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会津美里町「肉の丸長本店」 2020年 冬

2020.01.25 13:52

JR只見線の“駅チカ”にありながら、なかなか行くことができなかった会津美里町新鶴にある桜肉(馬肉)の名店「肉の丸長本店」。今日、列車に乗って、やっと訪れることができた。

  

会津地方は『肉といえば桜肉』という食文化があるほど浸透し、福島県全体では熊本県に次ぐ全国二位の桜肉の消費量を誇る。かつて越後街道の宿場町として荷役に使う馬や農耕馬が多く存在し、畜場やセリ場、屠場があった会津坂下町が本場として馬食文化を牽引してきた。今では、会津地方各地でサシの入らない赤身の桜肉を食べる事ができる。 *参考:会津坂下町「ばんげの馬刺し」URL:https://www.town.aizubange.fukushima.jp/site/furusato-nouzei/5941.html / 拙著「会津坂下町「馬肉・地酒」2018年 冬

 

会津美里町で桜肉と言えば「肉の丸長本店」の名が挙げられる。「肉の丸長本店」は会津坂下町に南接する旧新鶴村地区にあり、只見線の新鶴駅から徒歩2分ほどの場所にある。只見線の車内から、店の裏に掲げられた看板も見える。

店は精肉店に食堂が併設されていて、定番の桜さしみはもちろん、カルビやハラミ、そしてホルモンなど新鮮な桜肉を鉄板で焼きながら食べる事ができる。「肉の丸長本店」は、只見線沿線で本格的な桜肉を食べられる店の中では、最も“駅チカ”にある。

 

 

 

私は今まで何度か会津美里町を訪れてはいたが、食事時に「肉の丸長本店」に訪ねるスケジュールを組むことができなかった。今回は、「肉の丸長本店」で昼食を摂る事を第一の目的に旅程を組んだ。

  

今日は、会津若松から只見線の始発の列車に乗り、会津川口で折り返す列車にそのまま乗車し、車窓からの景色を楽しむ。その後、会津本郷で降りて、本郷焼の窯元を訪ねた後、自転車で新鶴に引き返し、昼時に「肉の丸長本店」に向かい、その後、再び新鶴から只見線の列車に乗って富岡に戻ることにした。

 

 

奥会津地方も含め、未だ会津全域は雪が少なく、沿線の雪景色を楽しむ事はできなかったが、自転車の移動は問題なく、予定通り、旅をすることができた。

*参考:

・福島県:JR只見線 福島県情報ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の食と酒ー / ー只見線の冬

 

 


 

 

前日に会津若松市に入り宿泊。今朝は。始発列車にのるために会津若松駅に移動した。

 

自動券売機で「小さな旅ホリデー・パス」を購入し、自動改札を通り、跨線橋を渡り只見線のホームに向かった。会津川口行きのキハ40形2両編成の列車は入線していた。

  

ホームに下りると先頭車両がロングシートだったため、後部車両に行くが、座席を見て唖然。なんとこちらもロングシートだった。

全ての車両がロングシートだったのは、2018年2月以来2度目。今回も、とても残念な思いをした。

来る3月のダイヤ改正で、このキハ40形は只見線から引退し、全8両がセミクロスシートのキハE120形に切り替わるとは言え、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す福島県は、JR東日本の協力を得て、このような点にも配慮して欲しいと思った。

  

 

 

6:00、只見線の始発列車は、私を含め10名ほどの客を乗せて会津若松を出発した。

  

列車は暗闇の中を走り、七折峠を登坂し奥会津地域に入った頃に周囲は明るくなった。車窓からの景色を撮るのは復路の車内ですることにし、往路は景色に時々目を遣りながら読書をして過ごした。

   

8:08、冬ダイヤ(1月20日~3月31日)で奥会津をゆっくり駆け抜けた列車が、終点の会津川口(金山町)に到着。周辺には雪が見当たらなかった。

 

この先、只見までが「平成23年7月新潟福島豪雨」で運休となっている区間。私の乗ってきた列車は、運休前は小出(新潟県 魚沼市)行きになっていた。

 

“10年ぶりの全線再開通”を予定している只見線の復旧工事は順調に進み、今年「第六」「第七」と二つの大型橋梁の再架橋工事が終わり、2021年度には終了し全線復旧することになっている。

