山田 幸五郎氏
カール・ツァイスや、エルンスト・アッベについて調べると、よく参考文献の著者として登場するのが山田幸五郎(やまだ こうごろう)氏です。その山田幸五郎氏が、1940年(昭和15)に出版したのが、「光学機械器具」です。
旧仮名遣い、旧漢字がたくさん出てくる、いかめしい題名の本です。しかし、読み始めてびっくりしました。内容がとても分かりやすく、名文で、スッと読むことができます。
山田幸五郎氏(1889-1982)は、日本光学界の先駆者です。東京大学大学院では、有名な物理学者 長岡半太郎氏に師事しました。第一次世界大戦後の日本にとって、光学兵器の開発は国の急務でした。海軍は、東京大学物理学教室にその人材を求めました。それに対して、長岡氏は、山田幸五郎氏を推薦しました。
山田幸五郎氏は、「アッベの偉業をしのびて」という論文に、当時の心境を次のように書いています。
「さてこの新しい分野(光学兵器の開発)に入ってみると、あたかも道なき林の中に一人ぽつんと立たされたような感じであった。もちろん長岡先生がご指導下さるし、なおその上に”我輩が後ろ盾になってやるからしっかりやり給え”という力強い激励の言葉もいただいた。しかし、この道なき林の中でどの方向にどういう道を開いて行くべきかということを考えた時に、その進路を明るく照らしてくれたのはエルンスト・アッベであった。」
その後、山田幸五郎氏の努力により、日本の光学兵器の水準は世界水準にまで高められたと言われています。
敗戦後、山田幸五郎氏は、戦争責任により公職から追放され、一時進駐軍の通訳をして糊口を凌ぎました。1956年(昭和31)、アメリカ・ロチェスター大学客員教授となり、公務に復帰。その後、企業の取締役や大学教授を歴任しています。
顕微鏡開発に関してもそうですが、日本の光学工業に携わった人々にとって、エルンスト・アッベは大きな目標であり、心の支えでした。私は、山田幸五郎氏の「光学の知識」や「アッベ」も読んでみたいと強く思いました。
参考文献:アッベの偉業をしのびて,日本真空光学山田幸五郎論文
光学機械器具,山田幸五郎,誠文堂新光社,1940