奈良県 城一覧
2020.01.20 14:55
奈良といえばやはり710立派な平城京
もうすこし深く勉強すれば、藤原京や飛鳥板蓋宮など、古代の歴史に出てくるイメージですよね^ ^
拙者の専攻は古代史です。
しかしながら、桓武天皇の御世に
784長岡京、794平安京に移ってからは、
奈良は寂しいイメージがあります。
あながち間違ってはいません。
理由は、、、
当時の都のお引越しは、建物ごとバラして運ぶのが当たり前だったからです。柱など、運べるものはもっていきます(*゚▽゚*)エコ(*゚▽゚*)
おかげで、遷都するともぬけのから。
寺院勢力は残り、勢力をじわじわ拡大。
平安時代終わりごろには、
仏教界でも、世紀末がやってくるヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3 と大騒ぎに。末法思想といいます。
世の中がざわざわしてくると、
様々な人間が台頭します。
元々は貴族筋と名乗る源氏や平氏がでてきて、
ただの農民じゃない、武器を持ち戦える武士として群れをなし、権力構造が変化。
武士が政権をとります(*゚▽゚*)
しかし、、、鎌倉幕府、勢力の拡大と御家人への恩賞のバランスが崩れ、御家人の不満がピークに。
頑張っても上がらぬ給料、しまいには元寇で大散財したのにカミカゼによる勝利で恩賞ほぼ無し。
鎌倉幕府は1333にたおれます。
さんざんむざん。
奈良に注目が行くきっかけが、
建武新政、天皇政治の復活を目指した
後醍醐天皇。
後醍醐天皇は、せっかく幕府を倒したのに、
学習してなかったのか恩賞をうまく分けてやれずに
足利尊氏と対立。
京都を追い出され奈良に逃げてきます。
しかも、吉野。
当時狐やたぬき、魑魅魍魎がいてもおかしくない山岳宗教の聖地吉野。吉野が注目されるのがこの頃。
楠木正成の協力もありましたが、結果政権は取り戻せなくて、南北朝時代は戦乱が多くなります。
奈良、しかも吉野にいくつかお城があるのは
戦乱対策とかんがえられます。
奈良は、南北朝時代よりあとからは
織田信長や羽柴秀長の関係もあり
戦乱に巻き込まれます。
砦として臨時に作られたお城は、
盛土がそのままで行けるからと古墳が再利用されていることも。
古墳は農地として耕されてしまったものも、、、