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文霊 〜フミダマ〜

Short Story【やまね雨】①

2020.04.26 03:00

◆◆  序章 1  ◆◆


「ともちゃん!またホラ!浜茄子ばっか見てないの!行くよ!学校遅れちゃうよ!」


六月ともなると浜辺へなだらかに続くその草原は、一面の浜茄子の花で埋め尽くされた。

毎朝、そのほとりの道を私達姉妹は通学に歩き続けた。が、その季節、幼かった私は何故かその浜茄子の花に惹かれ、学校へ行く時も帰り道も道草をした。

帰り道はまだ良かったろう。朝の登校時、姉の浩子はどれほど気を揉んでいた事か。

しかし私は、時が経つのも忘れて咲き誇る浜茄子の花畑の中にいた。特に何かしている訳ではない。花を摘むでもなく。ただ立ち尽くし、潮風が運ぶ芳潤な香りをすぐっていた。

そして先を行く姉の背が五十メートルも先に離れると、ようやく駆け出して後を追っていた。


「待って!ひろちゃーん!」


〜◆〜


母が還暦の年に「自叙伝を書く」と言い出して、書きかけの原稿はそこで止まったままだ。二十五年前の話だ。


待って、ひろちゃん??

…まったく。待っているのはこちらだ。これでは何の変哲もない、子供のただの朝の通学場面の一コマではないか。


だけど私は待っている。「待って、ひろちゃん」母のその続きを。


〜◆〜


母、朋子。彼女が還暦を迎えたあの年は忘れもしない一九九五年。二つの大きなニュースの衝撃が日本を駆け巡った。


阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件。


昔から活発な母は、この時、自分の中の何かスイッチが入ったように「自叙伝を書く」に至った訳だけど、書き出す前にもあれだけ周囲に吹聴したにもかかわらず、蓋を開ければこれだ。


「人生、速いし儚いのよ。こうして不条理に幕を下ろす事もあるの。だから一瞬一瞬、やりたい事を一生懸命やらなきゃ。もっと生きたかったのに、不条理に犠牲になった人の分までね。それを私は自叙伝で伝えてゆくのよ」


そう言っていた。


〜◆〜


若い時に今は亡き父と小さな自動車整備工場を興し、父が病死した後も多角的事業に女ながら精力的に展開してきた。

好奇心が向いた事は何でも手を出し、言い出した事は何事も実現してきた。子供の頃から挑戦意欲を持ち合わせる、そんな逞しい母を頼もしく見てきた。


後で知る事だけど、町で目をかけた若者にやりたい事があれば、とにかく支援したい性分だったらしい。

昔から口癖は「人生は速く儚い。やりたい事をやれ。その為に応援が必要なら私は出来る限りの応援をする」


そのせいで、バブルの頃に保証人になった若者の失敗で危ない橋を渡った事もある。

さらに遡る事、一九九〇年。私は当時二十五歳、母は五十五歳の計算だ。

若くして結婚に失敗し実家へ出戻った私を迎え入れるも、家に借金の取立てが押し寄せた時は寝耳に水。怯えていた記憶がある。

さすがにあの時は恐怖と母を恨む思いも湧いた。(今となっては過ぎた事だが)


