楽しく泳いでいると言えるのかね。
(ここで恵子はどう言ったのでしょうか?)
恵子:先生は弟子でもないのにどうして、弟子の気持ちがわかるのですか?
ここでの会話をどのように解釈するのでしょうか?
相手の気持ちはわかっているようで、相手でなければ、本当のことはわからないと言っているのでしょうか?
それとも、弟子の気持ちが分からない先生は先生とは言えない。従って、相手の気持ちは分かり得ると言っているのでしょうか?
それとも? 矛盾を含んだ会話だけに考えさせられます。
引き続き、別の小さな池の前でガイドは説明します。
ガイド:この池は中国の中でも極めて古い池です。
日本にも古い池を歌った俳句がありますよね。『古池や、かわず飛び込む水の音』
でも、こことそこでは、芭蕉(場所)が違います。
ガイドはここでも話を面白くし、サービスしているのです。
上海
無錫から上海までは特急の電車で行きました。
車両の一台ごとに女性の車掌がついていました。 緑の制服を着ていて、なにか人民服のような感じでした。 電車内ではお土産を売ったり、お茶などを給仕したりしていました。
駅に止まると15分くらいの停車となりました。 驚いたことに車両ごとプラットフォームで女性の車掌がまるで英国の衛兵のごとく直立しているのです。 中国の国鉄での規則なのでしょう。
最初のうちはグループのメンバーは怪訝な気持ちでしたが、誰かが、車掌と一緒に記念に写真を撮ってもらったのです。 それから順々にメンバーは車掌と一緒に写真を撮ったのでした。
若い女性の車掌は嫌がらずに笑いながら、写真に収まってくれたのでした。
上海の夜には外灘という場所に行きました。そこの夜景は本当にすばらしいものでした。
各建物はライトアップしていて、まるで、ディズニーシーの夜景を見ているような感じでした。 町全体がヨーロッパのテーマパークのような感じでした。 夜間ですが、人通りが多くスリに気をつけなさいと言われました。 私はここで2万回は擦れると言うマッチ型のライターを記念に夜店で買ったのでした。
夜の8時か9時ごろにはホテルの近くのブランド品を扱っているビルに入りました。
とてもハイセンスなビルで、高級感あふれる店が並んでいましたが、人はあまりいませんでした。 友人がお目当ての財布のブランド品を探したのですが、日本にある新しいファッションの品はありませんでした。 古いファッションもので、これでは値段交渉どころではありません。 総じて、ここのブランド店はやっていけないなと思いました。
別の友人は3人でテレビ塔に出かけたと言うことでした。ガイドからは地下鉄で行くように言われ、帰りは危ないのでタクシーで帰るように言われたのでした。
それにもかかわらず、一人は徒歩でホテルに帰ったとのことです。帰りは11時ごろになったとのことです。私にはとても怖くて出来ないことでした。
後の二人はタクシーで帰ることにしたのでした。ガイドに言われたとおり、一人がホテルのカードを運転手に出しました。二人とも中国語は話せません。
タクシーの運転手はそのカードを見て、分からないせいか、少し考えているようでした。 しかし、やがてタクシーをスタートさせたのでした。 100メートル位走って行った所で、もう一人が変だと思い、ガイドブックを運転手に見せて、行く先のホテルを指差したのでした。 運転手は納得して、方向を変更したのでした。
運転手に見せたホテルのカードは今日泊まる予定のホテルのではなく、気がつかずに、前日に無錫で止まったホテルのカードだったのでした。
もし、友人が気がつかなかったら、100キロ以上も離れた無錫に戻ってしまうところでした。
翌朝、別の友人が朝早くホテルの近くに散歩に行ったそうです。
すると、ホテルの前で、グループで太極拳をやっていたそうです。 その内の一人が親しげに近づいてきて日本語で言いました。
太極拳の人:どこから見えましたか?
友人:私は日本から来ました。
太極拳の人:そうですか。 日本のどこですか?
友人:大阪です。
太極拳の人:大阪と上海は姉妹都市です。 民間レベルで日中友好をしましょう。
と言って、肩をもんでくれたのです。
ところが、その後でお土産に何か買わないかと誘われたそうです。
彼らの日中友好とはお土産を買ってもらうべく、ホテルの前で太極拳をやっていたのでしょうか?
余談になりますが、女性ガイドの説明
ガイド:上海の人と北京の人とは一般に仲が悪いと言われています。 それは一説によれば、上海の人はお高く止まっていて、北京の人を見下す傾向があるからです。ですから、北京と上海の人はお互いに、もし道を聞かれると反対の方向を教えあうぐらいです。
東京と大阪の人はどうですか? 仲がいいですか?
総じて、上海のみならず、ここ10年の中国の発展振りは物凄いものがあります。大型スーパーでの人ごみから考えても、そのエネルギーは相当なものです。
とにかく、皆が生活の向上のために一生懸命働いている感じです。
このままでは、上海が万博会場になるか、ならないに関わりなく、10年もすれば日本を追い抜いてしまうかも知れません。
日本が過去の失われた10年を取り戻し、各種の規制を撤廃し、新しい創造的な事業を展開しなければ、やがては世界に取り残されてしまう危機感すら覚えました。