八ヶ岳 石尊稜・ジョウゴ沢・南沢大滝
【日程】2019/12/28-31
【メンバー】I(リーダ)、M、T、F
【レポート】
令和元年の年末は、比較的気象条件が厳しくない八ヶ岳で岩稜とアイスクライミングの入門ルートをそれぞれ1本登り、最後に少し登り登り応えのあるアイスクライミングで〆ることにした。事前の情報では、赤岳鉱泉には全く積雪がないとのことで少々心配したが、直前に降雪があり、冬化粧をして迎えてくれた。
12/28(土)赤岳鉱泉BCまで
美濃戸までの林道は、整備されかなり良くなったと聞いていたが、チェーンを積んでいない我々は、美濃戸口から歩く。BCとする赤岳鉱泉まで重荷に喘ぎながら荷上する。
テント設営後、翌日の石尊稜に備えて取付き付近まで偵察し、トレースの状況、沢の分岐を確認しておいた。どうも三叉峰ルンゼの大滝は繋がっていないようだ。
夕方、G山の会の面々が来訪され、暫し山談義の宴会となった。本日の夕食は、なんと「ブリしゃぶ」。
12/29(日)石尊稜
昨日偵察しているので、まだ暗い5:00前には出発し、目論見通り取付きで明るくなった。早く出た甲斐があり、先行パーティはいない。オーダーは、I-M、T-Fとしてこの順に登る。
下部岩壁の出だしは石尊稜の核心であるが、コンディションがよくあまり雪がついていないため、下からボルトの位置がよく見え、安心して登ることが出来た。少し被った草付きにアックスを打ち込み雪の斜面に上がって、2Pで下部岩壁を終了。
ここからコンテとスタカットを交えて、樹林、雪稜を上部岩壁の基部まで行く。思ったより遠かった。天気が非常によく、背後には南アルプスから北アルプスまでよく見える。今日は赤岳主稜、阿弥陀北陵などにパーティが集中したようで、石尊稜は我々2パーティとガイドパーティの3パーティのみだったようだ。
上部岩壁はT-Fペアが先行する。少し厭らしい凹角から右の岩稜に上がってピナクルにスリングで支点を取り、右側の雪壁を登ってピッチを切る。2Pで上部岩壁を終え、後は容易な雪の斜面を少し登ると縦走路に出て終了となる。すぐ先が石尊峰の頂上である。
非常に良い天気で八ヶ岳ブルーのなか、石尊稜を登ることができて満足。赤岳鉱泉に戻った後は、まったりとしてしまい、予定していたアイスキャンディでの練習はせず、テントの外で暖かい日差しの中、コヒーなど飲みながらのんびり過ごす。
本夕も、G山の会の面々と楽しく一時を過ごす。本日の夕食は、「鶏肉のタイカレー」。
12/30(月)ジョウゴ沢
天気は悪化するとの予報だったが、朝起きてみると実際にあまり良くない。本日は、ジョウゴ沢を詰め硫黄岳に抜ける計画だが、いざとなれば稜線まで行かずに引き返せばよいので気は楽である。
F1:右側を巻くように登ればロープは不要だが、今回はアイスの練習が目的なので、ロープを付け、まず手始めに中央の凹角状を登る。短く簡単で全員問題なくフォロー。
F2:F1よりも大きいが傾斜もないので、ここも全員問題なくフォロー。
F3:ここは簡単で特にロープの必要もないレベル。
一度、谷は広くなり、少し登るとゴルジュ帯になる。ここは傾斜があるが、ロープを付ける程でもなくあっさり通過する。夏の方が滑って登りにくいところだ。このあたりから風雪が激しくなって来る。風雪の中に薄っすらと見える乙女の滝は被っており威圧的に見える。当初計画は、そのまま本流を詰め、ジョウゴ沢大滝を登る予定だったが、本流のトレースはない。やたら寒くなってきたので、トレースがあるナイアガラの滝に向かう。
ナイアガラの滝:下部が雪で埋まっているのか、短くて少し拍子抜けした。トップロープを張り練習するが、あまりにも寒くて早々に下降を開始する。
何度か懸垂をしてF1まで戻ったところで、再びトップロープを張り少し練習する。赤岳鉱泉に戻るとT姉御のクライマー魂に火がついたのか、アイスキャンディで再び全員が練習をすることになった。各自がアックスの打ち込み、アイゼンの蹴り込みと前爪での立ち込みなど、トップロープで確認した。
本日の夕食は、「バルサミコ鳥とぺぺロンチーニ」
12/31(火)南沢大滝、下山
本日は下山日だが、まず中山峠を越えて行者小屋経由、南沢大滝に向かう。
南沢大滝:まだ十分発達していなかったが、トップロープを2本張れる幅はある。大きな穴が幾つも開いており、ステップも多いが、実際に取付いてみると氷が脆く、少々苦労した。
50mロープ2本を連結してトップロープをセットするが、冷気が谷に溜まっているのか動いていないと寒く、全員1回ずつ登って終了とした。ジョウゴ沢の滝とは大きさも傾斜も全く異なるので、手応えを感じて貰えたと思う。
4日間、愉快なメンバーと概ね計画通りに岩とアイスを登ることができて、バリエーションに富み充実した山行になった。またMさんによる手の込んだ贅沢な食事を堪能させていただいた。アイスはあまり経験がないメンバーもいたが、全員、冬山やクライミングの経験は豊富で全くトラブルも無く、令和元年の〆の山行を終えることができた。
記録/I