しかし、先日、会津若松市内でJR東日本の仙台支社長が講演し、2021年度の営業運転再開に懸念を示したという。 *記事出処:朝日新聞 福島版(2020年1月21日付け)

 

 

  

8:34、折り返し運転となった列車は会津川口を出発。直後に、只見川に突き出た大志集落を見ながら進んだ。

 

  

私が引き続き乗った車両には誰も乗らず、後ろの車両には3人の乗客だけだった。

朝方は空気が冴え、景色も良く見える事から『もったいない』と思ったが、雪化粧が見られないこの状況では、観光客が少ないのは致し方ないと思い直した。

 

 

 

列車は会津中川を経て、東北電力㈱上田発電所・上田ダムの下流域となる只見川に沿って走った。電柱・電線の向こうでは、国道252号線の拡幅工事が進められていた。

 

 

まもなく列車は「第四只見川橋梁」を渡った。順光でまぶしかったが、冬ダイヤの減速走行のためにトラス橋の鋼材の間から景色を見る事ができた。

 

 

 

会津水沼を経て、コンクリート8連アーチ橋である細越拱橋を渡り三島町に入った。景観創出事業で前方の木々が伐採され、見通しが良くなっている。

    

まもなく次駅の早戸に到着。前方の活火山である沼沢のが壁面となり、只見川は蛇行し、奥行きのある良い景色になっている。

ここ早戸では、早戸温泉の湯治客であろうか、5名の乗客があり、私の乗った車両に席を取ったため、ようやく車内が賑やかになった。

 

  

 

列車は、早戸と滝原、二つのトンネルを抜けて「第三只見川橋梁」を渡った。

 

 

その後、水路式の東北電力㈱宮下発電所の宮下ダム湖の直側を列車をトコトコと進んでいった。

 

 

 

会津宮下で下り列車とすれ違いを行った後、列車は「第二只見川橋梁」を渡った。

 

 

 

会津西方を出発した後は、名入トンネルを抜け、「第一只見川橋梁」で只見川の最後を渡河をした。

沿線に雪が無く、景色に冬らしいアクセントがなかったが、今日は只見川が本来の深い青緑色で、見応えがあった。

  

列車は会津桧原を出発した後に滝谷川橋梁を渡り柳津町に入り、滝谷郷戸会津柳津を経て、会津坂下町会津坂本塔寺会津坂下若宮の各駅で停発車を繰り返していった。一番多くの乗客を乗せた会津坂下以後は、車内の座席のほとんどは占められるようになった。 

 

 


 

10:21、新鶴から会津美里町に入った列車は根岸会津高田を経て、駅舎が会津若松市に入っている会津本郷に到着。私はここで降りて、列車を見送った。後方の「磐梯山」は稜線は見えたが、頂上付近には雲がかかっていた。

 

振り返り、列車が通ってきた方向に目を遣り、北会津受水塔越しに西部山麓後方にある「明神ケ岳」(1,074m)を見た。ここも雪は少なく、木々の文様が目立っていた。

  

会津本郷駅からは自転車で移動。駅頭で輪行バッグから折りたたみ自転車を出して、組み立てた。湯呑み茶碗を探すために、県道219号線を瀬戸町に向かって自転車を進めた。

  

会津本郷焼の窯元である、「樹ノ音工房」「陶楽」「酔月窯」「流紋焼」の販売所(スペース)に立ち寄り、5軒目の「彩里」で気に入った器が見つかった。

白地にエメラルドグリーンの釉薬が口元に施された茶碗。緑茶を呑むには相応しいと思い、一目惚れだった。

 

会津本郷焼は陶器と磁器の双方がある全国でも珍しい焼き物で、白磁は東北最古と言われている。国から伝統工芸品に指定されるような歴史があり、14もの個性ある窯元から生み出される陶器と磁器の多様な器は魅力的だ。只見線に乗車して、多くの観光客に会津本郷地区を訪れて欲しい。 

*参考:会津本郷焼事業協同組合「会津本郷焼 ー歴史と文化ー」/経済産業省 東北経済産業局「伝統工芸品 -福島県 会津本郷焼-」/拙著「会津美里町「向羽黒山城跡・会津本郷焼」 2018年 初秋」(2018年9月19日)

   

  

   

「彩里」を出て、北西の強い風を受けながら自転車をこいで北上。約50分で新鶴駅に到着。

 

そして、駅から北に100mほど進むと、今日の目的地が見えてきた。

 

