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私のボランティア

2020.01.19 02:45


2001年9月

私は学生の頃から、かねがね社会福祉とか、ボランティアに関心を持っていました。

会社に入社してから、私は英会話のサークルに入ったのですが、それが縁でボランティアにつながったのでした。

先輩がサークルのメンバーに誘いました。

先輩:今度、山梨県の塩山にキャンプファイヤーに泊りで行く計画があるんだけど、

行ける人は行きませんか?

泊まる場所は大学のサークルの山小屋なんだけど。

私:それは楽しそうですね。 ぜひ、ご一緒させて下さい。

私達、若い男女はとてもそれを楽しみにしていました。

いよいよ、その日がやってきました。

中央線の新宿から乗り初めて、かなりの時間をかけ塩山駅に着き、それからタクシーを使って山の上まで車で上れるところまで上ったのでした。

そして、それから山小屋まで徒歩で行ったのでした。 途中には小さな別荘などが建っていました。

山小屋はかなり前に建てたと見えて、古い感じでしたが、雨露は充分しのげる感じでした。

先輩:大学の二人の友人はもうすぐ、自家用車で来ると思いますよ。 彼らは学生の時に

知り合って、もう結婚しているんですよ。

私達はそれまで近くを散歩がてら、薪とりをしようということになったのでした。

季節は初秋であり、山にはさまざまな草花が咲いていてとても綺麗でした。 山のいただきから見る景色はさわやかな風も吹いて、とても爽快でした。

帰ってみると、先輩の友人は既に山小屋に着いていました。

私達:はじめまして。 よろしくお願いします。

先輩の友人:はじめまして。 こちらこそ、よろしくお願いします。

私達は早速、キャンプファイアーの準備にかかりました。

水は近くに流れるせせらぎの小川の水でした。 火は山小屋で薪をたいてご飯などをつくったのでした。 とても、原始的なやり方ですが、それが又良いのでした。

それから、私たち若い男女は外で火を囲みながら、談笑しつつ夕食をしました。

とても、おいしい食事でした。 音楽をかけて、ダンスなどもしたのでした。

夜もふけて、誰かが言いました。

『上を見てごらん。 人工衛星が動いているよ。』

私達は星空を見上げました。 天の川がはっきりと見えて、他の星たちもたくさん光っていました。 本当に星が降ってくるようでした。

山の上は空気が澄んでいて、星空が本当に良く見えるのでした。

私:何処に人工衛星があるの?

サークルのメンバーが言いました。

メンバー:ほら。 あそこの方角だよ。

私:本当だ。 飛行機みたいだけど、あのスピードだと飛行機じゃないですよね。

確かに、人工衛星ですね。 人工衛星が見られるなんて、素晴らしいですね。

私は感動して、そう言ったのでした。

メンバー:あ! 流れ星だ。

私:本当だ! なんだかプラネタリウムみたいですね。

私は本末転倒みたいなことを言って、皆に笑われてしまいました。

夜は山小屋でランプに火をつけて、お菓子を食べたり、ビール、ジュース等を飲みながら皆で談笑したのでした。

(導入部分が長くなってしまいましたが、本題に入ります。)

先輩が彼の友人に言いました。

先輩:ところで彼がボランティアをやりたいって言ってるんだけど、何か紹介してく

れないかね。

私:よろしくお願いします。

先輩の友人は学生時代からボランティアをやっていて、その方面に知り合いが多いとのことでした。

先輩の友人:君は何ができるのかね。

私: 中学生の英語の家庭教師だったら、なんとか出来ると思いますけど。

先輩の友人:そう。 それじゃ、心当たりがあるから、帰ったら、あたってみよう。

後日、連絡するから、待っていてください。

私:分かりました。

楽しいキャンプファイヤーも終わって、何日かがたってから、私は自宅で先輩の友人から電話を受け取ったのでした。

私:過日は大変お世話様になり、ありがとうございました。

先輩の友人:いやいや。 ところで、ボランティアの件だけど、ある養護施設に事情を話したところ、基本的にはオーケーとのことなんだ。 ただ、詳しくは電話で聞いてみてください。 電話番号をこれから言うから、書き取って下さい。

私:分かりました。

私は電話番号を書き取り、早速その養護施設に電話をかけたのでした。

私:ボランティアの件で、友人から紹介を受けたものですが。

養護施設の責任者:はい、話を聞いておりますよ。

でも、本当に良ろしいんですか?

