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死生観

2020.03.06 08:38

五島高資

2015年3月27日 · 編集済み ·

西部邁先生、横田滋さん、早紀江さんと歓談。西部先生のご講演はまさに圧巻でした。ー 一緒にいる人: 西部邁、横田滋、横田早紀江 場所: ホテル雅叙園東京 Hotelgajoen-tokyo


コメントのやり取り

めぐみさんが早くご両親の元に帰れます様お祈り致します✨

五島高資  拉致問題の早期解決を強く希望します。ご両親とお目にかかって強くそう思いました。

五島高資   久しぶりに元気な西部節をお聞きして頼もしい限りでした。昨年、奥様を亡くされてご自身も体調不良とのことでしたが、そうした逆境にこそ人間であることの喜びや本質を見いださなければならないとのお言葉が心にしみました。

2018年1月23日 ·

一緒にいる人: 西部邁 場所: ホテル雅叙園東京 Hotelgajoen-tokyo

西部先生のご冥福を心よりお祈り致します。

2015.3.27 雅叙園にて (山田ベンツさんの会)

https://toyokeizai.net/articles/-/2026  

【妻と僕  寓話と化す我らの死 西部 邁 著~晦渋な文体で克明に紡いだ半世紀以上に及ぶ愛の物語】


http://miyazaki.xii.jp/column/index5.html  

【西部邁著 『妻と僕 寓話と化す我らの死』(飛鳥新社)】


https://kakuyomu.jp/works/1177354054880443017/episodes/1177354054881608860

【妻に先立たれた夫『妻と僕』(西部 邁著)『妻の肖像』(徳岡孝夫著)自分がここに居る意味は他者から贈られる】



https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54307

【「さらばわが友、西部邁!」友人たちが語った無念自殺は、止めようがなかった】より

「死ぬにも力がいるんだ」

評論家・西部邁氏(享年78)の入水自殺に、友人たちは驚きつつも、「やっぱり」という感想を一様に漏らしている。

「ついに決行されたか、と思いました。何年も自殺のことはおっしゃっていて、周囲が止めようにも、西部先生の動かぬ決意の前に、どうしようもなかったのです」と語るのは参議院議員の西田昌司氏だ。

西部氏が氷点下に近い多摩川に身を投じ、自殺したのは1月21日早朝のこと。だが本来、自殺を予定していたのは昨年の10月22日だった。

最後の著書『保守の真髄』は昨年12月に刊行された。あとがきに、その事情が記されている。「ある私的な振る舞いの予定日に衆院総選挙が行われると判明した。で、まず社会にかける迷惑はできるだけ少なくせねばならぬと考え」「事態の成り行きにもう少し付き合ってみるしかあるまい、と考え直」したというのだ。

西田氏が続ける。

「10月22日については、解散総選挙があるから、というだけでなく『台風が来ているからできなかったんだよ』とも仰っていた。

台風と重なってしまうと、入水なのか事故なのかわからなくなるかもしれないし、遺体が海まで流される可能性がある。そういう事情で決行日を変えられたのだと思います」

知人から拳銃を入手する計画を立て、「ピストル自殺をする」方法を聞かされた友人も何人もいる。だが、あまりにも頻繁に自殺の話をするので、かえって周囲も本気にしていなかった節もある。

西部氏が8年にわたって看病した妻・満智子さんが逝去したのは'14年のことだ。同じように妻を看取った経験のあるジャーナリストの田原総一朗氏が語る。

「去年の10月に、ラジオ番組に出演してもらったときが、西部さんと会った最後になります。体調が悪く、辛そうで申し訳なかったんですが……。

人恋しい人で、寂しがり屋だったけれど、奥さんを亡くしてからは特にそうだった。西部さんは、自分の命に自分でケリをつけたんだと思う」

自身の体調は、確かに思わしくなかった。'13年には咽頭癌を患っていることを告白した。近年は利き腕である右腕の神経痛が激しくなり、前出の『保守の真髄』は自力での執筆ができず、口述筆記によって刊行された。

