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[24.]“IR”は日本の国に、日本国民に、世界の人々に、必要なものなのか

2020.01.21 01:01

“IR”、“複合的レジャー施設”とは、カジノ賭博開設を容易に為さすためのまやかしの言葉である。成そうとしていることはカジノ賭博の開帳である。目的は、日本の観光資源の重要なものに位置づけ国の財政への寄与である。人の欲望を刺激し国の財政に貢献させる、などとは最早政治とは言えまい。日本国はこのような卑しい低劣な悍ましい程の錬金術を欲し、必要としている国なのか。現政権による経済優先の国造りが遂にこのような事まで日本の国を舞台に行い始めた。“IR”の呼び方に歓楽遊興施設を埋没させる欲望の町造りの国造りである。今日的“大淫婦大バビロン「ヨハネの黙示録」”であり、人の滅びを意味しており、人の世に警告を発し続けている預言の言葉である。

日本の国民は、次の2つの選択肢でどちらを自分達の国の重要視問題とするのか。

 1. 経済効果 > 人間社会の健全な環境

 2. 経済効果 < 人間社会の健全な環境

この問いの答え、と捉えても差し支えないと思われる世論調査の結果は、カジノ誘致に「7割近い国民の反対」と報道された。

国民が望まない国造りを推進していく現政権の政治は、国民主権を普段から疎かにしている日本国民の産物ではないのか。

国民、広く世界の人々を人の欲望の世界に向かわすことは本来的に政治として為すべきことではない。それは完全に否定されることであり、政治はむしろこのような事には厳しい規制を設け民間の企業には制限を、人それぞれには抑制を促す立場にあるものでなければなるまい。

主権が国民に置かれている社会体制での国造りの場合、健全な多くの国民の意識により、社会は成熟へと向かうものであるが、然し、日本の国民の場合は相も変わらずの低俗な不法に明け暮れ欺きを持ち、侮蔑される不法を行い続けているが故に、政治が一向に人の健全性に依る社会成熟へと全く向かわず。

_以上_