 

12:08、「肉の丸長本店」に到着。店構えは精肉店だが、左端のガラス戸に“食堂入口”と記してあった。暖簾が掛かっている事もあるようだが、今日は無かった。

 

 

そのガラス戸を引いて、左手の食堂内を覗くと、店員に出迎えられ、ストーブが近いテーブル席に案内された。奥の座席には2名の先客があった。

テーブル席は4人掛けが2つ、座席には8人程度座れる大きなテーブルが二つあった。2階席もあるという。 

   

おしぼりとほうじ茶が出される中、メニューを見た。全体に“桜”の文字が並んでいた。

 

めん類や定食も充実していた。“丸長セット”にも半桜ホルモン丼と半桜焼肉丼が組み込まれ、馬肉専門店である事を、さらに実感した。

注文は、焼肉セット3点と桜さしみに決めた。

 

 

 

初めに穴あきの鉄板が載せられ、約5分ほどで全ての品がテーブルに並べられた。ゴハンは大盛にしてもらった。

 

桜さしみ。鮮やかな赤身とその艶もさることながら、柔らかさが伝わってくる見た目だった。

 

焼肉3点。7種から、桜カルビ、桜ハラミ、桜ホルモンを選んだ。甘ダレが絡み、照りと香りが胃袋を刺激した。

 

 

 

鉄板がほどよく熱くなったところで、野菜と肉を載せた。生でも食べられるほどの鮮度、ということで軽く焼いて食べることした。

全て柔らかく、旨かった。

桜カルビと桜ハラミは、牛肉のそれより肉感があり、サイズよりも食べ応えがあった。

驚いたのが、桜ホルモン。簡単に噛み切れるほどの柔らかいが、柔らか過ぎず、コリコリという食感はないが、肉とは違った弾力があり風味があった。今まで食べた事の無い食感で、忘れられない味になった。“名物”に違わぬ逸品で、是非多くの只見線利用者に食べて欲しいと思った。 

 

 

 

全ての焼肉を食べ終え、物足りなさを感じ「ももカルビ」を追加で注文した。もちろん桜肉だ。

これも感動ものの一皿だった。

肉の柔らかさは、他3点と同じく申し分なかったが、ほどよい脂味が感じられてとても旨かった。この「ももカルビ」も必食の一品だと思った。

 

「桜さしみ」は見た目の印象そのままに、柔らかく期待を裏切らない旨さだった。定番の辛子味噌で頂いたが、鉄板で少し炙りもしてみた。違った食感を味わえ、焼肉店ならではの楽しみ方ができた。

 

 

ゴハンも進み、私好みの固さであった事もあり、おかわりしてしまった。中華スープを含めた付け合わせも良く、大満足の昼食になった。

 

店に併設された精肉店には、頻繁に客が訪れていた。忙しく対応していた店の御主人は、食堂側にも顔を出し、各テーブルに挨拶して回っていた。

その御主人に話を聞くと、馬は日本海側で育てられた後、会津地方の畜舎に入り、買い手から指定された餌が与えられるという。その期間も買い手が指定し、御主人が仕入れる馬は3ヵ月程ということだった。肉の柔らかさは、ホルモンに出ると言い、餌の内容物と与える期間で、その質は大きく変わってくるという。旨い会津産の桜肉を食べた後だっただけに、その手間ひまが実感でき、ありがたかった。

  

また、店の周辺や“本場”の会津坂下町などでは、『肉と言えば桜肉』という文化があるが、若松など焼肉チェーン店が近接する地域では『肉は牛肉』になってきているという。庶民でも食べ続けられる、会津の馬食文化が維持されるための課題の一端を知る事ができた。

 

只見線にとって桜肉は大きな食のコンテンツ、だと私は考えている。微力ながら、桜肉の消費に貢献するとともに、只見線を利用する観光客が馬食を志向するような雰囲気や文化を創ってゆく必要があると、私は御主人の話を聞き終えて思った。

   

 

会津美里町新鶴の「肉の丸長本店」は、素晴らしい店だった。わざわざ訪れた甲斐があった。今後は、只見線の旅に組み込み、定期的に訪れたい。特に、夕食で桜ホルモンを焼きながら、地酒をチビチビやりたいと思う。 