あの難を救ってくれたのは、母より十二歳年上の伯母の美恵子おばさんだった。私も母も「みえちゃん」と呼んでいる。

母にとっても干支一回り分も歳が離れた姉となると、町の若者が母を慕ったように、そんな存在同様の「先輩」に思えたのかもしれない。

ただ「いいコンビの姉妹」私はそう思っていた。


みえちゃんは当時、国内でも数少ない和裁の専門学校を経営しており、たびたびメディアに取り上げられる事もあった。

いわゆる…「人生を成功させた」と言うにふさわしい、そんな部類の人種に私の目にも映っていた。

少なくとも、借金を背負った母の肩代わりが出来る程、裕福な資産を持っていた事は明白だった。


一度だけ、その返済問題が片付いた後に三人で面談をした事がある。まだ学生気分の抜け切れてない私を交えて。

やけにあの場面の印象が強く残っている。


「ともちゃん、もうこれに懲りて他人の保証人なんか安請け合いするのはやめてね。美樹ちゃん(私)に怖い思いさせちゃダメじゃない」


家に訪問したみえちゃんをリビングのソファに通すと、みえちゃんは腰を下ろし開口一番にそう言った。

私はみえちゃんにお茶を運んで差し出す。母はキッチンで茶菓子の用意をしながら言った。


「はいはい、次から気をつけますよ〜」


その声を聞いて不意に私は涙が溢れた。そして、切れた。


「お母さん!…次って何よ!また誰かの保証人やるって訳!?」


泣き崩れた。そして暫く、沈黙が包んだ。

みえちゃんがそっと寄り添って、私の頭を優しく撫でてくれた。母はキッチンで立ち尽くしたまま、私とみえちゃんのその様子を見つめていたんだと思う。そして一言。


「ごめんね、美樹」


母はそう言った。

私はひと仕切り泣いた後、みえちゃんの手前、気恥ずかしさが沸いてきて、二人に取り乱してごめんと謝った。

みえちゃんは落ち着いたまま、私に言った。


「いいのよ。美樹ちゃん。怖かったよね。よく頑張ったね。あなたのお母さんにも、貴方に二度とこんな思いさせないように約束させるからね」


「ええ、約束するわ。美樹。ごめんなさい」


母も深く反省していた様だった。

だけど一つだけ、腑に落ちない事を二人に尋ねた。


「お母さん…みえちゃん…二人は…二人は怖くないの?何で平気なの?」


母が何か言おうとするのを遮って、みえちゃんが代わりに答えた。


「美樹ちゃん…私達姉妹にはね、『恐怖』の感覚が欠落してるのかもしれない…怖いものがないのよ」


私は涙を拭いていた手を止め、みえちゃんの瞳を射る様に見た。勿論、驚きでだ。


みえちゃんの眼力はいつも「経営者の目」そんなイメージでいた。

だけどその時覗き込んだみえちゃんの瞳は、哀しげでどこか凍て付いたようだった。

続けて母を振り向いた。母も同じ目をしていた。


私は言葉を失った。

二人が弱い私を哀れんでいる様に見えたからだ。そしてこの二人には、私も聞かされていない、どんな過去があるのか。


母はビジネスに意欲的な若者を支援する。みえちゃんはその若者を支える母を救いもする。

それに比べて私は「平凡」の道を選んだ。卑屈になっていただけかもしれない。二人の強さを嫉妬していただけかもしれない。

部屋で休む。その時そう言って、私はリビングから立ち去った。


〜◆〜


時は移ろいでゆく。

日本はバブルが崩壊したものの、母は持ち前の手腕で幾つもの大きな仕事をやり遂げていった。同じような過ちを繰り返しはしなかった。

そうして例の一九九五年。それだけにこの執筆の頓挫は意外だった。


執筆など畑違い。確かに母にとっては初めての挑戦だったが、それでも 「どうせまた、やってのけるのだろう」と、心では思っていた。


あれから四半世紀。その冒頭だけで止まっている原稿は、同居する母の部屋のアルバムの棚で忘れ去られた様に保管されている。

母も八十五歳と高齢にもかかわらず、認知症の気配もなく、背筋も伸ばして歩き 話せば滑舌もスローな老人らしさが欠片もない。

だからこそ、私はつい「まだ時間はある」と甘えているのかもしれない。母が書く自叙伝の続きを。


何の変哲もない、子供の朝の登校の一幕…

いや違う。変哲はあるのだ。


「待って!ひろちゃ〜ん!」


【お母さん、姉の浩子「ひろちゃん」って誰ですか?】


長年、心に留まっている疑問符。

何度、尋ねようとした事か。

ためらっていた。(一度だけ、執筆ははかどってるかと尋ねた事はある。後述)

