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宗淵寺/願興寺

もつれる〝縁〟

2008.01.01 03:00


 昨年の10月に、全国曹洞宗青年会の全国大会が、松江市を主会場に行われました。その主管を地元のいずも曹洞宗青年会が行ったわけですが、企画の立ち上げから数えると、約1年間、私もスタッフの一人として関わってきました。

 今回、大会のメイン講師にお呼びしたのは、東京都立川市でフリースクール「東京賢治の学校」を運営されている鳥山敏子さんという教育者の方。公立小学校で約30年教壇に立ち、その間「命に触れる授業」と称して、鶏や豚を、生徒と一緒に解体・精肉して調理する授業や、東京都に原発が出来たら、というシミュレーションをする授業など、革新的な授業を実践されてきました。現在は教職を辞し、公立学校のカリキュラムに捕われない、独自の学校運営をされています。鳥山さんが教職を辞したのは、当時の学校現場に違和感を感じたためです。それは、在職中に子どもの性質がだんだんと変わるとともに、保護者の性質も変わってきたこと。簡単に言うと〝クレーマー〟が増えたんだそうです。鳥山氏は辞職後、親子の心と体を探るワークショップを全国で開きます。そこに集まってきたのは、子育てに悩む親や、自殺願望のある若者などでした。

 大会の予習も兼ねて、昨年の3月に鳥山先生の講演とワークショップに参加してきました。ある参加者からは「仕事と家事を両立せねばならず、ぐずる子どもについ声を荒げてしまいます」という悩みが寄せられました。これを聞いた鳥山さんは、別の参加者に子ども役をさせて、その場面を実演させます。すると気づくのは、親が子どもに「(聞き分けの)良い子」を求めていること。そのうち相談者は「あなたのために、こんなに頑張ってるのに…」という言葉を、フッと漏らします。鳥山さんは、その言葉を拾って「過去にもそんな思いをしたり、聞いたことはないですか?」と聞きます。すると、だんだん相談者は自身の生い立ちを遡行していき、やがて同じことを自らの親に言われていたことに気づき、突如として泣き出してしまいました。「良い子」を演じたまま親になり、同じことを我が子にも求めていたわけです。鳥山さんの手慣れた誘導の仕方を見て、同様のケースを過去に何回も経験されているのだな、と即座に感じ、一瞬些事に思えた相談に、現代人の心の根深い心の問題の、正に〝根〟の部分を見た気がしました。

 以前、あるお寺の坐禅会に、いわゆる〝リストカッター〟の方が参禅にいらっしゃっていました。ある僧侶が「ちゃんと親には相談しているのか?」と問うと、「親にだけは絶対言えません」と言っていました。

 〝縁〟という言葉があります。〝縁結び〟や〝縁起がいい〟など、どこか陽性な印象を与える語句ですが、これらの事例に触れるとき、いつも私は〝縁(繋がり)のもつれ〟ということを感じます。先の全国大会でもこの点が触れられ、あるパネリストの方が三つの縁(繋がり)の話をされました。それは自分との繋がり、他人との繋がり、そして大自然(世界・大宇宙)との繋がりで、それらがもつれ、切れてしまっているのが現代の心の問題だとのご指摘でした。

 道元禅師は坐禅の心得として「諸縁を放捨し、万事を休息すべし」と述べられました。七百年前に現代の暗部を見透かしていたかのようなこの言葉、今更ながらドキッとさせられます。

 人の悩みの多くは、いきなりポッと自身の中から出たものではなく、あらゆる関係性の中に潜んでいる。仏教が〝縁起〟の教えを説く所以です。(副住職 記)<宗淵寺寺報『がたぴし』第二号所収>