日本宣教4-マカオがポルトガルに開港
2020.01.24 01:51
ザビエルが世を去った翌1552年ついに中国の海の門が開かれた。マカオ開港である。これはポルトガル人が地方長官に賄賂を送って確保したものらしい。翌53年にはこれまた明の海道副長官に金を払って、密約によって貿易が認められ、その権益は拡大していった。
マカオという名前は、福建人が公海の安全を願う女神媽祖(まそ)廟を建て、港を媽祖港と呼んだことからきている。聖母マリアは海の守り神であり、ヴィーナスも海から誕生した。女神は海と関係しているようだ。もちろんポルトガル船は聖母の恵みを祈り、現在でも祭が行われる。
中国から絹や陶磁器を東南アジアの物産と交換で得て、欧州へ運んだが、日本ー中国ー欧州を結ぶ交易拠点としても発展した。当時は明は海禁で日本と貿易をしていなかったからである。しかし豊臣政権から江戸幕府による鎖国政策によってマカオは没落をしていく。
ザビエルの遺骸は中国の上川島に葬られたが、2カ月後に開かれたてみると全く痛んでいなかった。そしてゴアに送られたが、マカオには右腕の上腕骨が聖遺物として保管されている。日本で殉教したキリシタンの遺体も、マカオまで運ばれ、この地に眠っている。ザビエルは1619年に列聖された。
下左は聖フランシスコ・ザビエル、右はマカオに安置されたザビエル上腕骨