母の口から聞ける事を…またはその自叙伝の完成を待つ事にした。私から尋ねる事は憚れる気がしていたのだ。


〜◆〜


私には今年、二十六歳になる息子・永介がいる。一九九四年、再婚で結ばれた相手との間に授かった。

名付けの由来は何という事はない。彼が好きだった矢沢永吉と私の好きだった氷室京介、二人のミュージシャンの名前から一文字ずつ頂いただけである。


その結婚生活も長くは続かなかったが、永介を産んだあの時から、息子が私にとっての生き甲斐となった。


私はショッピングセンターにあるアパレルショップで働き続け、店長まで登り詰めた。

永介を大学まで卒業させる事も出来、今の彼は出版社で勤めている。実家で同居の母にも助けられながらだが、息子の自立を感無量の思いでいるし、ガムシャラだったと我ながら振り返る。

後は肝心の息子に恋人でも出来て、実家から巣立つだけかと思っている今だけど。


そんな私の生きる力の源・永介がまだ一歳の頃だ。母が「自叙伝を書く」と言い出したのは。

書き出した数行。私は今まで聞いた事もない、謎の伯母「ひろちゃん」こと浩子の存在を知る。


みえちゃんと間違えていやしないか?そんな疑問もあった。文章をよく読めば一緒に小学校に通学している描写だ。

みえちゃんは十二歳年上。一緒に小学校に通えはできまい。

ますます謎だった。

当時の私は、子育てにキャパを占められ、聞き出す事も忘れていた。だが間違いなく「浩子」その名前は心に刻まれた。いつか聞けばいいか。聞けるだろう。そう軽く考えていた。


実際に一度尋ねた事はある。

謎の姉(私からすれば伯母)・浩子とは?という聞き方ではなく、「執筆の続き、はかどってる?」そんなノリで質問した。

あれは母が原稿をそこまで書いた後、みえちゃんと北海道へ旅行に行った事があった。やはり同じ一九九五年。八月で盆は過ぎていた。

その旅行から帰って来た頃に一度だけ尋ねた。私も少し子育てに余裕が芽生えていた。

母の様子は変わっていた。


「その事はもう聞かないで。いつか…きっといつか書くから」


母は少し俯きながらそう言い、以来、私は母に執筆の事を聞かなくなった。原稿は長く封印される事になる。

あの北海道へ二人で出かけた旅行で何かあったのか。間違いなくあの旅行後が分岐点に違いなかった。


ちなみに母には六歳年上の「利夫」という兄(私にとっては伯父)もいた。優しい伯父だった。子供の頃、とても可愛がってもらった記憶しかない。

利夫おじさんは私が中学生の頃に交通事故で亡くなっている。

祖父母は既に他界。父を亡くし、伯父も亡くし、四年前のニ〇一六年には、みえちゃんも安らかに旅立った。九十五歳だった。


今、私が血縁を持つ身内は母と息子だけだ。


そうか。

この期に及んで私はまだ、いつか来るその時…母とも別れるその時を、永遠に来ないと思っている。


もう一度繰り返す。

私はつい「まだ時間はある」と甘えているのかもしれない。母が続きを書く事を。


残された時間は実は少なかったのだ。

母にまで「浩子」の秘密を墓場へ持ってゆかせるのか。


ニ〇ニ〇年。

今また、母のあの時の言葉がリフレインしている。


「人生、速いし儚いのよ。こうして不条理に幕を下ろす事もあるの。だから一瞬一瞬、やりたい事を一生懸命やらなきゃ。もっと生きたかったのに、不条理に犠牲になった人の分までね」


ふとそれを気付かされる出来事がまた起きている。


◆◆  序章 2  ◆◆


ふとそれを気付かされる出来事がまた起きている。


「また」という事は、初めてではないと言う事。

それも四度目だった。


一度目は勿論、母がその言葉を言った一九九五年だった。地下鉄サリン事件。阪神淡路大震災。


二度目は二〇〇一年。ニューヨークのワールドトレードセンターに航空機が突っ込む同時多発テロ。


三度目はニ〇一一年。東日本大震災が起きた。多くの家屋や自動車が、獰猛な大津波に流される映像を永介にYouTubeで見せられた。また、福島第一原発事故も起き、報道番組に毎日目を見張った。