「肉の丸長本店」へのアクセスについて。 

「肉の丸長本店」の新鶴駅徒歩2分という立地は、只見線を利用する観光客が移動に頭を悩ます必要がない。「肉の丸長本店」は只見線沿線で最も駅に近い桜肉の店だ。

参考までに、只見線を利用して昼食と夕食どきに「肉の丸長本店」を訪れるプランを考えてみた。店の北北西100mにはバス停があることから、路線バスも組み込んだ。

残念ながら駅周辺の徒歩圏に、観光地や喫茶店は無く、駅も冷暖房が設置されていない。店には営業開始時間(11:30)後に到着し、列車やバスの時間に合わせて店を出た方が無難だと思う。路線バス(会津バス)は若松駅バスターミナル~新鶴駅前間が¥720になっていて、この便は新鶴温泉まで行っている。ただ、「肉の丸長本店」での食事と絡めた旅は、時間的に難しいと私は思っている。

 

 

 

 

13:59、会津美里町での全ての予定を終えて新鶴駅に移動し、4分ほど遅れてやってきた上り列車に乗り込んだ。まだ、昼を過ぎたばかりだが、今日中に富岡に帰らなけらばならないため、この列車が私にとっての“最終便”だ。

今回の車両は2両ともセミクロスシートで、車内は混んでいた。旅行者と思われる方は半数程と見受けられた。会津坂下~会津若松間は只見線内でもっとも混雑する区間ではあるが、この光景を見るのは嬉しい。

 

 

 

 


14:29、終点の会津若松に到着。この後、磐越西線、磐越東線、常磐線と乗り継ぎ、20時過ぎに無事に富岡に戻る事ができた。今日も充実した只見線の旅となった。

  

 

只見線を走る、キハ40形について。 

只見線に乗って到着した、会津若松駅の反対側のホームには、磐越西線・新潟行きのキハ40形の国鉄色が停車していた。

多くの“撮り鉄”諸氏がカメラを持ち、思い思いの角度からシャッターを切っていた。キハ40形には鉄道ファンには根強い人気があることを再確認した。

 

只見線のキハ40形は3月のダイヤ改正で“引退”しキハE120形に置き換わるが、磐越西線で運行を継続するか不明だ。当線にはJR東日本の最新ディーゼルハイブリット車GV-E400系が導入され、順次既存の列車と入れ替わってゆくとは言われている。

いずれにせよ、会津若松でこの光景が見られる時間は限られている。

  

ホーム北側の先、車庫方面には、只見線に導入されるキハE120形が、キハ40形と並んで停車していた。

通勤車両然とした外観のキハE120形は、乗り心地やユニバーサルデザインの採用など乗る事だけを考えれば優れているが、旅情を掻き立てられない。景色との親和性も低く、おそらく切り替えを機に、所謂“撮り鉄”諸氏は減るのではないかと思う。私は、キハ40形を継続して走らせるべきだと思っている。

 

だが、只見線からのキハ40形引退は、着々と進められていて、3月には「ありがとう只見キハ40」が仙台~会津川口~会津若松間(3/21)で運行されるという。 *出処:東日本旅客鉄道(株)仙台支社「専用臨時列車「ありがとう只見キハ 40」の運行と旅行商品のご案内 」(2020年1月23日)

 

この特別列車は大盛況のようで、今日の夜には200席が全て完売したようで、キャンセル待ちの受付に切り替わっていた。ただ、3月22日の郡山~会津若松間(只見線には乗り入れない「磐越西線日帰りの旅」)は、まだ空きがあった。

キハ40形の只見線からの引退は残念無念だが、キハ40形がJRから、すぐにでも姿を消すわけではない。

福島県が、本気になって“観光鉄道「山の只見線」”を売り込み、観光鉄道としての地位を確保したいと思うのならば、キハ40形の復活を目指すべきだ。もし、動力系統などの機器類の耐用性やメンテナンスの問題があるのであれば、外観だけをそのままにリノベーションすればよい。観光列車の恒常的な運行もそうだが、観光鉄道として、列車を問わず旅情が感じられる環境は欠かせない。

 

キハ40形の只見線からの引退は、“観光鉄道「山の只見線」”にとって痛手だ。上下分離で只見線の現運休区間を保有し、運行経費も中心となって負担し続ける福島県には、様々な「只見線利活用事業」を進めている中ではあるが、この緊急事態に「キハ40形の復活」を追加して欲しいと思う。


 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室只見線の復旧・復興に関する取組みについて

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。