私:どういうことですか?

責任者:受け持って下さる中学一年生はみんな棒なんですよ。

私:おっしゃっていることがわかりませんんが。

責任者:すべての科目の成績がオール1なんですよ。

私:何ですって!

私は耳を疑いました。 でも、私はそれ以上の最悪はないと思って、すぐに言ったのでした。

私:それでも結構です。

それから、私は養護施設を訪れました。紹介された少年はおとなしそうな少年でした。

両親を自動車事故で亡くしたということでした。

でも、その少年は学校から帰ると小さい子を入れて、それまで遊んでいたのでした。

そして、養護施設の人が言うにはいくら勉強しなさいと言っても、みんな遊んでばかりいるということでした。

私:もし、このままですと彼らは中学を出てからどうなるのですか?

施設の人:何か勤めに出る子がほとんどです。 しかし、しばらくすると転職してしまうせいか、その後はほとんど連絡がありません。

それから、一週間に一回、その養護施設に家庭教師として通うことになったのでした。

一学期も既に終わり、学期は二学期に入っていました。

しかし、私はテキストを二学期からやっても、仕方が無いのでテキストの最初からやり直したのでした。 一緒にテキストの音読をしたり、訳したり、単語を書かせたりさせたのでした。

最初は順調な滑り出しでした。 それで、なんとか二学期は終わったのでした。

しかし、二学期の成績は相変わらず、1でした。

私の情熱が冷めかかったときに、擁護施設に行ってもその子が出たり、出なかったりして、家庭教師の状態を続けることが困難となり、ついにやめざるを得なくなったのでした。

私は挫折したのでした。

日本テレビの人気番組、電波少年の『ケイコ先生と坂本ちゃん』のようなわけにはいかなかったのです。

坂本ちゃんがケイコ先生のお陰で成績が上がったのは本当に素晴らしいことでした。

この番組は世の中に感動を与えたのですが、私の場合には自分に失望を与えたのでした。

私はがっかりしながらも、図書館で社会福祉の本を読み、ボランティアのこと調べたのでした。

そして、雑誌であるボランティアサークルが会員を募集していることを知ったのでした。

そして、電話をかけて、新宿のそのサークルを訪れたのでした。

そのサークルは新宿のマンションにあり、ある社会福祉団体の一室を借りていたのでした。

私:雑誌で会員の募集を見た者ですが。

会員:そうですか。 ようこそ、いらっしゃいました。

会員の人は上品でとても好青年な人でした。

私:具体的にどういう活動をなさっていらっしゃるんですか?

会員:京王線の調布に養護施設がありまして、原則として月に一回その子供たちを

郊外に連れ出して、一緒に遊んだりするのです。 親代わりというか、お兄さん、お姉さん代わりというか、そんなところです。 毎回、参加対象の学年は違うのです。

それと勉強のために、その他の養護施設や養老院などを訪問したりするのです。

そして、時には研究会・討論会なども開くのです。

私:そうですか。 ぜひ、私も入れて下さい。

今度は自分一人でのチャレンジでないだけに、多少気が楽でした。

そして、月に一回高尾山や秋川渓谷などに養護施設の子供たちと一緒に遊びに行ったりしたのでした。

会員は若い男女でサラリーマン、OLそして、学生もいたのでした。

みな何かの志や若き日の情熱をもって、参加していたのでした。

そのうち、弟もこれを知って参加してきたのでした。

この会の活動への参加は何年も続きました。 そして、ある雑誌に私の活動のことも載ったのでした。

年齢を重ねるうちに年長になり、何か私達より若い人とギャップを感じ始めました。

また、そろそろ自分の結婚のことも考えなければいけない年代になってきたのでした。

そして、弟と私のボランティアは終局を迎えることとなったのでした。

でもボランティアには年齢は関係はないと思っています。

50歳をこえた、今なお、定年後は何かのボランティア活動を再開したいと思っているのです。