ホーランエンヤと二つの本山
2019.08.01 03:00
今年、10年ぶりに開催されたホーランエンヤ。檀信徒の大半が阿太加夜神社の氏子のため、この祭りのお話をお伺いする機会がこれまで多くありましたが、その中で印象的だったのが、その伝承手段についてのお話でした。
氏子中は準備段階から撮影機材を利用し、アーカイブ化して、口承伝統である神事を安定的に継承できるように試みられたそうですが、神職さんのご指示もあって、特に神事の中枢に関する場面は、どうしても撮影できなかったそうです。
ある氏子さんは「今後は、祭りの内容や手順を標準化して継承することが必要だ」と仰っておられました。
その一方で、寺院でも秘仏があるように、宗教の核心を安易に一般化せず、直接的に触れる手順を難しくすればするほど、反比例して神秘性や聖性が増すのも確かです。特に永平寺の御真廟で奉職していた私には、神職さんが記録をしないよう指示したお気持ちも背景も、よく理解できます。
さて、この聖と俗をどのように均衡させて継承に繋げるかという話、私は「曹洞宗がなぜ両本山制なのか」というテーマにも通じるな、と思って聞いていました。
「世俗の紅塵 飛べども到らず」として、聖に重きを置いて徹底して守ろうとした永平寺。
より教団運営の関与者を増やし、時宜を踏まえ、俗との接点を多くした開放的な家風が、教団の安定化につながった總持寺。
対照的とも思える二つの手段を択一せず、その象徴としての両本山を共に奉戴して両輪としたのが、曹洞宗における組織運営と継承の「叡智」だった、という言い方もできると思います。