西部氏の自殺で、評論家・江藤淳氏の最期を思い起こした人もいるかもしれない。江藤氏は'99年7月、「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し」と遺書を残し、自宅で手首を切って自殺した。前年に夫人を癌で亡くし、自身も脳梗塞の後遺症に苦しんでいた。

だが、西部氏の主宰する雑誌『表現者』編集委員で文芸評論家の澤村修治氏は、「病苦が西部さんの死を招いたというのは明らかに違う。江藤さんとはまったく違う死に方だと思います」と語る。

「昨年末に会ったときは、以前と比べて、むしろ元気な印象を受けた。以前から『死ぬにも力がいるんだ。本当に気力を失い、活力もなくなれば自殺もできない』と語っていました。

『人間は最後には死ぬ。病院で死ぬということは人工死であり、自分はそれを選びたくない』とも。己の『生と死』を己で一貫させ、意志的な生の終わり方をされたのだと思います」

西部氏は、前掲書『保守の真髄』にも、自死へのこだわりを、はっきりこう記している。

「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装なのであって、彼らの最後は病院に運ばれて治療や手術を受けつつ死んでいくということなのである。換言すると自然死と呼ばれているものの最終段階は『病院死』にほかならないということだ。

(中略)病院死を選びたくない、と強く感じかつ考えている。おのれの生の最期を他人に命令されたり弄り回されたくないからだ」

京都造形芸術大学教授の寺脇研氏は、西部氏と〝飲み友だち〟。映画雑誌で西部氏と鼎談連載を持っていたが、昨年9月の収録時に「この号で終わりにしたい」と終了の意思を伝えられた。

寺脇氏は、「自分の人生を終えるのは、自分の決定したタイミングで、自分の決定したやり方でやりたい」と西部氏に何度も聞かされてきたという。

「何度か引き留めたこともありましたが、『うるさい!お前たちみたいなレベルの低い奴からそんなことを言われることはない』と言って、聞く耳は持たなかった。

ただ、奥様がご存命の頃は、『妻のために生きなきゃいけない』と言っていましたし、看取るまでは自殺なんて毛頭考えていなかったと思います。

彼が死を選んだのは、やりたいことをやり尽くして、自分の人生の幕は自分で下ろしたということでしょう」(寺脇氏)

美空ひばりを歌いながら

'60年安保闘争のリーダーとして新左翼運動を闘った後、経済学者として活動して'86年に東大教授に就任するが、2年後には辞職。

以後は評論活動を中心に、「保守の論客」として活動してきた。米国主導のグローバリズムを批判する自らの立場を「真正保守」と呼んだ。

「戦後日本の主流だった左翼にも親米保守にも反発し、自立的かつ在野的な思想と立場を貫いた。

『西部さんのような人が本当に必要とされる時代が来ている』と私は見ていますが、きっと彼は、『俺が死んだってお前たちがやればいい。自分で切り開け』と叱りつけるはずです」(前出・澤村氏)

戦後日本を憂える西部氏は、「絶望に立つ希望」を唱え、立場を超えた議論を好んだ。親友で評論家の佐高信氏が振り返る。

「テレビ番組が夕方終わると、それから夜中の2時や3時まで議論しながら飲む。私も仕事があったので『今晩は11時までにしましょう』と言うと、その場では『わかった』と答えるんだけど、11時近くになると『あと30分位いいだろ』と新しいワインを注文する。

すごい寂しがり屋だったね。カラオケで美空ひばりの『港町十三番地』を一緒に歌ったのも懐かしい」

昨年の秋、「佐高さん、いろいろありがとうな」と告げられたという。

「改憲派と護憲派で、私とは考え方に違いがありましたが、好き嫌いは似ていました。竹中平蔵のような言葉に体重がかかっていない連中のことは『殴ってやりたいな』と飲みながらよく話したものです。

アメリカべったりでありながら『保守』を自称する人たちのことは耐えられず、今回の自殺は覚悟の死でもあるだろうけど、『憤死』でもあったと思う」(佐高氏)