多くの命が犠牲になった事、多くの住民が今までの暮らしを失った事、毎日憂鬱に心を痛めていた。


今、リビングでゆっくりとコーヒーを飲みながら、テレビで報道番組を観ている。

世界が「新型コロナウィルス」のパンデミックにより、人の健康と命の危機、それによる経済が止まっている情勢危機が覆っている。

連日、その報道。これが「四度目」だ。

私のアパレルショップは休業・自宅待機となり、時間を持て余している。外出自粛要請も出ている中、近所のスーパーやドラッグストアに最低限の買い物でしか出かけていない。

そして出版社に勤める息子・永介も自宅でリモートワークをしている。(永介はまだ独身で、恥ずかしながら三世代実家暮らしだ)


タレントの志村けんさんが新型コロナウィルスによる肺炎で亡くなったニュースは、明らかに日本の空気を変えた。

肉親のお兄さんが最期を看取れず、火葬に直行され遺骨となって対面し悔しく泣きする姿に、母の言っていた不条理さを思い出させた。


私もつくづく「普通の人間」だ。これら「世間での出来事」でしかそれを感じる事が出来ず、また、いつか風化させて忘れてゆくのだから。


「人生、速いし儚いのよ。こうして不条理に幕を下ろす事もあるの。だから一瞬一瞬、やりたい事を一生懸命やらなきゃ。もっと生きたかったのに、不条理に犠牲になった人の分までね」


母の言葉のリフレインは止まない。

母にすれば兄(私の伯父)を交通事故で失っている事もそう考えるキッカケだったかもしれない。

私にとってもそれは身近な「死」の筈だけど、私はあまりにも幼な過ぎた。


人生に何度も苦難は訪れる。それを「乗り越える」の連続が生きる事だと、生前のみえちゃんが私に聞かせてくれた事もあった。

その言葉の意味がよくわかる程に、私も時間を重ねてきてはいる。

ふと気付けば、私も誕生日を迎えれば五十五歳。あの借金の取立てに迫られてた頃の母の年齢になっていた。


みえちゃんが言っていた。

「美樹ちゃん…私達姉妹にはね、『恐怖』の感覚が欠落してるのかもしれない…怖いものがないのよ」


私は違う…あの頃と変わらない。怖い。怖がり屋の自分がまた覚醒している。

このまま仕事もなくなるかもしれない…その恐怖だ。

そもそもアパレル業界は本当に厳しい断崖に立たされていた。メルカリなどのCtoC対策とやらも去ることながら、自分達の若い頃と比べて今の若者の購買意欲は低い事は肌で感じている。


永介が二階から降りてきて、リビングへ入って来た。

「母さん、僕にもコーヒーいれてくれる?」


「あら、おはよう。テレワークの方はどうなの?」


「あぁ…そりゃ最初はさ、行きも帰りも『通勤』が無いって事がどれだけストレスが無いか、こりゃいいや!と思ったけど、こうも毎日、八時間も缶詰だと気が滅入るね」


「そうなのね。母さんは店舗販売しかした事ないから、テレワークなんてしたくても出来ないけど、やってる人にはやってる人の大変さがあるのね」


「そうだよ。中には好き勝手に過ごす奴もいるだろうしさ、自己管理する奴の成果だけがモノ言うね。

それにね、今までの無駄な仕事が省けるトコも出てきた。その分、八時間労働も短縮してくれないかっても思うんだけどね。テレワークって…やはり精彩を欠く事もあるよ。」


「へ〜、そうなのね。母さんには難しい事はわからないけど、それにはそれの悩みもあるのね」


コーヒーを注いだカップを永介に渡した。


「それで?今はどんな仕事があるの?」


「それがさ…記事を急遽ピンチヒッターで書く事になったんだよ。今度こそ俺の記事デビューになるといいよね。

予定してたライターさんに新型コロナの感染が確認されてさ。その後の症状はまだ聞いてないけど、とにかく油断出来ないね…。ま、そういう訳で俺は記事の方、進めなきゃならないんだよ」


