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宗淵寺/願興寺

僧衣で運転できるもんだい

2019.01.22 03:00

 僧衣を着て車を運転していた僧侶が、福井県警の交通取り締まりを受けて反則切符を切られた、という件についてです。すでにご存知の方も多いのではないでしょうか。

 昨年の9月に発生した当該の案件が、この年末年始に大きな話題になったのは、この間に僧侶が所属する教団の要路で取り上げられ、福井県警と教団が公に見解を発表し、これをマスメディアが取り上げ、更に、それを見聞きした全国の僧侶が、僧衣を着て縄跳びやリフティングやジャグリングをする動画をネットに投稿して、福井県警の対応に疑義を呈する活動(「#僧衣でできるもん」)が大きな話題となって閲覧数も増加、たまたまそれが年末年始のタイミングだったことから、さながら「お坊さん、新春隠し芸大会」の様相となってバズり、果てはイギリスの国営放送BBCもこの経過を報道するなど、世の関心を集めるに至ったためです。


 かく言う私も、第一報に接した瞬間は「すわ、公権の暴走か!」と憤然となりかけましたが、不瞋恚戒を持つ僧侶として、ここは冷静に、ひとまず県内の取り締まりについて、島根県警のメールフォーム「みこぴーくんのメールぼっくす新」に質問メールを送りました。すると、県警の担当者の方から折り返しのお電話を頂き、以下の回答(要約)を頂きました。

・島根県警が交通取り締まりの基準としている「島根県道路交通法施行細則」には、服装に関する規定はない。

・履物に関しては、同細則の第15条「運転手の遵守事項」に、下駄やハイヒールを例示とした禁止事項がある。

・島根県内で、僧衣の運転が交通取り締まりの対象になることはない。但し、他県警管内では別に同細則を定めているので、他県で運転していたら取り締まり対象になる場合はある。

 ちなみに、同細目に服装に関する規定があるのは、15県。近県だと岡山県警管内がこれに該当します。


 さて、ここからはこの案件に対する私個人の意見になります。

 まず、今回取り締まりの対象となった僧衣・僧形は、曹洞宗で言うところの「改良衣」に当たります。そして、私自身もこの僧形で日常的に運転をしてます。

 ただしこれはあくまでも移動の際の略式の僧形で、お勤め先に行けばお袈裟を着けるなどして正式の僧形に着替えることになります。つまり、日常生活に差し支えないように改良されたから「改良衣」と称しているわけですし、これで実際に交通取り締まりにあったら、私もおそらく「理不尽」だと憤るでしょう。

 大前提として法令遵守はしなければならない。その上で、僧衣(着物)の運転については規定が全国的に統一されておらず不公平だ、という指摘はもっともです。そして、「#僧衣でできるもん」によって市井の僧侶が草の根運動で、かつウィットとユーモアを駆使してバズったことは、素晴らしい「倍返し」だったと、動画を投稿した僧侶の方々のバイタリティーに敬服するしかありません。


 ただ、時間をかけて沈思するうちに、別の思いが出てきました。本当に、車の運転を従来の僧衣・僧形でしなれば日々のお勤めができないのでしょうか。

 おそらくですが、福井県警は現場の警察官の「判断」で、僧衣での運転に「懸念」が生じ、これを予防すべく取り締まりを行ったのでしょう。未だに私は現場の警察官が「先走り」したのではないかと疑っています。

 それに対して、「#僧衣でできるもん」で実証が試みられたように、僧衣が運転に差し支えないのも「事実」でしょう。

 これに、いわゆる「コンプライアンス事案」として対処する方法は2通りあって、1つは、僧衣で運転が可能であるという「事実」を実証していく。今回の案件で見られた仏教界側の対応がそれです。

 もう1つの方法は、今回惹起されたことを受けて、今後は「懸念」が生じないよう、僧侶の側が未然に防止すること。つまり運転中の僧形をさらに「改良」することです。


 具体的には、今回の福井県警が「運転に支障がある恐れ」と見なした股下の可動性については、まず靴を履く。次に着物の上からもんぺを履く(実は昔の作務衣は着物の上から着れるようにもんぺ袴状だったと言います)。さらに上半身の袖丈をさらに短かくする、などが考えられます。

 そもそも、僧衣や着物姿でも「運転に差し支えはない」が、「運転に最適である」かと言われると、そう言い切れません。

 この点は福井県警の見解とは逆で、着物の股下は締まっているのではなく、むしろ時間の経過とともに段々と緩んできて、身嗜みが悪くなるのです。ズボンの方が運転に向いているのは明らかです。

 私も、県外の会議出席などで長時間運転をする際には、スーツに絡子で移動します。曹洞宗の現行の服制規程では、正式な法要を伴わない集会に限り、洋行衣(スーツとネクタイ)に絡子の被着して出席することが認められています。この服装なら、目的に到着しても改良衣に着替える必要がなく、移動中の荷物も少なくて済みます。道中の服装は正儀とは異なるので、そこに「僧衣はこうでなくてはいけない」という「無謬性」を発揮する必要はないのではないでしょうか。


 例えばターミナルケアで病棟に入る、もしくは被災地や仮設住宅に入る、といったボランティア活動の先駆者である僧侶の方々は「僧衣を着て現場に行かない」という「配慮」を心がけておられました。仮に病棟や被災現場に僧衣で赴くと、対象者の中には「葬儀→不吉」といった連想や、弱り目に祟り目で宗教の勧誘をされるという「懸念」がある方がおられる可能性があり、実際には不吉ではないし勧誘もしないけれど、肝心なのはまずその中に入ることだから、僧形での活動にこだわらない姿勢を貫いておられるのです。もしかしたら、僧衣での運転に関しても、これと同じ対処が可能なのではないでしょうか。(副住職 記)