言行一致を貫き、生涯を終えた知識人は、日本の未来を黄泉からどう見つめていくだろうか。

「週刊現代」2018年2月10日号より

https://ironna.jp/article/9501  

【なぜ西部邁は死生観に合わない「自殺幇助」を選んだのか】  

西部邁「自殺の死生観」の罪と罰

「おのれの生の最期を他人に命令されたり弄り回されたくない」。今年1月に自殺した保守論客、西部邁氏は遺稿の中でこう綴っていた。西部氏の自殺に絡み、私淑の2人が幇助容疑で警察に逮捕されたが、彼らはなぜ罪を犯すまで心酔したのか。西部邁が遺した「死の哲学」を問う。


https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7242571  【殉教・永遠の命を得るため】

より抜粋

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/1019  【加賀乙彦[作家] 自分らしく幸福に死ぬために必要なこと  軽井沢の自然に抱かれて生と死を想う】  より抜粋      

人間を超えた大いなる力を自然に学ぶ

 人間を超えた大いなる力――58歳で洗礼を受けてキリスト教者となった僕にとってそれは神ですが、自然の摂理と呼ぶ人もいる。なんと呼ぼうが、人間には決してつくることのできない美を生み出した何ものかを前に、誰しも謙虚な気持ちになるものです。

 ある友人は遺言の中に、「神が生命を造ったなどというおとぎ話を、僕は信ずることはできない。死んだ後は天国も地獄もない」と書いた。そういう感覚は、僕から見るととても不幸です。

 天国があるかないかというのは、人間には絶対にわからないもの。あると思えば幸福、ないと思うと不幸になる。だったら、あると思うほうがいいじゃないかと僕は思います。

 どちらにしても生きている間は証明できないのだし。パスカルは「神は実在するか、しないか。実在するほうに賭けたとしても、失うものは何もない」といいましたが、そのとおり、神の実在を信じて生きることの意味が増すなら、それでいいのじゃないでしょうか。

 意識や魂と呼ばれるものが死後どうなるかということについては、宗教によって考え方が異なります。同じキリスト教や仏教のなかでも宗派によって、また時代によって微妙な違いがあります。

あると思えば幸福、ないと思えば不幸。ならば天国を信じるほうがいい

本当のところは誰にもわかりません。でも、魂が天国に行こうが、虫や動物や別の人間に生まれ変わろうが、輪廻のない極楽浄土に行こうが、あるいは跡形もなく消え去り無となろうが、その人の思い出や伝えたかった思いは身近な人々のなかで生き続けます。

 たとえ子や孫がなくても、本人を直接知る人が死に絶えても、思いのかけらは残っていきます。

 人間の肉体も、見方によっては死んでも生き続けると言えるでしょう。火葬、土葬、水葬、風葬、鳥葬とさまざまな葬送法がありますが、長い目で見れば、いずれも自然へと回帰していく。僕たちの体を構成していた元素は自然のなかで循環し、新しい命を育む材料として活用されるわけです。

 落葉は散りゆく葉にとっては死ですが、そのおかげで樹木は翌春の芽吹きのためのエネルギーを蓄えられる。葉を茂らせ、花実を結ぶことができる。生のなかには死が内包されており、死が生を支えている。同じことが一人ひとりの人間の死についても言えるのではないでしょうか。

生き方と同様、幸せな死に方も人それぞれでいい

 僕は1990年に日本尊厳死協会の会員となり、延命措置を拒否する「リビング・ウィル」を作成しました。尊厳死宣言をしようと決意したのは、医師の一人として医療の現場にかかわるなかで、ほんの短期間に過ぎない延命のために生と死の尊厳がおかされていることを常々疑問に感じていたからです。