「そう…その人、心配ね」


自分達の在宅時間が長くなり、家族でお互いの会話の密度も濃くなっている事を実感してはいるけど、私自身、身近な周囲で感染者の情報は無かった分、世界で起きてるこの状況をどこか遠くの出来事の様に捉えていた。また身が引き締まる思いになった。


それにしても、永介までが「記事を書く」という『執筆』に関わる話で、尚の事、母のまったく未完成の自叙伝を連想した。

私は永介に続けた。


「どんな記事なの?」


永介はコーヒーを啜りながら答えた。


「それがさ…東京オリンピック、延期になったじゃん?あんだけ盛り上がっておいて、急に奈落の底だよね。まぁ、仕方ないけどさ。

そのライターさん、『延期にされたアスリート達の今の心境を語る』的な記事を書く筈だったんだけど、そんな状況になってさ。取材も出来ねーじゃん。

かと言って俺が同じ事やろうとしても、アスリート達との連絡とかさ、個人情報保護とかで手間かかるのよ。

だから振られたお題は、とにかく何でもいいから『東京オリンピック』の事!だってよ。まったく…抽象的過ぎるっちゅーの」


そう言えば…東京オリンピックの話題もすっかり影を潜めていた。今となっては来年でさえどうなるか怪しい気配も感じるが。

確かに世界中には、この栄光の舞台に懸けてきた人達もいるのだろう。それを忘れさせない為に…

永介の仕事が少し誇りに思えた。ボツにならないようにと祈りながら。


「ばぁちゃん、部屋で何してるかな?」


「さぁね。何してるのかしらね〜…でも、どうして?」


母も流石に今は、自分が高齢である事の自覚から家から外出しなかった。元々、ジッとしている事は無理な性格なので、昔の母なら考えられない事だった。

部屋に篭っている方が多かったので、寝ているか、永介が教えたネットの動画配信で昔の映画を観ているか……なのだろう。そう思っていた。


「よく考えたら、ばぁちゃん、前の東京オリンピックの日本を知ってるんだよね。だからさ、外出もままならないし、ばぁちゃんに取材しようかと思って。

ホント、こんな時って ばぁちゃん、ボケてなくて良かった〜って思うよ」


私も興味が向いた。

母が自叙伝で書き出した原稿はおそらくもっと前の小学校時代の頃だ。そこまでの昔ではないにせよ、母の過去を遡る事には変わりない。

それを機に、母が「ひろちゃん」についても何か語り始めてくれるかもしれない。


母の言葉が再びリフレインした。

「人生、速いし儚いのよ。こうして不条理に幕を下ろす事もあるの。だから一瞬一瞬、やりたい事を一生懸命やらなきゃ。もっと生きたかったのに、不条理に犠牲になった人の分までね」


私が今までやりたい事をやってきたかどうか?と問われたら、そうだったと信じたい。

そして今回は過去の惨事と違って、風化させずに真っ最中にいる。

人生は速く儚い。今は元気とはいえ、いつ母に、私に、永介に…その不条理な死が訪れるかわからない。

それに…借金の取立てと対峙した母の五十五歳と比べたら、私の五十五歳が何とも受け身な事かと思えてきた。


今からでも人生で何か一つ、小さくてもいいから冒険を持ちたい。よく考えると滑稽だけど、平凡に生きてき過ぎた反動だろうか。

【母の「パンドラの箱」を開ける】

ただそれだけの事なのに、チャレンジしたい衝動に駆られた。


「永介!よし!おばあちゃんをリビングへ連れてくる。一緒に話を聞き出そう!」


「うん、助かる。取材は手短でいいんだけどさ。締め切りもあるから」


そう言って私は母を連れ出しに、彼女の部屋へ向かった。私は今までになく積極的で能動的で、いよいよ「その時が来た」とばかりに、ワクワクしていた。

永介との会話で、背中を押された様にも思う。永介にも感謝だ。


ただ、そのワクワクとは裏腹に、リビングへ母が来て語られ出した母の過去。パンドラの箱。

それを聞いて絶句する私と永介がいた。それはあまりにも重くて悲し過ぎる話だった。


〜本章へ続く〜