 不確定な未来においてひとつだけ誰にも平等に確実に起こりうる出来事、それが死です。

 しかも死はいつ訪れるかわからない。自分らしく幸せに死んでいくためには、常日頃からいざという場合のことを考えておく必要があると思うのです。

 たとえば、がんになってもう手の施しようがないとなったとき、その事実と余命をはっきり告知してもらいたいか。延命治療は何をどの程度受けるのか、一切受けないのか。選ぶことが可能なら、病院と家のどちらで死にたいか・・・。そういったことを具体的に考え、結論を出し、さらに近親者と話し合って理解してもらう。その重要性は医療技術が進歩した現代社会において、これまで以上に増しているのではないでしょうか。

 もちろん僕と同じ選択をしろとすすめているわけではありません。わずかであっても回復の可能性にかけ、できうる限りの手を尽くしてもらいたいと思う人もいるでしょう。

 生命維持装置を使ってでも最後の瞬間まで生き抜くことこそが尊い、苦しみのなかから生まれる豊かさもあると考える人もいるでしょう。そういう人は、そのような意思表示をしておけばいいのです。僕が尊厳死宣言をしたのは、なんの意思表示もしないまま意識不明になって、子供たちに延命措置をするかどうかというつらい選択をさせたくないと思ったからです。

 大切なのは「死に方」を自分で決めておくということ。生き方同様、死に方も人それぞれでいい。いや、人それぞれだからこそいい。それが人としての自然なあり方ですし、多様であるほうが人間の自由を守れるのですから。


https://lifeskills.amebaownd.com/posts/6671702?categoryIds=1309392

【死生観・コンセンサスゲーム】  より抜粋

死生観を深めるために グループでコンセンサスゲームをしませんか?

「 運命に関しての名言集」です。あなたはA~Oのどの考えに賛成ですか?もちろんここにリストアップされていない考えがあったら リストに付け加えてください。 ・ 共感するものを上位3つ選んでください。その理由、体験なども考えてください。

A・運命が決まるのは、あなたが決断する瞬間なのだ。(アンソニー・ロビンズ)

B・どのような運が降りかかろうと、喜びに浮かれることのないように、悲しみに暮れることのないように、万物は流転し、そして運もまた、いつ変わるとも知れないのだから。(ショーペンハウアー)

C・運命というものは、人をいかなる災難にあわせても、必ず一方の戸口をあけておいて、そこから救いの手を差しのべてくれるものよ。(セルバンテス)

D・運命は我々を導き、かつまた我々を翻弄する。(ヴォルテール)

E・人間には、それぞれ運命があるにしても、人間を超越した運命というものはない。(アルベール・カミュ)

F・強い人間は自分の運命を嘆かない。(ショーペンハウアー)

G・人間の運命は人間の手中にある。(サルトル)

H・自分の運命は自分で管理しなさい。でなければ、あなたはだれかに自分の運命を決められてしまう。(稲盛和夫)

I・運命は我らを幸福にも不幸にもしない。ただその種子を我らに提供するだけである。(モンテーニュ)

J・私は大いに運を信じている。そして懸命に働けば働くほど運が増すことを知っている。(トーマス・ジェファーソン)

K・あなたの運命がどうなるかわからないが、ひとつだけわかっていることがある。本当に幸福になれる唯一の者は、人に奉仕する道を探し求め、ついにそれを見出した者である。(アルベルト・シュバイツァー)

L・我々が我々の運、不運をつくる。そして我々はこれを運命と呼んでいる。(ベンジャミン・ディズレーリ)

M・運命は、どこかよそからやってくるものではなく、自分の心の中で成長するものである。(ヘルマン・ヘッセ)

N ・寿命も、お役目も魂が決めるとか…この人生を選んだのは自分。(矢作直樹)

O ・カルマは 神様からの宿題 (立岩 司)

個人決定をしたのち、 グループでのコンセンサスをとります。 グループメンバー全員が望ましいと考える項目を3項目選び グループメンバー全員による順位付けをしてください。 メンバー各位は他のメンバーの説に納得いくまで 自説を主張してください。 ただし執着はしないでください。多数決、じゃんけん、くじ引き等、葛藤を避ける ための手段は取らないでください。